暁に響く怨念の声

暁に響く怨念の声-1

 

 依頼者は特に顔を合わせることに抵抗はないようで、滞りなくアポイントメントを取ることができた。

 あとは明日、お悩みの解決に向けて有益な情報が得られるのを祈るばかりである。

 そう思っていたのだが…………。


「ねえ、せっかくだし、学生寮で聞き込みをしてみない?」


 黒田はまるで妙案を思いついたと言わんばかりに、そんな提案をしてみせた。


「もしかしたら何か目撃情報……もとい、耳撃情報があるかもしれないよ?」


 彼女の言うことは一理ある。

 早朝という時間帯である以上、普通の生徒はまず遭遇しようがないが、学校の敷地内をある程度自由に行き来できる寮生ならその限りではない。

 それこそ朝練をしている運動部員は多数いるし、俺や依頼者のように気まぐれで出歩く人だっている。

 つまり、聞き込みを実施するにあたって、学生寮は最良のロケーションというわけだ。


「早く情報を仕入れるに越したことはないし、良いんじゃないか?」


「よし、じゃあさっそく行こうか」


「おう、行ってら」


 俺は軽く手を振り、歯磨きをするために洗面所に向かう。

 そんな俺を逃がさんとばかりに、黒田にブレザーの後ろ襟を掴まれた。


「いやいや、童も行くよ」


「え、嫌だ。人と話すの苦手だし」


「清々しいほどのコミュ障宣言…………。駄目だよ? うちの同好会は他人とのコミュニケーションが必至なんだから。それこそ明日、依頼者とも会話するしね」


「世の中には、適材適所という素晴らしい四文字熟語がある」 

 

「残念ながら部員は二人しかいないから、分担をする余裕はないんだよね。しっかり苦手を克服しれくれないと」


 そう言いながら、黒田は後ろ襟をクイクイと引っ張る。絶対に逃がさないぞ、という意思表示だろうか。

 俺は小さくため息を吐いた。こうなったら彼女に従うしかない。


「わかった。俺も行くよ」

 

「うん。よろしい」


 黒田は満足したようにひとつ首を縦に振ると、ようやく襟元を解放してくれた。

 何だか彼女の掌で踊らされているようで、些か気に食わない。

 なので、少しばかりやり返すことにした。


「それはそれとして、分担する余裕はないということは、即ち黒田には今後もブログの更新作業もお願いするということになるな」


「う、うん……そういうことになる……のかな?」


「手始めにまずは、ショートカットキーを覚えるところから始めようか」


「うっ…………」


 黒田は苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべる。やはり、パソコン操作に対して苦手意識があるのだろう。

 彼女は苦笑を浮かべたままそっぽを向きつつ、口を開いた。


「世の中には、餅は餅屋という素晴らしいことわざがあってね……」


「おいこら」


 とまあ、こんなくだらないやり取りをしつつ、俺たちは食堂に向かうのだった。


 ★   ★   ★


 再び食堂にやってくると、さっきより多くの人で溢れ返っていた。

 時間帯的に、部活動を終えた生徒たちが挙って学食に押し寄せてきたのだろう。

 厨房のスタッフの数も増えており、誰も彼もが忙しなく、しかしながらどこか手慣れたように生徒たちの注文を次々と捌いていた。

 さてさて、これからこの食堂で聞き込みを開始するわけだが、黒田の姿が見当たらない。

 その理由について俺は知っている。だからこそ、さっきからブレザーの内ポケットでブーブー震えている携帯電話を無視していたのだが…………このままこうしていても埒が明かないか。

 俺は黒田から手渡されたハンズフリーイヤホンを耳にセットし、渋々携帯電話の通話ボタンをタップした。


『あっ、やっと繋がった。遅いよ童。一体、何してたの?』


「気乗りしないからしばらく放置していた」


『よくもまあ、悪びれることなくさらっと言えるね……。あのねえ、これは決してイジワルじているわけではなく、童のためにやってるんだからね?』


「わかってるよ。やれば良いんだろやれば……」


 黒田に言わせれば、同好会としての活動を行っていくうえで、他人とコミュニケーションを図ることに消極的である俺の存在はネックになってくるという。

 そのため、俺の受動的な性格は根本から直さなければならない。そんな中で、これから行う聞き込みという作業は他人に積極的に話しかけることが必至であり、まさに打ってつけの荒療治である。

 そう考えた黒田は、今回の聞き込み調査を俺に一任することにしたのである。彼女がここにいないのはそれが理由だ。

 正直ありがためいわくな話なのだが、一方で彼女の見解は確かに的を得ているため、甘んじて受け入れざるを得なかった。


『まあまあひとつの訓練だと思ってやってみようよ。何か困ったら、私なりにサポートするからさ』


 周りを見渡してみると、女子寮へと続く通路の途中に立っている柱の陰から、携帯電話を片手に食堂を覗き込んでいる黒田の姿を発見した。

 目が合うと、彼女は笑顔で手を振ってきた。

 そうやって見守ってくれるのは大変ありがたいのだが、傍から見ればただの怪しい人である。

現に寮の部屋に戻ろうとしている女子生徒たちが、次々と黒田に対して怪訝な視線を送っていた。


『よし。じゃあ早速聞き込みを開始しよう』


「開始するっつっても…………」


 俺は改めて食堂を見渡した。

 この場にいる人の大半はこの学校の生徒だ。彼らと同じ生徒であり、しかも最高学年に当たる俺のような立場であれば、声をかけることに抵抗を感じる必要はないのかもしれない。

