暁に響く怨念の声-10


 背の高い雑草を払い除けながら進むことおよそ五分。例の荒地に到着した。

 初見のときはここに来るまで随分と苦労した覚えがあるが、一度訪れたことで目や身体が慣れていたのか、存外あっさりと辿り着くことができた。

 それはそれとして………………特にやることがないな。

 何となく足の向くままにここまでやって来たものの、荒地に訪れた明確な理由は特になかったりする。

 ここはあくまで白上が声を聞いた場所であり、声の出処ではない。『女の人の低く震えた声』の正体がどのような形であっても、ここに手がかりがあるとは考えづらかった。

 なのでこのまま引き返しても良かったのだが……俺は踵を返さずに、倉庫裏に向かうことにした。

 あの閉鎖的で落ち着いた空間で、今一度これまでの出来事を回顧するのも悪くないと思ったからである。

 だが、結果的にその必要はなくなった。


「……あれ?」


 それは倉庫の前まで歩を進め、何となしに振り返ったときのこと。

 偶発的に例の芝生の広場を視界に捉えた俺は、つい素っ頓狂な声を上げてしまった。

 雑草や木々の枝葉などに若干隠れているとはいえ、意図せずとも目に付く程度には、はっきりと芝生の広場を視界に捉えることができる。

 ようは、が、そこに広がっているというだけの話なのだが―――


 ―――それはよな? だって白上は………。


「…………あっ」


 と、思わず間抜けな声が衝いて出た。


 ―――そっか。そういうことか……!


 それはまるで、点と点が線で繋がったような感覚。難攻不落だったはずの思考のロジックが、たったひとつのピースによって、いとも簡単に組み上がってしまった。

 …………とまあ、そんな風に表現すれば、こんな俺でも少しは賢く見えるのだろうか。

 しかしながら残念なことに、推理小説の探偵さながらの推理力を発揮したわけでも何でもない。それどころか、俺が失態を犯していなければ、とうにこの問題は解決していたまである。

 ……。


「コミュニケーション不足、か……」

 

 食堂で聞き込みを行った際に、黒田から俺のコミュニケーション能力の低さはネックになると指摘されたことがあったが、今回まさしくその懸念事項が露呈した形となった。

 だが、先入観に捉われていたのは黒田も同じなので、そこに関しては一方的に攻め立てられる道理はない。


 ―――というか、黒田も同罪だよな。うん。


 そう心の中で予防線を張ったところで、俺は今度こそ踵を返すことにした。これ以上、ここにいる理由はない。

 遠くから、再び運動部員たちの溌溂とした声が響いてきた。さらに朝練をする生徒が増えたのだろうか。


「何ともまあ、元気なことで……」


 そんな爺臭いセリフを口にしながら、俺は帰路に就いた。


 ★   ★   ★


 昼休み。俺は白上に話を聞くため、本校舎の三階…………すなわち一年生の教室が並ぶ廊下へと足を踏み入れていた。

 話を聞くと言っても、『女の人の低く震えた声』の正体については概ね見当はついているので、これから行うのは言わば最終確認のようなものである。それも、を投げ掛けるだけの、簡単なやり取りだ。

 そう。早朝の調査の際に気付かされた、である。

  と、それはいいのだが―――


 ―――視線がものすごく痛い……。


 すれ違う下級生たちから向けられる、奇異な視線。居心地が悪いことこの上ない。

 もっとも、昼休みが始まって早々に上級生と思しき見知らぬ生徒が廊下に出現したら、注目するのも無理はないはだろう。だが、それを理解したところでこの不快感を払拭できるほど心の余裕は持ち合わせていないし、何より注目されることそのものに慣れていなかった。


 ―――とにかく、さっさと用件を済ませてしまおう……。

 

 そう心の中で意気込んだ俺は、好奇の視線に耐えながら廊下を進んで行く。

 ほどなくして白上が所属するクラスの教室の前までやって来ると、一人の見知らぬ女子生徒が教室の中から出てきた。教室に入ることに抵抗を覚えていた俺はそれを好機と捉え、その女子生徒に声をかけることにした。


「悪い、ちょっと良いか?」


「え? あ、はい。何でしょう?」


 戸惑いの声を上げながら、訝し気な表情を浮かべる女子生徒。当然の反応である。

 

