食堂での一時


 うちの学校には学生寮が存在する。

 新校舎と向かい合った際、左手に旧校舎が建っているのだが、逆に右手にずーっと歩いていくと、敷地の奥に白のコンクリートを基調とした学生寮が建っているのだ。

 まるでツインタワーよろしく八階建ての建物が二棟並んでいるのだが、それぞれが男子寮と女子寮となっている。厳密には一階は食堂や売店などが設置された男女共用のスペースになっており、二階より上が男子寮と女子寮にそれぞれ枝分かれしているような構造だ。

 収容人数は一部屋二人換算で、男女それぞれ百人ずつと、高校の学生寮にしてはそれなりのキャパシティを誇っている。

 ……とまあ、なぜこんなにも学生寮の事情に詳しいのかというと、理由は単純明快。俺もこの学生寮にお世話になっている、寮生のひとりだからである。

 というわけで、本日分の同好会の活動を終え黒田と別れた俺は早々に帰路に就き、間もなく学生寮に到着した。

 いつもならこのまま購買部で夕食と飲み物を購入し、部屋に引きこもるところなのだが……。


 ―――人がいないな……。


 今日の同好会は、ブログの開設作業が終了し、即解散となった。故にいつもより早い時間の帰宅となったため、食堂のテーブル席はがら空き状態である。

 基本的に混雑が嫌いなので食堂で食事をするのは避けてきたのだが、たまにはここで食べるのも良いかもしれない。

 時刻は間もなく十八時を回るところだった。夕食時には些か早い時間だが、かといってこのまま時間が経つと、運動部員を中心にごった返す可能性が高い。


「さっさと食うか…………」


 というわけで早速、カウンターの隣に設置されている券売機のもとに向かう。

 丼物や定食、カレー、うどん、ラーメン等々、品揃えは基本的にオーソドックスだ。

 それとは別に、日替わりメニューがA、Bと二種類あるらしいが、具体的な品目については記載が見当たらなかった。内容については正直気になったものの、わざわざ食堂のスタッフに聞くのはちょっとだけ恥ずかしいのでやめておいた。

 そういうわけで、ここは無難にカレーライスを選択する。

 値段は二五〇円。プラス料金を支払うことでカツを乗せたりライスを大盛にできるオプションもあったが、特段お腹が空いているわけではないのでここはスルーした。

 券売機で購入し、食券を手に食堂のカウンターへ。物腰の柔らかそうな割烹着姿のおばちゃんに食券を渡すと、代わりに番号札が手渡された。

 そのままカウンターの近くで待機することわずか五分。早くも番号札に記載された番号が呼ばれた。

 カウンターでカレーライスとスプーン、数枚の紙ナプキンが乗せられたお盆を受け取り、近くの席に腰を下ろした。

 飲み物については給水機が無料で使えるみたいなのでそれでもよかったが、飲みかけのペットボトルのお茶を持参していたのでそれにする。


 ―――いただきます。


 軽く手を合わせ、スプーンでカレーとライスを掬い、一口。

 …………うん、おいしい。

 正直言って、これといった特色はない。具材に関しても、豚肉、じゃがいも、玉ねぎ、にんじんと在り来たりなラインナップとなっている。味に関しても甘すぎず辛すぎない、まさに平々凡々を極めたようなカレーライスだった。

 だが、そんな馴染みのある味わいだからこそ箸が進む……もとい、スプーンが進むというものである。変に奇をてらって挑戦心を煽るような料理は、却って食欲が湧かない。テレビなんかでよくインスタント食品に一工夫加えたアレンジレシピを紹介するシーンを見かけるが、あれにも抵抗を感じてしまうことがある。

 料理はシンプルイズベスト。それに限る。

 

「あれ? 童が食堂にいるなんて、珍しいなあ」


 と、カレーを二口、三口と食べ進めていると、耳馴染みの声が聞こえてきた。

 俺のことを『童』と気兼ねなく下の名前で呼ぶ人は、一人しかいない。

 視線を上げると、そこには案の定、黒田夕の姿があった。

 いつもの制服姿とは打って変わって、学校指定の紺色のジャージを身にまとっていた。手に持っているお盆の上にあるのは、ざるそばと……とろろご飯だろうか。彼女もこれからここで夕食をとるつもりなのだろう。