 しかし、常に周りと距離を置いて生活してきた俺からすれば、誰も彼もが赤の他人に過ぎなかった。いわばここで声をかけるということは、街中で見知らぬ人に声をかけるのと同じこと。俺にとっては高いハードルである。

 食堂内でまごまごしている俺を見兼ねたのだろう。ここで黒田が早速アドバイスをくれた。


『とりあえず、食事を終えて一人で寮の部屋に戻ろうとしている人に声をかけてみたら?』


「ん? それはどうしてだ?」


『だって、グループの輪の中に割って入って聞き込みをするのはきついだろうし、食事中の人に声をかけるのもちょっとした抵抗感があるでしょ? だったら食事を終えて、かつひとりでいる人に声をかけるのが一番難易度が低いんじゃない?』


 その通りだ。大勢の中に割って入るのは論外として、食事中の人に声をかけるのも確かに抵抗がある。


「だけど、運動部員をターゲットにした方が情報が得られそうだよな? だとしたら、食事中の人に声をかけた方が…………」


『今のあなたは質を重視できるほど余裕がおありで?』


「…………いや、ない」


 反論の余地なし。ぐうの音も出ないとはこのことである。


『ほら、私の目の前を通って部屋に戻ろうとしている女子がいるよ! 早速声をかける!』


「お、おう! …………あーえっと、ちょ、ちょっと良いか?」


「?」


 黒田の有無を言わさぬ物言いに焦燥感を駆られた俺は、考えなしにひとりの女子生徒に声をかけてしまった。

 女子生徒は肩をびくっと震わせると、一本にまとめた栗毛色の三つ編みをなびかせながら振り返る。そして俺の姿を見ると、案の定眉を顰めて見せた。

 そりゃあそうだ。名も知らぬ男子生徒が必至の形相で声をかけてきたら、不審がるのは当然である。このまま逃げ出してもおかしくない…………と、そう思っていたのだが。

 女子生徒は逃げ出すどころか、俺の顔を品定めするようにじーっと見つめると、僅かに口元を緩めた。


「ええっと…………何か御用事? 先輩…………であってますかね?」


「あ、ああ。………名前はかやわらべ。高校三年生……だ」


 声をかけたはいいものの、具体的な会話が思いつかなかったため、なんとなしに自己紹介をしてしまった。

 そんな俺を微笑ましいと言わんばかりに女子生徒は失笑すると、ただでさえ垂れ目がちの目尻がより一層下がった。


「これはこれは御丁寧にどうも。わたしは二年の雲野くもの織江おりえと言います」


 そう言って女子生徒…………雲野は一礼した後に顔を上げると、にへらと笑った。

 ……何だか独特の雰囲気をまとった少女だ。そのおっとりとした口調や仕草に、こっちまで脱力してしまいそうになる。

 だが、分け隔てることなく俺と会話をしてくれる彼女のスタンスは本当にありがたかった。おかげで滞りなく本題に入れそうだ。


「改めて、私に何か御用時?」


「ああ。俺はお悩み相談会という同好会に所属しているんだが、ついさっきお悩み相談を受けてな。その解決に向けて色々聞き込みをすることになって、たまたま近場にいた雲野に声をかけたってわけだ」


「おー、聞き込みとは中々本格的ですな~。それで、何が聞きたいんです?」


「実は―――」


 ここで俺は、お悩み相談の内容を簡潔に伝えたうえで、『女の人の低く震えた声』について何か心当たりがないかを尋ねた。

 もっとも、見た目の印象や疾うに食事を終えていることから鑑みて雲野は運動部員ではなさそうだし、特に情報は得られそうにないと思っていたのだが。

 彼女からの返答は、ちょっとばかし意外なものだった。


「わたしもよく早朝に外に出ますよ」


「え? そうなのか?」


「はい。だけど残念ながら、女の人の声に心当たりはないかな~」


「声じゃなくても、物音とか何か聞こえてきたりは?」

 

