お悩み相談メール


「ごちそうさま…………あ、そうだ」


 黒田と時折雑談を交わしつつカレーを完食し、お茶を飲みながらリラックスをしていたときだった。

 彼女はふと何かを思い出したかのように声を上げると、ジャージのポケットから携帯電話を取り出し、それを強調するかのように左右に振って見せた。


「そういえば童、メール見た?」


「メールって………まさか、もうお悩み相談が来たのか?」


「やっぱり気づいてなかったか…………お悩み相談同好会の部員として、ちゃんと神経を尖らせなきゃだめだよ?」


「いやまあその通りだけど……、さすがにブログを立ち上げたその日に来るとは思わなかったわ」


 俺も携帯電話を取り出し、メールアプリを開く。確かに、新たにメールを受信したという旨のメッセージが表示されていた。

 ブログを立ち上げて、まだ二時間ほどしか経っていない。それなのにすでに相談が来ているということは、どうやら黒田の読み通り、ブログという手段はしっかりと宣伝効果を発揮してくれたようだ。


「それで? メールの中身は確認したのか?」


「いや、まだ。何て言うか、一人で読むのはちょっと抵抗があって、どうせなら童と一緒に確認したいなと」


「まあその気持ちはわからんでもないな。それこそいじめとか軽犯罪が関わるような深刻なお悩み相談があった場合、それを明日の放課後まで一人で抱えるのは中々しんどいだろうし」


 その点、常に他人と情報を共有できる環境下で確認したいという黒田の気持ちは納得できるものがある。

 まあ、実績が皆無であるうちの同好会に、そんな深刻なお悩み相談が来ることはないと思うが。


「じゃあ、明日二人で確認するということで良いか?」


 俺がそう提案すると、黒田はばつが悪そうに頬を掻いた。


「いやー、できれば今から確認したいなと」


「ん? どうして」


「いやさ…………どんな悩みが来てるのか、ちょっと気になるじゃん」


 ひとりで相談内容を確認するのは怖い。だけどどんな相談が来ているのかは気になる。そんな葛藤に悩まされる黒田の姿が簡単に想像できた。


「そういうことであれば俺は別に構わんが」


「ほんと? じゃあ今から童の部屋に行こうか」


「おう…………ん?」


 あまりにもさらっと言うもんで流れで肯ってしまったが、聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。


「いや待て、何で俺の部屋なんだ?」

 

「だって人があまりいないとはいえ、センシティブな話題を公の場でするわけにはいかないでしょ?」


「そりゃそうだけど…………だったら別に俺の部屋じゃなくて、黒田の部屋でも―――」


 と、途中で失言であることに気づいた俺は、咄嗟に口を噤んだ。

 それでも黒田は耳聡く俺の発言を一語一句聞いていたようで、悪戯っぽく口元を緩める。


「え、何々? 童、女子寮に来るつもりなの? 嫌らしいね」


「違う。思わず口にしただけで、そんなつもりは―――」


「―――思わずね……。条件反射で女子寮に行きたいと口にしちゃうほど、色々溜まってるのかな。いやあ、何だかんだ言っても男の子だね!」


 そう言って、揶揄するように笑みを零す黒田。

 部室で一緒に過ごしてきたときから感じていたが、彼女はイジリや揶揄いの言動が妙に様になっている気がした。こう見えて、性格的には結構S寄りなのかもしれない。

 ただ、俺としては当然面白くないわけで。


「もう何でもいいから…………とりあえず、俺の部屋に行こうか」


「あはは……よろしくね」


 黒田自身、少々イジリ過ぎた自覚があったのだろう。俺の半ば投げやりな物言いに対し、申し訳なさそうに苦笑した。


★   ★   ★


「へえー、思ったより物があるんだね」


 黒田は俺の部屋を見渡しながら、意外そうに声を上げた。

 物があると言っても、決して散らかっているわけではない。精々備え付けの本棚の中がちょっとばかし賑やかだったり、学習机の上にノートパソコンがあったりとかその程度なのだが、それでも彼女からすれば充分意外性があるのだろう。

