暁に響く怨念の声-3
今日も今日とて退屈な授業を受け続けることおよそ四時間。
ようやく昼休みの時間が訪れた。
いつもなら購買部が空く時間帯を狙って売れ残った物を適当に調達するか、このまま昼を抜いて睡眠に没頭するかの二択なのだが、今日ばかりはそう悠長に構えるわけにはいかない。
理由はもちろん、件の相談者とのアポイントメントがあるからである。
「行きますか…………」
朝に学生寮であらかじめ購入しておいた昼食を手にし、そのまま教室を出た。
★ ★ ★
「ん?」
旧校舎の三階に訪れると、部室の前に佇んでいる見知らぬ女子生徒の姿を発見した。
制服を着ているから高校生と判断できたわけだが、街中で見かけたら中学生、下手したら小学生と見紛えもおかしくないほど小柄な少女だった。しかも短髪で前髪が切り揃えられた、俗に言うおかっぱのような髪型が、より幼さを演出している。
こんな埃が散らかっている三階にわざわざ足を踏みいれる人なんて限られている。ましてや部室の前にいるとなれば、少女の正体は言うまでもないだろう。
少女はすでにノックをして中に人がいないことは確認したのだろうか。ただじーっとその場に佇んでいた。
「ええっと……こんにちは」
そんな彼女に、俺はひとまず声をかけてみた。
すると少女は俺の方に身体を向け、きっちりとした所作でお辞儀をした。
「お悩み相談同好会の方ですよね……。初めまして。相談依頼をさせていただきました、一年の
「ど、どうも……三年の萱童だ。……よろしく」
学生らしからぬ恭しい挨拶に、思わず戸惑ってしまう。
一方の少女……白上香恋は、再度「よろしくお願いいたします」と固く頭を下げてきた。
幼げな体躯とは裏腹にその言動はやけに大人びている……というよりはどことなく距離感を覚えた。表情の変化も乏しく常に無を貫いており、逆の立場なら歓迎されていないんだなと心の中で居心地の悪さを噛み締めるに違いない。
しかし、そうか……彼女が件の『女の人の低く震えた声』の相談者なのか。
ホラー系統を苦手にしているような相談内容だった故にもうちょっとおどおどしたような人かと思ったので、ちょっとばかし意外だった。
「あの」
「っ! あ、何だ?」
色々と思考を巡らせていた中、急に声をかけられたので驚いてしまう。
白上はそんな俺のことを、感情の籠っていない目で見上げていた。
「いえ、中に入らないのでしょうか?」
「ああ、すまん。ここの部室の鍵を俺は持ってなくて。もうひとりが鍵を持ってきてくれるから、ちょと待ってくれるか」
「……承知いたしました」
白上は俺の返答に対し、素直に首肯して見せた。
やはり、彼女の表情に変化は訪れない。
いえ、中に入らないのでしょうか?
この質問は、一体どんな心情を抱いて口にしたのだろうか。単純に部室に入らないことに疑問を思っただけなのか。あるいはこの埃っぽい空間に長居することに嫌悪感を覚えたのだろうか。
……承知いたしました。
この返事に込められた意味は何だろうか。疑問が解決したことに爽快感を覚えたのだろうか。あるいは鍵を用意していない俺に呆れただろうか。はたまた引き続きこの埃っぽい廊下に立ち続けなければならないことに怒りを覚えたのだろうか。
白上の表情からは、それらの感情が一切読み解けない。そんな彼女に対し俺は、なぜか多大な不安を覚えた。
その理由はすぐにわかった。
―――そうか……。白上の姿は、ちょっと前の俺と被って見えるのか。
いや、俺は自身を客観的に見たことがないので、本当に被っているのかどうかはわからないのだが…………少なくともあらゆる感情や想いを誰にぶつけることなく心の奥底に押し留めている部分は間違いなく共通している。
俺は今でもそこまで感情豊かとは言えないが、それでも黒田という存在のおかげで周りに目を向けて、言葉にしてあらゆる感情を発信するということを覚えた。
白上も……そのことを覚えたら、少しは良い方向に変わるのではないだろうか。
そんなお節介な感情を抱いたからだろうか。俺は思わず余計なことを口走ってしまった。
「もっと、感情や思ったことを表に出して良いんだぞ」
瞬間、空気が凍り付いたような気がした。
慌てて白上の方に視線を向けると、彼女もまた俺の方に視線を向けていた。
互いに視線を交錯させることおよそ十数秒ほどだろうか。
白上はふと視線を反らして前方を見つめながら、小さく呟いた。
「……そうですか」
気のせいだろうか。心なしか、彼女の口元が若干緩んだような気がした。
それが気のせいじゃないのだとしたら……白上は俺ほど重症ではなさそうだ。
「お待たせー!」
そしてようやく待ち人来たる。部室の鍵を取り出しながら、慌てた様子で走ってくる黒田の姿があった。
…………何だからしくない思考を働かせてしまった。
俺の目的はあくまで『女の人の低く震えた声』の件の解決だ。それ以外の要素に首を突っ込む必要はない。
―――いや、むしろ首を突っ込んじゃいけないんだ。
そう自分に言い聞かせながら、俺は黒田と白上に続いて部室に入った。
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