暁に響く怨念の声-11

 翌日の深夜四時…………もとい、早朝四時。

 日の出のおおよそ一時間前の時間帯とあって、辺り一帯は暗闇と化している。

 そんな中、俺は白上と共にとある場所に身を潜ませていた。

 目的はもちろん、『女の人の低く震えた声』の正体を暴くためである。


「ねえ。本当に来るの?」


 そう問いかける白上の表情は窺い知れないが、疑念を抱いているのは明白だった。

 『女の人の低く震えた声』の正体は概ね見当は付いているのだが、その推論については白上には一切話していない。

 聞き込みや調査の過程をほとんど知らない白上に、一から説明するのは億劫だというのが理由のひとつ。それと、万が一その見当が外れていたときに面目が立たなくなるため、予防線を張る意味であえて話さないことにした。

 そのため白上は、今回の行動は単なる様子見でしかないと思っていることだろう。

 

「どうだろうな。だが、白上の言っていることが確かなのであれば、声を聞くことはできるはずだ」


「何それ。あたしの言うこと疑ってるの?」


「逆だ。信じているからこそ、こうして眠い目を擦って待ち構えているんだ」


「だったら良いんだけど……じゃあ何で倉庫裏じゃなくて、芝生の広場なの?」


 そう。俺たちは今、例の芝生の広場にいた。厳密には、荒地に続いている雑草だらけの林道を少し歩いたところ…………すなわち芝生の広場の外側に待機している。

 理由はもちろん、声の主が芝生の広場に来ることを確信しているからなのだが…………今の白上にそう話したところで、説得力は皆無だろう。


「白上はこれまでの証言で、声は倉庫越しから聞こえてくる。かつ、声の出処は比較的近いって言ってただろ。林道や荒地を覗けば、そのふたつの証言のどちらにも当てえはまる場所は、この芝生の広場しかない。そう思ってな」


「な、なるほど……」


 それっぽいことを述べて、ひとまず白上を納得させることに成功した。


『童…………! 学生寮から誰か出てきたよ……っ』


 と、ハンズフリーのイヤホン越しから、学生寮の近くに待機させていた黒田から一報が入った。


「本当か? ちなみに誰かわかるか?」


『…………ん-、さすがに厳しいね。懐中電灯を使っているから何となく人の姿は見えるんだけど、顔はおろか、体型もよくわからないや』


「そうか。ちなみにその人物はどこに向かってる?」


『まっすぐ林の方に向かってるね』


「了解。一応、他に誰か出てこないか、引き続き見張っててくれ」


『ん、わかった』


「…………もしかして、誰か来たの?」


 通話を終えたのを見計らったように、白上から疑問の声が飛んできた。


「ああ。誰かはわからないが、林道の方に向かったらしい」


 そう告げると、唾をごくりと飲むような音が聞こえてきた。

 皆まで言わずとも、白上は予感したのだろう。『女の人の低く震えた声』の正体と思しき人物が、こちらに向かってきているのを。

 そして、その予感は正しかった。


「あっ、光が……」

 

 黒田から一報が入ってから、およそ十分後ぐらいだろうか。白上が何かを見つけたように声を上げた。

 遠目ではあるが、学生寮の方角から光の筋がちらちらと視界に入ってきた。黒田の証言から鑑みれば、懐中電灯の光で間違いないだろう。それも、時間が経つにつれて少しずつはっきりしたものになっていく。

 確実に、こちらに近づいている。

 緊張感が増したのか、白上はもう一度唾をごくりと飲み込む。

 やがて、懐中電灯の光は芝生の広場を捉える。すなわち、懐中電灯の持ち主が芝生の広場の前までやって来たということだ。


 ―――やっぱり顔は見えないか……だが、俺の予想が正しければ……。


 懐中電灯の光は…………俺たちがいる場所とは反対側の方に向かって行った。 

 やがて、俺たちとちょうど対角に位置しているベンチを照らし出す。

 すると―――


 ―――唐突に光が消えた。


 かと思えば、衣擦れのような音が微かに聞こえてくる。そして―――


「――――――――――――」


 が、辺りに響き渡った。

 

 ゾッとするような低い声から発せられる、恨み辛みの言葉たち。声を張り上げているわけではないのに、怨念や憎悪と言った感情を伴って、確実に俺の鼓膜を震わせてくる。


「あっ…………」


 思わずと言った風に声を上げたのは白上。だが幸いにも向こうには届かなかったのか、今のなおホラー染みた声は継続して辺りに響いている。

 先程の白上の反応からしてほぼ間違いはないだろうが、念のため訊いておこう。


「白上。お前が聞いたのは、この声で間違いないんだな?」


 少々の物音なら向こうに聞こえることはないだろうと判断した俺は、できる限り声を押し殺して訊ねる。


「う、うん。間違いない。この声だよ」


 案の定、白上は俺の問いに対して肯定の意を示してきた。

 それにしても…………めちゃくちゃ怖いな、この声。

 まるでお経のように途切れることなく、低く抑揚のない平坦な声質から、次々と恨み辛みの言葉が飛んでくる。俺に対する言葉ではないのはわかるのだが、それでも背中に寒気を感じざるを得ない。

 色々と前情報があるからこうしてある程度は平然としていられるが、もし不意に聞こえてきたら恐怖のひとつは覚える自信がある。あるいはホラー系統に耐性がない人が聞いたら、冗談抜きで失神してしまうのではないだろうか。

 思えば白上も、依頼メールに『恐怖心と不快感が綯い交ぜになる』と書いていた。直接やり取りするようになって以降は恐怖心を露わにすることがなかった彼女だが、それでもやはり怖い思いをしていたはずである。あるいは本心や本性を隠すことには長けている白上だ。今も本当は怖いのに、努めて明るく振舞っている可能性だってある。

 であれば、なるべく早く楽にさせてあげたい。


「…………行こうか。正体を暴きに」


「行くって…………まさか話しかけに行くってこと?」


「そうだ」


「……う、うん。わかった」


 渋々と言わんばかりに了承した白上の声には、不安の色が滲み出ていた。

 ここまでの経緯から鑑みれば、声の主が幽霊等の類ではなく、正真正銘の人間であることは明白だ。それは白上もわかっている。

 だからこそ、彼女は不安に感じたのだろう。こんな時間から恨み辛みの言葉を吐き続けるその人物は、果たしてまともなのだろうかと。

 正直に言ってしまえば、まともか否かについてはわからない。

 だが、少なくとも俺たちに害をなすような人物ではないはずだ。

 

 ―――根拠の欠片もない、ただの憶測に過ぎないがな。


 というわけで、俺は早速行動を開始した。

 最初に俺はその場で立ち上がり、手に持っていた懐中電灯の明かりをつける。それと同時に、ホラー染みた声は鳴りを潜めた。

 次に、懐中電灯の明かりを一度俺の顔に向けた。こうして自分の正体を晒し、決して悪意を以てここに来たわけではないことをアピールする。


「…………なるほど。そういうことね」


 すると、声の主から何かを悟ったようなつぶやきが聞こえてきた。

 俺がここに現れた意図を察したことで、自分の置かれた立場を理解したのだろう。この様子だと、素直に応じてくれそうだ。

 

「悪い。ちょっとだけ話をさせてくれ」


 一言そう告げてから―――俺は懐中電灯の光を、真正面に向けた。

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