 黒田は特に本棚に興味が湧いたらしく、一生懸命覗き込んでいた。


「おー、漫画があるじゃん。ええっと……『魔法少女戦隊ベジタブルズ』、『お隣は憧れの生徒会長』、『山田だと思ったら実は田中だった件』…………何かジャンル問わず色々あるね」


 黒田は感心したように呟きつつ、なおも本棚を物色する。


「他にも小説や実用書、旅行雑誌、極論本や自己啓発本まである………。童の性格から考えると、ちょっと意外」


「確かに俺は無趣味で無頓着な性格だが、植物人間というわけではないからな。文字通り何もせずに、ただただ時間が経つのを待つだけっていうのもそれはそれでしんどかったんだよ。だから趣味や将来の夢を見つけようとしたり、あるいは時間を潰せるような手段はないか色々模索していた時期があった。これらの本はその名残だ」


「なるほどね。確かに漫画は巻数がバラバラだし、実用書のラインナップも一貫性がないもんね。エアロビクス、あやとり、囲碁、書道…………どれも童とは結び付かないや」


「お察しの通り、どれも物になってないからな。むしろ変に浅い知識ばかり身についてしまった」


 これまでの自分の高校生活を客観的に振り返ると、本当に無駄な時間を過ごしてきたんだなあとしみじみと感じる。それも当時の自分はその自覚がなかったのだから、本当に呆れんばかりである。


「それにしても、本当に童は相部屋じゃないんだね」


「ああ、前に黒田にそんな話をしたっけか」


「うん。ちらっとね」


 ここの学生寮は基本的に二人一部屋なのだが、俺は入学以来ずーっとひとりで部屋を使わせてもらっている。

 寮長いわく部屋割の際に偶発的にそうなったらしいのだが、個人的には本当にありがたかった。誰かと相部屋になって三年間暮らすなんて、苦痛なことこの上ないはずだ。


「ちなみに私もひとりなんだよ」


「ほう。てっきり俺が例外的なだけだと思ったから、ちょっと意外だな」


「どうだろう。空き部屋自体はそこそこあるらしいし、他にもいるんじゃないかな。どういう部屋割になっているかは知らないから断言はできないけど」

 

「そうなのか」

 

 ということは、偶発的にそうなったという寮長の言葉は建前であり、俺の性格や人柄を見抜いてあえてひとりにした可能性もあるのか。もしそうだとしたら、寮長の見る目は確かだと言える。

 だがそれだと、黒田をひとりにした理由がわからないのだが。いや、あるいは男子寮と女子寮の寮長は別人なのか。

 …………うん、心底どうでもいいな。


「それはそうと、そろそろ本題に入ろうよ。あまり遅くなっても申し訳ないし」


「ああ、そうだな」


 俺は部屋の隅っこに放置された未使用の座布団を一枚ちゃぶ台のそばに置き、黒田にそこに座るよう促した。彼女は小さく「ありがと」と呟き、それに従う。俺は彼女とちゃぶ台を挟んで対面に位置するところに腰を下ろした。

 黒田はポケットから携帯電話を取り出し、何度か画面をタップして操作すると、口を開いた。


「じゃあ、私が読むね」


「おう」


 部屋中がちょっとした緊張感に包まれる中、黒田は携帯電話の画面をもう一回タップし、それからメールの中身を読み上げた。


『わたしは学生寮に住んでおり、毎日早朝に出歩くのが日課になっています。しかしここ一週間ほどでしょうか。その早朝に、学校の敷地のどこからか女の人の低く震えた声で、『死』とか『呪い』といった物騒な単語が、毎日のように聞こえてくるのです。声の出処がわからず正体も不明のため、恐怖心と不快感が綯い交ぜになり、鬱々たる日々を過ごしています。お悩み相談同好会の皆様、どうか声の正体を突き止めてはくれないでしょうか。よろしくお願いいたします』


