暁に響く怨念の声-2
その後も聞き込みを続けたが、中々情報を得ることができなかった。
そもそも初っ端に雲野から情報を得られたのがラッキーだったのであって、いくら寮生とはいえ、早朝に出歩く習慣のある人なんてそうそういないのだろう。
それでも根気強く声をかけ続けること、およそ十数人目になるだろうか。
「はい。早朝に、よく、外に、出ます…………」
待ち望んでいた返答をくれたのは、またもや女子生徒だった。
少女は
雲野とは打って変わって落ち着いた雰囲気を醸し出しており、そのゆったりとした口調と絶えず視線を彷徨わせている姿を見るに、あまりコミュニケーションを図ることを得意としているようには見えなかった。
長い時間拘束するのは何だか申し訳ないので、俺は早速『女の人の低く震えた声』について訊ねた。
山野辺は黒縁の眼鏡を中指で押し上げたのち、人差し指をこめかみに当てて思案する素振りを見せる。
だが、続いて彼女の口から放たれた言葉は、予想通りの内容だった。
「いえ……、聞いたことない、です」
「やっぱりそうか…………ちなみに物音とかはどうだ?」
「とっても、静かですよ。そもそも、作業に、集中するために、なるべく雑音などを、耳に入れないようにしているのですが……」
「作業とは?」
「風景画を描くのが、趣味でして……作業とは、それです……」
「なるほどな」
要はその風景画を描くために外に出ている、ということなのだろう。
うちの学校の敷地は無駄に広く、過去に緑化運動を行ったとかで大層緑が溢れている。確かに風景画を描く上では、題材は選び放題と言えそうだ。
「了解。こんな時間に話を聞いてくれてありがとう」
「いえ、それではこれで、失礼いたし……ます」
山野辺は何度も頭を下げると、やや速足で女子寮の方に向かっていった。無理をさせてしまっただろうか。
お互い口数が少ない故にシンプルな会話となってしまったが、情報は得ることができた。俺は一度食堂の隅の方に向かい、それから小声で黒田に話しかける。
「今の人も声も物音も聞いたことがないと答えた。『女の人の低く震えた声』っていうのは、やはり相談者の幻聴なんじゃないか?」
『うーん、そうなのかなあ。だけどもうちょっと聞き込みしてみようよ』
「そう言ったって、これ以上は聞き込みしても都合よく―――」
『―――いや、まだいるでしょ? 聞き込みをする相手が。そろそろ行こうか』
「…………あー」
その聞き込みをする相手というのは誰のことを指しているのかは明白だった。
「…………やっぱり行かなきゃダメか」
俺は食堂のテーブルに目を向ける。そこには食事を終えた運動部員と思しき生徒たちが、楽しげに談笑をしている姿があった。
『いきなりあの集団の輪の中に入って声掛けするのはハードルが高いと思って避けるよう言ったけど、色んな人に声をかけたことでだいぶ慣れてきたでしょ? そろそろ突撃してもらわないと』
「そりゃそうかもしれんが…………」
赤の他人に声をかける行為自体に抵抗を感じることはなくなったが、それでも声をかける対象はある程度選んできたつもりだ。やはりハイテンションで談笑をしているパーティ・ピープルのような集団に突撃するのはさすがに臆してしまう。
だが俺も最初から睨んでいたが、運動部員の中には早朝練習を行っている生徒も数多くいるため、聞き込みをする対象としては打って付けなのは確かだった。
―――行かない手はないか……。
「…………わかった。突撃してみるよ」
『よく言った! さすが童。よし、行ってこい!』
何がさすがなのかはわからないが…………こうなったらもう引っ込みがつかない。
俺は半ば諦めの気持ちで、運動部員の集団に少しずつ歩み寄る。
誰に声をかけようかと見回してみると…………なおも談笑に耽っている運動部員たちを、端っこの席から眺めているひとりの男子生徒を発見した。
その男子生徒は会話に参加する素振りは見せず、時々微笑んだり頷いたりと聞き手に徹している様子だった。
―――彼にこっそり訊ねれば、雰囲気を壊すことなく聞き込みができそうだな……。
俺は注目を浴びないように、静かに彼のもとに向かう。
それから中腰になり、囁くように声をかけた。
「あの……ちょっと良いか」
しかし、ここで誤算があった。
「おう! 何だ!」
彼の返答の声が予想外に大きかったのだ。
