34.縁結び
2021年 06月11日 17時00分 投稿
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兄弟が少々減っても家族は成り立つらしく、親が死んでも私は葬式に行かなかった。もちろん、兄には散々なお言葉を頂戴し、まだ生きていた叔父には「ひとでなし」の烙印をもらったほどだ。それでも親の葬式に頑としていかなかった、その言い訳を少し垂れ流したい。
私は二十四で親元を立った。ちょうど正社員になった時ところで、六年前に受験戦争に大負けしてから、当時は世にある全てが灰色に見えていた。それでいて私は反抗期を引きずっていた。親元を離れたくて離れたくて仕方なかったので、県外の大学に行こうと思っていたのだけれど、先ほど申し上げた通りの大負けだったものだから、大学生活はすっかりやる気を失ってしまった。そんな時である。生涯の恩師たる、村井氏に出会ったのは。
村井氏は大学の浪人生で、こんなつまらない地方の大学にわざわざ三浪して入ったという物好きだ。私には彼のことがちっとも理解できなかったが、彼の小説には感化された。
「ちょいとお嬢さん、この冊子をちらと見て行ってやくれまいか」
なんて気取った風に言うのを、文化祭のお祭り騒ぎの廊下、初対面の男を訝しげにながめて、はあ、なんて腑抜けた返事をして、冊子をぱらぱらとめくって、めくり切ったところでもう一度ぱらぱらめくって。
「これ幾らですか」と、気づいたら問うていた。彼はニヤリと、その無精髭が生えた顔を──その時初めて私は彼の顔をちゃんと見た──さらに怪しげにさせて、
「それがだなあ嬢ちゃん、タダなんだよ、今はまだな」と曰うもので、私はすっかり感心してしまった。なんせこの外見でこの性格で、こんなに完成された、純文学気取りの恋愛小説を書くのだ。しかもめちゃくちゃに面白い。
その場でファン一号を宣誓して、冊子をもう二冊、文芸部の部長さんには内緒でもらい、さらに一冊、彼が独自に作っていた小説集を五百円で買った。それからまもなく、彼は文芸部を辞めた。私を弟子にとって、師弟で毎日のように文学を買い漁り、読み漁り、議論をしては意気投合し、お互いの作品をけちょんけちょんに貶したり褒めそやしたりして、借りた本を頻繁に、下手すれば一ヶ月は延滞し、図書館の司書さんに迷惑顔をされるようになった。私は文学の初心者だったから、彼のお眼鏡に叶うものはちっとも書けやしなかった。一方で彼は元から高い文学性を持ち、独自の世界を広げながらも誰かのものとすることを、つまりは私が模倣するのを嫌い、私の書く文章で彼に似たところが少しでもあると、
「オイ、こいつはパクリだぞ。テメェの文章を書けや」
とどやすのだった。とはいえ私も師匠に惚れて弟子入りした身、憧れに似せたいと思うのは必然のことであったから、彼の前では暴言を吐き、
「ハン、誰があんたのような駄文を人様に晒すものか」
などと憎々しげに謳ってみつつも、帰宅すればひとりこっそり彼への崇拝の気持ちで文章を練り練り、夕方になればまた別の文体で書くのだった。そんなことであったから、いつしか、負け組だったはずの大学生活は、成績こそ振るわねどなかなかの充実したものとなり、私の人生は薔薇色に輝いているように思われた。私にとって、村井氏はまさに憧れであり、尊敬に値する師匠であり、困難から救い出してくれたい恩人であった。
そして、村井氏の卒業の日。私が入学して幾年、たしか二年半だったような気がする。彼は私だけに見送られて、いつもの無精髭もばっさり刈り取り、誰か別の人のような顔つきで立っているものだから、なんだか無性にさびしくなって、
「見納める顔を拝みに来たのに、別顔になってんじゃねーよ」