「…………」


 何だろう。てっきり勉強とか人間関係とかオーソドックスかつソフトなお悩み相談が来ると思っていたので、ちょっとばかし反応に困ってしまった。


「………何だかホラーテイストなお悩みだね」


 さすがの黒田も同様らしく、僅かに困ったように苦笑する。

 それでもすぐに真剣な顔つきで今一度メールを読み返すと、今度は眉を顰めた。


「けれど、この相談内容を額面通りに受け取ると、依頼者は結構精神的に参ってるんじゃないかな………」


「かもしれないな」


 俺は彼女の言葉に同意しつつ、自身の携帯電話でもメールを開いた。当然ながら、黒田が音読してくれた文面が一語一句そのまま画面に表示される。


「だけどこれだけじゃあ、正直何もわからないね…………童は何かわかったことはある?」


「わかることはないが、疑問に思うところはあるな」


「ほう、どんな?」


「いやさ。実は俺も朝早くに寮を出て時々ぶらつくことがあるんだが、この『女の人の低く震えた声』を一回も聞いたことがないんだよな」


 何もやることがない俺にとって夜更かしするという習慣はなく、風呂に入って歯を磨いたらすぐに床に就くのが日課と化している。しかし、早く寝ればそれだけ早い時間に目が覚めるということ。時には五時頃に目を覚ますこともあり、結局早朝から時間を持て余すのが俺の生活面においてのお決まりみたいなものだった。

 その持て余した時間を潰すための一環として、毎日とまで言わないもののそれなりの頻度で学校の敷地内をぶらつくことがあるのだが、件の『女の人の低く震えた声』は耳にしたことがなかった。


「童は一度も聞いたことがない。だけど依頼者は『毎日のように聞こえてくる』と書いている。そこにある種の矛盾を感じるってことだね」

 

「そういうことだ」


 教室などの閉ざされた空間であればその場所にピンポイントで立ち会わなければ聞こえてくることはないのかもしれないが、開けた空間であれば耳にする機会は多分にあるはずだ。ましてや早朝という時間帯。精々、運動部員の朝練の掛け声ぐらいしか雑音がない中で声を出せば、広範囲にその声は響くはずである。

 それが毎日のように聞こえてくるのであれば、かなりの頻度で早朝からぶらついている俺だって一度は耳にしても良さそうなものだが…………。


―――これは依頼者が何かしらの物音を『女の人の低く震えた声』だと誤認してるか、あるいは幻聴っていう可能性もあるのか…………。


 前者であればそれはそれで物音の正体を探れば良いだけなのだが、後者の場合だと依頼者のメンタルヘルスが関わってくる可能性がある。もしそうなら、果たして素人同然である俺たちに解決できるのだろうか。


「いずれにしてももっと情報が欲しいな。依頼者と直接会って話すことはできないのか」


「そうだね。この相談に返信する形で、明日の放課後に部室に来れないか掛け合ってみようか」


 黒田は早速と言わんばかりに、携帯電話の画面を操作する。タイピング操作よりフリック操作の方が比較的手慣れているのか、思いの外スムーズに文字の入力を行っていた。


「じゃあ送るね」


「おう」


 俺が返事をすると、黒田は画面をもう一度タップした。

 ふと、今日の同好会で黒田が作成した乱文を思い出しちょっとだけ不安になったので、念のため彼女が送ったメールを読んでみる。だがその心配は杞憂だったようで、相談依頼をしてくれたことに対する御礼と相談内容に関する同情、そして明日の昼休みか放課後に部室に来てほしいという旨の内容の文章がしっかりと書かれていた。


「ん?」


 と、黒田が作成した文章に特に問題がないことを確認したタイミングで、新たにメールを受信した。件の依頼者からである。


『承知いたしました。明日の昼休み、部室にお伺いさせていただきます』

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