「今、教室に白上はいるか? もしいるなら、呼んできてくれるとありがたいのだが」


 少女の貴重な昼休みの時間を奪ってしまうことに罪悪感を覚えつつ、俺は訊ねた。

 俺の申し出に対し、少女は快く応じてくれるだろうか。はたまた断るだろうか。

 果たして少女の反応は…………俺の想像に反するものだった。


「しら……うえさん?」


 少女はまるでその名前に聞き覚えがないと言わんばかりに、首を傾げてしまった。


 ―――あれ? 教室間違えたか?


 俺は慌てて教室のプレートを確認したが、白上が在籍しているクラスで間違いはない。

 なおも困惑した表情を浮かべる少女に対し、再度問いかけた。


「白上香恋だよ。このクラスに在籍しているはずだが……知らないか?」


「しらうえ、かれん…………あ、ああ! 白上さんですねっ! はい。確かにうちのクラスです」


 フルネームを用いたことでようやくピンと来たのか、少女は首を縦に振った。

 

「え、ええっと、白上さんに用があるんですよね。教室にいるかどうか、確認してきます」


「悪いが、頼む」


 少女はわずかに苦笑の色を滲ませながら、教室の中に入って行った。やはり、昼休みの時間を奪われることには少なからず不満があるのかもしれない。


 ―――何だか申し訳ないな…………ん?


 心の中で謝罪をしつつ教室の中に目を向けると、件の少女は教壇に立ち、教室を見渡すようにあちこちに視線を送っていた。白上の姿を探しているのだろう。


 ―――いないのか?


 何となく気になった俺は、通行の邪魔にならない程度に出入り口に近づき、遠目から教室の中を覗く。

 昼休みという時間帯もあり、教室の中は大変賑やかだった。入学式から二週間ほど経過しているが、その期間で十分親交が深まったのだろう。クラスメイト同士、楽しそうに言葉を交わす姿が散見される。

 そんな中、ひとりだけ異質な空気をまとっている人物がいた。

 窓際の一番後方の席。その人物は誰とも言葉を交わすことなく、何ならお昼ご飯を口にするわけでもなく、淡々とした手つきで教科書をぺらぺらとめくっていた。

 生気を感じさせない目つきに、感情を削ぎ落したかのような面持。ページをめくる動作もやけに機械的であり、とても勉学に励んでいるようには見えない。

 言わば、手持無沙汰故の退屈凌ぎの行動。すなわち彼女は、この時間を歓迎していないということだ。

 昼休みという、本来なら誰もが待ち望む自由な時間を……。

 そう、それまるで―――

 

 ―――同好会に入る前の俺だな。

 

 自由時間というのは、やりたいことに思う存分時間を費やすことができるから魅力がある。逆に言えば、やりたいことが一切ない空虚な人生を送っている人からすれば、ただの退屈な時間の始まりに過ぎない。

 彼女…………白上香恋もまた、空虚な人生を送っている人のひとり、ということなのだろうか。

 そんなことを考えてると、少女はようやく白上を発見したのか、教壇を降りてまっすぐ彼女のもとに向かって行った。

 ただし、その足取りは心なしか重たい。

 無理もないだろう。今の白上からは近づきがたい雰囲気が出ており、話しかけづらいことこの上ない。

 だが、少女からすれば三年生からお願いごとを仰せつかった手前、引くに引けないのだろう。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべつつも、白上に近づいていく。

 そして恐る恐るといった具合に、わずかに腰を屈めながら白上に声をかけた。

 その声がここまで聞こえてくることはないが、恐らく白上の名前を呼んだのだろう。白上は教科書から目を外し、声をかけた少女の方を見やった。しかしその表情は依然として変わらない。

