暁に響く怨念の声-7

 

 足場の悪い林道を二、三分ほど進んで行くと、やがて木々の密集地帯から抜け出すことができた。

 しかしながら眼前に広がったのは、先程のような整った芝生の広場でもなければ、見慣れた生活圏でもなく、ただただ荒廃し切った景色。

 まるで人が足を踏み入れることを想定していないと言わんばかりに、辺り一面に背の高い雑草が生い茂っている。

 そんな中に、ぽつんと鎮座したひとつの物体。

 あれが例の倉庫……だろうか。

 思わず疑問形になってしまったのは、倉庫としての役割を放棄しているのがはっきりとわかるぐらい、変わり果てた姿をしていたからである。

 長い間雨風に晒され続けられたのか、あちこちが錆びついているうえに、植物がこれでもかというぐらいかっつり浸食していた。さらには倉庫の周りもまた、背の高い雑草が取り囲っている。

 そしてその倉庫の奥方に目を向けると、高さニメートルほどのブロック塀が横一直線に立ち並んでいた。さらにその奥には、背の高い木々がブロック塀に沿うようにしてこれまた横一直線に立ち並んでいる。

 あのブロック塀は当然ながら学校の敷地の内外を切り分けている障壁であり、あの木々は街路樹か何かだろう。つまるところ俺たちは、学校の敷地のちょうど端の方にやって来たということになる。

 そしてここまで歩いてきた方向感覚と距離感から察するに、この場所は学生寮や敷地の中央にあるメインの道路、あるいは校門等のあらゆる施設や人工物などから離れた場所、即ち生活圏とは最も縁遠い場所である可能性が高い。

 『人が足を踏み入れることを想定していない』という比喩表現は我ながら案外適切だったのかもしれない。

 さてさて。いつもならこのタイミングで黒田が声を上げて、白上がそれに対して反応するというお決まりのやり取りが行われるはずだったが、辺りは何だか静かだった。

 というか、そもそも二人の姿が見当たらない。

 と、後方から草木を踏んだような乾いた足音と、わずかに荒れた息遣いが聞こえてきた。

 後ろを振り返ってみると、そこには苦悶の表情を浮かべる白上と、その白上に担がれるようにして重そうに歩を進める黒田の姿があった。


「はあ、はあ…………やっと追いついたー。わらべー酷いよー。ちゃっちゃと先に行っちゃってー……」


「わ、悪い。……ていうか、黒田はどうしたんだ?」

 

 白上は表情とは裏腹に声には多少の覇気があったが、黒田に関しては完全に脱力し切っているのか、だらんと下げた腕や俯き加減の頭がぴくりとも動く気配がなかった。

 俺はすぐさま二人のもとに駆け寄り、黒田の左腕を抱えた。

 すると、今まで黒田の身体をひとりで支えてきたのであろう白上は安心したように一息吐いたが、今度は困ったような表情を浮かべた。


「わかんないよー……何か急に足取りが怪しくなってさー。声をかけてみたら、急にわたしに寄り掛かってー……」


「おいおいマジか……。おい、黒田大丈夫か?」


 俺は黒田の背中を軽く叩きながら声をかけると、彼女はそれに呼応するかのようにのそりと顔を上げた。それから今の自分が置かれた状況を推し量るかのように辺りを見回すと、やがて俺と視線を合わせる。

 その目は酷く伏し目がちであり、息も絶え絶えと、いつもの溌溂さが全く見て取れない。

 単なる体調不良か。あるいは学校の敷地内とはいえ、ここは自然の中。何か変な虫や植物にでも触れて毒でももらってしまったのだろうか。

 様々な憶測を頭の中で飛び交わせながら様子をうかがってると、黒田はひとつ大きく深呼吸し、それから口を開いた。


「……疲れた、足痛い、しんどい、休みたい……」


「…………は?」


 この瞬間、俺の考えていたことは杞憂だったのだと察することができた。

 要するに、単に歩き疲れただけらしい。


「いや、お前…………体力なさすぎだろ……」


 確かにここまでノンストップで歩いてきたが、それでもたかが十数分程度だ。多少息が上がることはあっても、ここまで疲弊するのは正直軟弱と言わざる得ない。


「というかさっきまで元気そうに白上と会話してたじゃないか」


「それが、結構無理して取り繕ってたみたいで……」


「そうなのか……」

 

 思えば芝生の広場で声を上げていたときもやたらと汗をかいていた気がしたが、あれは単純な運動や気温によるものだけではなく、脂汗も含んていたのかもしれない。


「とりあえず一旦戻るか。黒田がこの状態では調査も難しだろうし」


 俺がそう提案すると、黒田はだらんと下げていた腕を上げた。


「だいじょぶだいじょぶ……。私は適当なところに座って休んでるから、二人で行ってきてよ……」


 そう言うと黒田は俺と白上の身体を力なく振り払う。それから今にも転びそうなほど不安定な足取りで近くの樹木まで歩くと、そのまま幹の上に腰を降ろした。

 

「い、いや、しかし、こんなところにひとりで置いていくのはさすがに―――」


「別に脱水症状や熱中症になったわけじゃないし、ここはあくまで学校の敷地の中……。危ない動物や虫がいるわけじゃあるまいし、多少放ってくれても大丈夫だって。ほら、早く行った行った……」


「…………」


 黒田は顔を上げ、それから力なく笑みを浮かべた。

 こんな所で余計な足を引っ張りたくないが故に、見栄を張っているのだろう。

 彼女の責任感や、同好会に活動に対する思いの強さについては重々に承知している。

 ここは…………彼女の意思を尊重してあげるべきか。


「わかった。何かあったら声を上げるんだぞ」


「……私はアクションもので命の危機に晒されているモブの子供か何かかな?」


 黒田は何やら良くわからない例えを持ち出しながら、軽く手を振って見せた。まるで、わかったからさっさと行けと言わんばかりである。

 

「ということだ。行くぞ、白上」


「あっ、うん……」

 

 白上としては黒田を置いて行くことに抵抗があったのだろう。心配そうに何度も後ろを振り返る。やがて黒田の身体が木の陰に隠れて視界に映らなくなったところでひとつ嘆息し、俺に問いかけた。


「ねえ、本当に良いの? 置いてっちゃって」


「ああ。まあ距離的にもそんな遠いわけじゃないし、命の危険があるわけでもないし、大丈夫だろ」


「……そうなのかなー。まあわらべがそう言うならそれで良いけど……」


 いまいち釈然としない反応を見せつつも、一応は納得してくれたらしい。

 

「それにしても…………」


 と、白上は今度はげんなりとした様子で口を開いた。


「黒田先輩。体力なさすぎでしょー……」


「それな」


 こればかりは俺も苦笑しながら同意せざる得なかった。

 どうやら黒田が鍛えるべきは、パソコンのタイピング操作だけではないらしい。

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