「…………そういえば、黒田も寮生だったな」


「まるで今の今まですっかり忘れてたと言わんばかりだね。ひどいなー」


「忘れていたというより、実感がなかっただけだ。ほら、黒田とこうして学生寮で会うのは初めてだし」


「なるほどね。実感がないっていうのはわかるかも。童とこうして学生寮で喋るのも、何か変な感じがするし」


「だろ? 俺も、黒田のジャージ姿を見るのは何だか新鮮な気分だよ」


 しかしまあ、実に不思議なものである。

 俺と黒田は同級生であることから、二年以上同じ学び舎で授業を受け、同じ屋根の下で暮らしてきたはずなのに、俺は同好会に勧誘されるまで彼女の存在を一切知らなかった。 

 もっとも、うちの学校はいわゆるマンモス校で生徒数も多いことから、同級生でも知らない生徒はごまんといるのだが。

 それでも学生寮という限られた人しかいないこの空間で二年以上も過ごせば、一度は黒田の姿を見かける機会はあっただろう。

 端正な顔立ちに明朗な性格、何より高身長でスレンダーな体系と、一度見かければ強く印象に残りそうなものだが、なぜか俺の記憶には全くなかった。

 同好会の勧誘を受けた日に黒田が言い放った、「君の目は、文字通り現実というものを直視していない」という言葉が思い起こされる。俺は本当に周りを見ていなかったんだな。


「せっかくだし、一緒に食べよっか」

 

 黒田はそう提案しつつ、俺の対面に位置する席に腰を下ろした。

 

「ここで食うのか?」


「え? 何か問題ある?」


「いや、問題というかなんというか…………多感な年頃の男女が集うこの場所で、異性同士が二人きりでご飯を食べているところを目撃されたら、変に目立たないかなと」

 

 俺はまだしも、それなりに目を引く存在であろう黒田が男と二人きりでご飯を食べているところを目撃されたら、変な噂が流れるのは容易に考えられることだ。

 ましてやその相手が俺みたいなパッとしない幸薄そうな男となると、良い噂が流れるとは到底思えない。

 俺のせいで黒田の今後の高校生活に悪影響を与えるような事態は避けたいし、遠回しに一緒に食べることを拒否しようと思ったのだが、彼女自身はさして気にならないらしく。


「別に良いんじゃない? 気にしなくて」


「え? そうなのか」


「うん。というか彼氏彼女の関係じゃなくても一緒に食べることなんて別に珍しくないし、気にしすぎだと思うよ」


「そういうもんなのか……」


「そういうもんだよ。あ、だけど童が嫌だって言うなら、遠慮するけど?」


「………んや、俺は大丈夫」


「じゃあ問題ないね。ではでは、いっただっきまーす」


 そう言って黒田は手を合わせると、笑顔でそばをすすり始めた。

 この有無を言わさないような立ち振る舞い。いかにも彼女らしい。

 俺は黒田に迷惑をかけたくないと思ったから、一緒に食べることに若干の拒否感を覚えた。だけど当の黒田本人から気にしてないと言われてしまったら、断る理由がなくなってしまう。つまり極端な言い方をすれば、一緒にご飯を食べることを余儀なくされたということだ。


「ほんと、強引だな…………」


「ん? 何か言った?」


「いいや、何でも」


 思わず口から言葉が漏れ出てしまったことに若干の気恥ずかしさを覚えた俺は、それを誤魔化すためにカレーを一口、二口と口に運ぶ。

 黒田は確かに強引だ。だけど彼女の強引さというのは、決して人を不快にさせるようなものではない。何なら、その強引さに俺は命を救われたと言っても過言ではないわけだ。

 そしてこうして一緒に食事をすることも…………決して嫌ではなかった。

 あるいは彼女は、そんな俺の心情を見抜いたうえでこのような言動をとっているのだろうか。


―――いや、まさかね。


 黒田に対して半分は感謝、半分は末恐ろしさを抱きながら、俺はカレーを食べ進める。

 よくアニメやドラマなんかで、『人と一緒に食べるご飯は美味しい』といったセリフを耳にすることがあるが…………今はその気持ちが十二分にわかる気がした。

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