 声をかけた少女は当然気まずい思いをしているはずだが、それでも何とか笑顔を取り繕いながら二言、三言口にし、そのまま俺の方を指差す。

 その指先に釣られるように白上の顔がこちらに向き、そして視線が合った。

 すると、彼女は目を見開き、今までの無表情が嘘であるかのように破顔する。

 だが、それも一瞬。すぐに元の表情に戻った白上は再び少女に向き直り、小さく首肯する。

 それを以て要件は伝わったのだろう。少女は恐らく別れの言葉と思しき一言を白上に投げ掛け、足早にこちらに向かってきた。


「白上さん、教室にいましたので、先輩が呼んでいると伝えておきました」


「助かった。昼休み中なのに悪いな」


「いえいえ……では、私はこれで」


「ああ」


 そう返事をすると、少女はぺこぺこお辞儀をしながらこの場を去って行った。俺のお願いを律義に聞いてくれたり、最低限の礼節を欠かさなかったりと、本当にいい娘である。

 そんな彼女の背中を見送っていると、裾を軽く引っ張られるような感触が伝わってきた。

 視線を向けると、白上は「こっち」と小さく呟きながら歩き出す。ついてきて、ということだろう。

 特に断る理由はないので、俺は黙って白上について行くことにした。


 ★   ★   ★


 新校舎四階。この階にはクラスの教室は存在せず、音楽室や家庭科室などのいわゆる特別教室や、あるいは生徒会室等の一部の生徒のみが使用するような教室が並んでいる。

 したがって、三階までの賑やかな空気とは打って変わって、人の気配はほとんどない。人の声がまばらに聞こえてくることはあるものの、基本的には静まり返っている。

 そんな空間に先導した白上はどこかの教室に入るわけでもなく、廊下を程よく進んだところで窓辺に寄り掛かった。


「昼休みにわざわざ教室に来るなんて、どうしたの?」


 円らな瞳をこちらに向けながら、可愛らしく小首を傾げる白上。先程少女とやり取りしていたときとは一転して、仕草や表情に感情が宿っている。


「白上って窓際の一番後ろの席なんだな。授業でサボっても目立たないし、羨ましいわ」


「そうだけど、別にサボったりはしないし……というかわざわざそんなことを確認するために来たの?」


「…………いや、もちろんお悩み相談の件だ。ひとつ、確認し忘れたことがあってな」


「確認のし忘れ……? 何かな?」


 顎に指を当てながら、思案するような素振りを見せる白上。どんな質問が飛んでくるのかを予想しているのかもしれない。

 だが、恐らくその予想が当たることはないだろう。こんな初歩的な質問を、このタイミングで受けることになろうとは想像もできないはずだ。

 俺は忸怩たる思いを胸に抱きながら、彼女に問いかけた。


「白上。乾布摩擦って、何時にやってるんだ?」


「…………え?」


 俺の問いに対し、ぽかんとする白上。

 そう。俺が彼女に聞きそびれていたこと。それは『女の人の低く震えた声』が聞こえてくる時間帯についてだった。

 情報伝達や状況把握を行う際の大事な要素として、よく『5W1H』という表現を用いることがあるが、そのうちのひとつである『When(いつ)』の確認を完全に怠ってしまった。

 なぜそんな事態に陥ってしまったのかというと、最初の依頼メールに表記されていた『早朝』という単語から、勝手に五時から六時頃だと解釈してしまったからである。

 以降、その先入観に捉われてしまったがために、時間帯を確認するという発想自体が出てこなかった。

 そして、先入観に捉われたのは俺だけではない。同じく時間帯について言及することがなかった、黒田もそのひとり。さらには…………。


「あれ? 時間って言ってなかったっけ?」


 白上もまた、そのひとりだった。

 彼女の場合は、『早朝』という単語を用いたことで共通見解が得られたかと思ったか、あるいはすでに時間帯については述べている気になっていたはずだ。今の白上の反応がそれを示している。


「そうなんだよ。だから教えてくれないか」


「そっか。えっと…………」

 

 もちろん『早朝』という単語に明確な時間を示すような定義はない。人によって、捉え方はまちまちだろう。

 現に、俺と白上の間でも認識祖語があった。そのことに、今日の朝になってやっと気がつくことができたのである。

 よって、彼女がこれから口にする時間帯についても概ね見当は付いていた。なので驚きこそなかったものの―――


「―――いつも大体、四時ぐらいかな!」


 もっとこのことに早く気付いていればという後悔の念と、それに気付けなかった自分自身に対する恥が同時に押し寄せ、思わずため息が零れたのだった……。

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