嫌味を少々吐き出した。普段ならあの怪しい笑みでも浮かべて、なんだ見惚れたか?なんて馬鹿なふりしていうと思ったのに、彼の人は、私より寂しそうに目を細くして、
「かんにんな」
だなんて。ああ、この人はもう私と過ごした時間を捨て去るつもりでいるのだ、と気づいてしまえば、引き止めたかった。
「連絡くださいよ」
「ウン」
「必ずくださいよ」
「ウン」
「忘れんでくださいよ」
「ワスレン」
「また会いましょうね」
しかし村井氏の心は決まっていた。他人の顔した男が、その一瞬だけ村井氏になった。
「そりゃだめだ」
「なんで」
「なんでも」
「そりゃないぜ」
「ダメなもんはダメだ」
「なんで」
「そりゃあ……」
言葉の端を濁して濁して、何度聞き出そうとしてもダメだった。頑として口を割らないで彼はどこかに行き、当然のように連絡は来なかった。私は、気づけばひとりぼっちになっていた。村井氏との交流にかまけて、大学のことも家族のこともほったらかしにしていたのだ。まるで恋みたいな、切ない一瞬の出来事を、過去の思い出にするしかどうしようもなかった。
薔薇色に輝いていた学校は、急に鉄筋コンクリートに見えだした。成績はむしろ良くなって、教授にも可愛がられるようになったけれど、それでも私は憂鬱だった。夜は小説を書き殴り、彼の人の書いた小説を読んでは、鬱々とした気持ちに沈んでいった。同時に、私は彼の人のような文体で書くことができなくなった。理由は知らない、しかしもうダメだった。私は彼の人の良さが少しもない文体で、自分の文章とやらを書き綴るしかないのだった。充実した学校生活を送り、誰も送ってくれない卒業式を迎えて、東京の大手企業に入社した。生活は平々凡々だった。
ある日、私は会社の顧客の個人情報を見る機会があった。すると驚いたことに、もう見ることはないと思っていた村井氏の本名が書かれていて、すぐさま職権を乱用した。なんとか彼が今どこで何をしているのか調べ上げたところ、彼は名古屋の都会にいて、編集者などやってるらしい。編集者!彼の人は文学を忘れたわけではなかったのだ!あの緻密な文学は、まだ彼の中にあったのだ。
とはいえ、手放しに喜ぶことは出来なかった。彼が離れたかったのが文学でなければ、あの態度は何が原因か、残されたものはひとつしかない。私だ。彼は、私から離れる目的で、卒業式の日に彼らしからぬ態度を取ったのだ。
考えれば考えるほど変な話だった。日々、ただ生活しているだけで悪い予感が積もってゆき、それはとうとう現実となった。久々に会った彼は、私を見て、今まで一度も見たことがないような怯えた表情をした。
「理由を、教えてください」
「……勘弁してくれ」
「いいえ。ここで逃せば、またどこかに行くのでしょう」
彼は、あの日のように髭を刈り取って、髪をそれなりに整えていた。きっちち整ったスーツは、ジャージで大学に通っていた数年前の姿と重なるところがない。躊躇った後の、ボソリとした呟きによって答えを知れば、私は絶望せざるを得なかった。
「……お前の親だよ」
以来、故郷の街には帰っていない。向こうから私に接触しようとするのも、徹底的に避けて会わなかった。向こうも理由を察したのだろう、あなたのためだったと書かれた手紙が届いたが、それを見ても同情の念すら浮かばなかった。私にとって、二十年の月日と血肉の繋がりは、数年世話になった他人との繋がりを破壊できるほどの強度を持たなかった。親にもそのことが誤算だったのだろう。
親の葬式に参加しなかった数日後、諦め切った兄弟から、親の遺言のコピーが送られてきた。最期まで弁護をし、会えなくて残念だといまだに親の顔をする彼らに、思うことはなかった。遺言を乗せたゴミ収集車が坂道を下るのを、私はただ、晴々とした気分で眺めていた。
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