「いえいえ。何にも聞こえてこないですよ。静寂に包まれてますね」


「そっか…………」


 俺も聞いたことがないし、雲野自身も心当たりがないという。これはいよいよもって、相談者の幻聴説が濃厚になってきただろうか。


「ちなみに参考までに、雲野は何をしに外に出てるんだ?」


「ええっとそれは…………」


 ふと、雲野は周りの目を意識するかのようにちらちらと視線を彷徨わせた後、俺に向かって手招きをする。

 彼女の誘導に素直に従うと、人の出入りが少ない非常口の前のスペースまで連れてかれた。


「実は、この子達とちょっとお出かけを…………」


 そう小声で囁くように言った雲野は制服のポケットに両手を突っ込むと、ある物を取り出して左右の手にそれぞれ


「えっ……」


 それを見て、俺は思わず絶句してしまった。

 雲野が左右の手にはめ込んだのは、いわゆるパペットだった。

 右手には大変愛くるしい熊のパペット。口をパクパクさせたり、機敏に頭を左右に振るう仕草はまさしく人形劇のそれであり、パペットを操る雲野の技量も中々のものだった。

 そこまでは良いのだが……問題は左手の方だった。

 ごてごてとした和装に長い黒髪。パツンと切られた前髪から覗いているのは薄く整えられた眉毛、そして特長的な糸目。全体的に肌白で落ち着いた雰囲気がある中で、彼岸花のような真っ赤な唇だけは確かな存在感を放っている。

 俗にいう、日本人形のようなものが彼女の左手にはめられていた。

 別に日本人形に対して偏見や恐怖心を持ち合わせているわけではないが、パペットとして見るとさすがに違和感がある。しかも、今もなお可愛らしい動きを継続している熊のパペットと打って変わって、日本人形はなぜか明後日の方向を見ながら微動だにしていなかった。そして、心なしかわずかに荒んだ髪の毛や肌が、より不気味さを演出している。


「ええっと……それは……」


 俺は日本人形について問うたつもりだったのだが、雲野はまるで黒子にでも徹するかのように俯き加減になると、熊のパペットを差し出した。


『こんにちは! 私の名前はベア子っていうの! よろしくね!』


「……おー」

 

 今までのどことなくゆったりした口調とは打って変わって、溌溂とした甲高い声が雲野の口から発せられた。しかも腹話術で。

 その技術には素直に感心させられるのだが、やはり日本人形が気になって仕方がない。


「ええっと……ベア子ちゃん、だっけ?」


『うん! 何かな!」


「その、お隣にいる子はいったい……」


『ねえ、お兄さん』


「ん?」


 さっきまでの溌溂した口調はどこへやら。ベア子は急に落ち着き払ったような声を出すと、威圧するかのように俺の眼前まで近づいてきた。

 そしてやんちゃをする悪い子に言い聞かせるように、静かに囁く。


『世の中にはね。知らなくて良いこともたくさんあるんだよ』


「そ、そうか……」


 暗に日本人形のことは聞くなということだろうか……、というか怖い。

 俺の曖昧な返事を了承と捉えたのか、ベア子は満足そうに二回首を縦に振ると、元の定位置まで戻った。


『というわけで、これからよろしくねお兄さん!』


 ベア子は再び溌溂とした声を挙げながら、握手を促すかのように右手を差し出した。

 何が「というわけで」なのかはわからないが、ひとまずその右手を軽く握っておく。

 それから、ちらっと日本人形の方に目をやった。気のせいだろうか。さっきまで明後日の方向を見ていたと思うのだが、今はこちらをじーっと見つめている。怖い。


「とまあ、こんな感じで人形劇をちょっとした趣味としているわけですよ。早朝に外に出てるのはその練習のためです。これ、他言無用ですからね。他に知っている人は皆無なので」

 

 雲野は両手にはめていたパペットをポケットにしまうと、照れ臭そうに打ち明けてくれた。


「そんなこと、初対面の俺なんかに話しちゃって大丈夫なのか?」


「うーん、聞き込みの過程で流れで話しちゃいましたけど……先輩は無暗に言い触らしたりするイメージはないですし、まあ良いんじゃないかなー」


 そう言って純粋無垢な笑顔を浮かべる彼女の辞書には、『疑い』の文字はないのだろうか。

 それはともかく、初対面の俺に対して全幅の信頼を寄せてくれるのは正直悪い気はしないが……。

 だからこそ雲野に対して強い罪悪感を抱かざるを得なかった。

 一人いるのだ。この会話を遠くから耳にしている人が。


「ひとまず、了解した。こんな時間にもかかわらず、聞き込みに協力してくれてありがとな」


 何となく居た堪れない気持ちになった俺は、早急に会話を切り上げることにした。

 もっとも、彼女に対してこれ以上尋ねることはなかったので、切り上げるにはちょうどいい頃合いだろう。

 雲野も特に疑問を抱くことなく、素直に首肯してみせた。


「いえいえ、とんでもないです。聞き込み、頑張ってくださいねー」


 雲野は小さく会釈をしたのち、寮の部屋に向かって歩き出した。

 彼女の栗毛色の三つ編みが忙しなく左右に揺れているのを目にしながら、俺は小声でつぶやいた。


「くれぐれも彼女のことは言い触らすなよ」


『そりゃあもちろん』


 当然だと言わんばかりの黒田の返答に安堵しながら、俺はとある疑問を頭に浮かべる。


 ―――結局、あの日本人形は何だったんだ……。

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