暁に響く怨念の声-8


 俺と白上はそこら中に生い茂った雑草を払い除けながら、やがて倉庫の前までやって来た。

 遠目で見たときからおんぼろな様子が見て取れたが、こうして近くで目にするとより一層おんぼろ加減が際立っている。


「ええっと、この倉庫の裏にいつもいるんだっけか」


「うん、そうだよ。こっち」


 白上は軽く手招くような動作を取った後、向かって右側に歩き始めた。

 今さら案内は不要だと思うのだが……ひとまず彼女の後ろをついていく。

 案の定、倉庫を回り込むようにして、そのまま裏手までやってきた。

 最初に俺を歓迎してくれたのは、じめっとした空気だった。

 それもそのはず。左手には錆び付いた倉庫、右手には無機質なブロック塀。そして上に視線を向けると、そこには学校の敷地外に生えている街路樹の枝葉が空を覆っており、日光がまともに差し込む気配が全くない。

 そして奥方には、背の高い雑草がこれでもかというぐらいびっしりと生えていた。なるほど。倉庫を目の前にして白上が俺を誘導した理由は、逆側からだとスペースが雑草で塞がれていて倉庫の裏手に回れないことを知っていたからか。

 さらには案の定地面も全く整備されておらず、湿り気の強い土と背の低い雑草が散見される。

 そんな陰湿とも言える空間の中で注目せざる得ないのは、やはりベンチの存在だろう。

 オーソドックスな木のベンチなのだが、芝生の広場に設置されているベンチとは違い、あちこち虫食いになっていたり倉庫と同じように黒ずみが目立ったりと、やけに年季が入っていた。

 さすがにこんな場所に意図して設置するとは考えづらい。恐らく、昔何らかの理由で設置されたものが、周りの環境が変わってもなおそのまま残ってしまったものなんだろう。


「しかしまあ……意外と良いな。ここ」


 辺りを見回しながら呟くと、白上が意外そうな声を上げた。


「ほんと? てっきり引かれるだろうなー……って思ってたぐらいなんだけど……」


「そうか? 確かに空気はじめっとしているし、あまりきれいな場所とは言えないが……俺はこの閉塞的で静かな感じが結構好きだけどな」


「へえー。何だか変わってるね」


 そう冷たく言い放った白上だったが、安心したかのようにほっと息を吐いたのを俺は見逃さなかった。

 お世辞にもきれいとは言えないこの場所に積極的に通っていることに対して、どう思われるのか不安に感じていたのかもしれない。

 もちろん俺は白上に対して気を遣ったつもりはさらさらなく、この場所が好きだという発言も正真正銘の本音だった。

 

「俺も時々ここに通うか……。とても静かだし、何か考え事をするのには丁度良いな」


 ……まあよくよく耳を凝らしてみれば、下校中らしき生徒たちの話し声や車の走行音がブロック塀の向こう側から聞こえてはくるのだが……。しかしそれらの音に関してはここから道路まで意外と距離があるのか、はたまたブロック塀以外にも遮蔽物が置かれているのかはわからないが、思いの外あまり響いててこないのでそこまで気にならない。少なくとも、学生寮の薄い壁越しに聞こえてくる騒がしい物音や、大勢の下品な笑い声よりは遥かにマシである。


「良いんじゃない? ここにはあまり人が来ないだろうしねー。あ、だけど朝に来るのはやめてよ?」


「わかってる」


 外で乾布摩擦をやること自体どうかと思うが、それでも早朝からわざわざこんな場所に訪れてやってるということは、一応は人の目は気にしているということだろう。

 つまり白上にとってこの場所はプライベート空間としての意味合いも含まれているわけで、本来だったら秘匿しておきたい場所のはず。

 それでも彼女は、異性である俺にこの場所の存在を教えてくれた。もちろんお悩み相談の解決に向けてという正当な理由ありきの行動ではあるが、同時に俺のことをある程度信用してくれているからこそこうして教えてくれたんだろうとも思う。

 だったら当然、彼女の信用を裏切ってはならない。依頼人と請負人という関係性において。そして、人間として。

 さて、そろそろ本題に入るか。


「なあ。白上。声はどっちの方向から聞こえてくるんだ?」


「ん、あっち」


 俺の問いに対し、白上は迷うことなく倉庫を指差した。

 無論、倉庫の中から聞こえてくるというわけではなく、倉庫越しから聞こえてくる、ということだろう。


「つまり、俺たちが来た道の方向から聞こえてくる、ってことだよな?」


「そういうことになるねー」


「…………なるほど」


 俺は白上に返答しつつ、一度倉庫の裏手から出た。

 ここまで歩いてきた中で特段目に付くような物はなかったはずだが、何か見落としがなかったかを確認する意味も込めて、俺たちが来た方向を中心に観察する。

 すると…………意外なものを視界に捉えた。


「あれって…………芝生の広場じゃないか?」


「えっ……ほんとだー」


 背の高い雑草や木々にほとんど隠れてはいるが、確かにあれは芝生の広場だ。

 それも、意外と近い。というかあれは……。


「けど、芝生の広場って結構いっぱいあるんだねー」


「……いや。芝生の広場は敷地のあちこちに点在はしているものの、同じブロックに二つ三つと集中的に設置はされていないはずだ」


「そうなの? じゃああれは……」


「ああ。恐らく、俺たちがさっき見かけたのと同じ広場だ」

 

 体感的にはあの分岐のところからそれなりに歩いてきたつもりだったが、意外とそうでもなかったらしい。しかし今思えば、背の高い雑草を掻き分けながら進んできたので、体感と違っては距離的にはそんなに歩いてなかったのだろう。

 

「というか、白上は知らなかったのか?」


 いくら雑草や木々に隠れて見えづらいとは言え、毎日通っていれば偶発的に発見できそうではあるが。

 それでも白上は首を縦に振った。


「うん、知らなかった。そもそも今の時間帯と違って早朝は暗くて視界が悪いから、見えないと思うしねー」


「そうなのか」


 今一度、芝生の広場に視線を向ける。

 この距離であれば、広場から倉庫の裏まで悠々と声は届くはずだ。

 これはもしかしたら、お悩み相談を解決するにあたっての重要な糸口となるかもしれない。というか、


「白上。明日の早朝、俺ひとりでここに来ようと思う。悪いが明日は乾布摩擦を我慢してくれないか」


「それは良いけど…………どうして?」


「例の『女の人の低く震えた声』の正体を簡単に暴ければそれに越したことはないが、暴けなかった場合を想定して色々と情報を得るためだ」


「……?」


 さすがに説明がざっくりとし過ぎだっただろうか。白上はよくわからないと言わんばかりに首を傾げた。

 だが、すぐに納得したかのように首肯すると、満面の笑みを浮かべる。


「わかった。わらべがそう言うならそれに従う!」


「……助かる」


 よっぽど彼女から信用されているらしい。決して悪い気はしないが、そこまで無警戒だと将来的に色々騙されて痛い目に合わないか心配になってしまう。

 だけど今回に限っては、一々事細かに説明するのは気が引けたので、その返答はありがたかった。


「ひとまず寮に帰るか。このまま黒田を放っておくのもさすがに気が引けるし」


「そうだね。りょうかい!」


 こうして俺と白上は直ちに黒田と合流し、そのまま学生寮へと戻った。

 後は明日、何事もなく解決してくれれば、それに越したことはないのだが……。


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