案の定、談笑に耽っていた運動部員たちは揃って口を閉ざし、俺の方に視線を向けてきた。最悪の展開である。
注目を浴びてしまったことに対する気まずさと、イヤホンの奥で笑いをかみ殺すような声を上げている黒田に対する怒りで感情が綯い交ぜになる。
どう対処しようか。脳内で一生懸命思案していると、思わぬ所から救いの手が差し伸べられた。
「ああ、ごめんごめん。俺ちょっと彼と話があってね。こっちは気にしなくて良いよ」
件の男子生徒が爽やかな笑顔を浮かべながら、運動部員たちにそう声をかけたのだ。
すると運動部員たちは疑るような素振りを見せることなく、再び談笑を始めた。
まさかのフォローに呆然としていると、男子生徒は困惑したような表情を浮かべた。
「あれ、もしかして間違ってた? てっきり萱は注目を浴びたくないんだと思ったんだけど……」
「い、いや。間違ってない。ありがとう。……てか、俺の名前……もしかして同じクラスだったか?」
「んや。同クラではないけど、二年の時に体育の合同授業で何回か一緒になったことがあるから、そのときにな」
「合同授業って……数えるぐらいしかなかったよな?」
「そうだね。まあ人の名前を覚えるのは得意だし」
さも当然だと言わんばかり、笑みを浮かべて見せる男子生徒。
クラスメイトの顔さえ覚える習慣がない俺からしたら、十分驚愕に値するレベルである。
「だがすまん。俺はお前のこと知らなくて……」
「あはは。オーケイ。俺の名前は
俺の失礼に値する発言に対して気に留めることなく、朗らかに挨拶をこなす南川。
そんな彼の自己紹介にあった『サッカー部のキャプテン』というフレーズに、俺は微かながら思い当たる節があった。
一年生から早くもスタメンとして頭角を現し、類い稀な実力と人間性、キャプテンシーを高く評価されて二年生の段階で異例のキャプテン就任。その美貌やルックスも相俟って、特に異性からは絶大な人気を誇っているとかなんとか。
思えばこの端正な顔立ちも、見覚えがないこともない。というか同じ寮生という立場であり、なおかつ部活のキャプテンとなれば部活紹介等で表舞台に立つことも多々あっただろうから、見かける機会なんて多分にあったはずだ。
この俺が知っているのだから、彼の注目度というのは相当なものであることがわかる。
「それで? 改めて俺に何の用だ?」
というわけで、例の如く『女の人の低く震えた声』に関して心当たりがないかを訊ねた。
だが、返答に関してもまた例の如くであった。
「さあ。聞き覚えがないな……」
「やはりか……。ちなみに声とか物音自体、何か聞こえることはあるか?」
「サッカー部を含めた俺たち運動部員がランニングをする際に掛け声を出すことはあるけど……それ以外は特にないな」
「了解。ありがとな」
「おう。後で一応、部員や他の部活の人にも確認してみるけど……あまり期待はしないでくれ」
俺は改めて南川に感謝の言葉を述べ、再び食堂の隅に向かう。
それからいつものようにハンズフリーで黒田と連絡を取ろうとすると、当の彼女が姿を現した。
「聞き込みお疲れ様」
「お疲れ。今日はもう終わりか?」
「うん。まあ何人かに訊ねることはできたし、時間的にもちょうど頃合いじゃないかな。今日はありがとね」
「ふう…………」
その言葉を聞いて、俺は安堵の溜め息を吐いた。いくら慣れてきたとは言っても、精神的負担は計り知れないものがあったのは否めない。
さすがの黒田も俺を揶揄うようなことはせず、労いの言葉をかけるに留まる。
「どうしようか。この後聞き込みの結果を踏まえて少し話し合いをしようかなと思ったんだけど……疲労困憊しているみたいだし、今日はこのまま解散しようか」
「ああ、そうしてくれると助かる」
黒田のありがたい申し出に、素直に首肯した。ここまで早く床に就きたいと思ったことが過去にあっただろうか。
それに聞き込みの結果は総じて、『女の人の低く震えた声』に心当たりがないというものだった。この結果を踏まえて話し合いをしたところで、さして実のある会話ができるとは思えなかった。
「よし。今日は本当にお疲れ。あとは明日、相談者からどのような話が聞けるかだね」
「……だな」
その短いやり取りを最後に、今日は解散となった。
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