33.プロポーズ

2021年 06月03日 19時00分 投稿

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 プロポーズ




 ♭


 君を守るよ、と片膝をついて指輪が入った小箱を開き、首をもたげる男性。女性は、はっとして口を手で覆い、嬉し涙をゆっくりと流す。宝石店のCMだった。


 私も、元々は女性だったから、「君を守るよ」と言われたら嬉しいだろうなということはわかる。自分という性的にか弱い存在を、強い人が守ってくれるとしたらとても心強いだろう。ましてや、女性としての魅力も色気もなかった私の、かわいく、笑顔がかわいく、声がかわいく、仕草もかわいい、私のパートナーである彼女なら、なおさら「守るよ」と言われたいに決まっている。だからこそ、私は自分のために、男性になることを決めたのであり、彼女もそんな私の行動に驚いたものの、否定しないで受け入れてくれた。本当に、もったいないくらいかわいい人だ。


 私は、まだ性転換手術を受けていない頃、自分が女なんて性別だから、彼女に「守るよ」と言うのが憚られるのだと思っていた。自分もか弱い身で、自分を守ることで精一杯なのに、どうしてそんな弱い私が彼女を守ることができるのかと、守れないのに見栄を張ることを恐れていた。


 だからこそ、今流行りの性転換をして、身体的に男になった。だというのに、まだ「守るよ」と言うのを躊躇っている自分がいる。


 ホルモンの分泌からして、もう女性ではなくなったのに。身体学上も戸籍上も、すっかり男性の身の上となったのに。以前に増して力も強くなったし、前は痩せ我慢して持っていた買い物袋を、今は彼女の手からもう一袋奪うことができる。たしかに男性になったはずなのに、何故。


「覚悟じゃない?知らないけど」


 と、どこぞの関西人のように無責任な台詞を吐いて、男……ホモサピエンスの雄、オカマ属オカマ科のオカマは、酒を一杯追加で頼んだ。私はショットに舌をつっこんでペチャペチャし、オカマに「行儀が悪い」と注意をくらった。


「まあ、いいんじゃない。守れなくても守るって言ってる男なんて、この世にごまんと存在するでしょ」

「そんな薄っぺらい台詞を、言えるものか」

「またそうやって自分の世界に入り込む。言ってみたら案外いけるかもしれないでしょうが。プロポーズも、一人の相手に一度しかしちゃいけないわけじゃないのよ」


 そうしてなんだかんだ話に付き合ってくれるこのオカマも、かつては同性の恋人がいた、ホモサピエンスのホモセクシュアルだったらしい。


 法が整備され、同性カップルが堂々と表参道を歩けるようになった今も、性に振り回される人間は年齢問わず少なくない。そんな世の中であるから、法が整う前から一定の地位を確立し、独自の文化を築いてきたオカマ一族は、性に彷徨う浮浪人たちに非常に重宝されている。特にこのオカマは性自認や性転換、同性愛と異性愛、さまざまな性の知識、経験があるから、私のような半端者にはありがたい存在である。


 彼は──これは本人が認める三人称ではないが──女だった頃に道端で酔いつぶれていた私を拾い、オカマバーに連れて行き、性教育を施した。おかげで、私は同性愛者なのだと自覚することになった。一方で、同性愛者だと自認したせいで様々な苦しみも味わうこととなったため、彼は私に負い目があるようだ。とうの私は気にしていないのだけど。


 結局、思うことを吐くだけ吐いて解決も何もしないまま、また酒に酔い潰れたらしい。目覚めるとソファーの上にいた。バーには朝日がいっぱいに差しこんで、まるで知らない場所にいるみたいだった。


 とりあえずスマホを確認するのは現代人の性だろう。彼女からの着信履歴が二件、ボイスメッセージが一件入っていた。早く帰ってきてください、とかわいらしい声が言うのを、二回も三回もリピートしてしまったのも、私が男だからであろう。


 声を聞けば会いたくてたまらなくなるのに、あいにく彼女は丸一日仕事だった。一日を自堕落に過ごして、電話もせずに眠りにつき、日曜日にやっと彼女の家にお招きを受けて、一週間ぶりに顔を合わせた。彼女はおかえりと言って微笑んだ。私は、何年かぶりに口に出すように、恐る恐る、ただいま、と返事した。


 彼女の住むワンルームマンションは、狭いからこそ、彼女の匂いが充満していた。好ましい優しさのある香りの中で、いつものように昼ごはんを食べて、ごちそうさまをして、食器を洗っていた。食器の汚れがやけに落ちづらく感じた。


「なにかあったの?」


 カウンター越しに、いつものように彼女が尋ねた。彼女には私の気持ちを敏感に察知するセンサーがついているらしく、嬉しい時も、悲しい時も、必ずカウンター越しに私の心を聞き出そうとする。けれど、今回ばかりは言えなかった。


「なにもないよ」


 水を出しっぱなしにして洗い物を続けた。


「嘘ばっかり。今日ずっと様子おかしいよ」

「本当だって」


 水音に声がかき消される。彼女の方を見ることなく、手を動かしていた。何も言わなくなった私に呆れたのか、彼女は別の作業を始めた。私はようやく、新品のようにピカピカの食器をかごに入れた。


 かちり。



 ♭



 金曜日は好きだ。金曜日の仕事が終わると、自分は五日分の仕事を見事にやり切ったのだと、達成感と解放感から自由を感じる。それに、毎週金曜日は彼が働くオカマバーに行くのが、最近の楽しみになっている。一週間の疲れを、彼のもとで解きほぐし、一人きりの土曜日を乗り切って、日曜日を彼女と過ごす。そうしてまた月曜日を迎える。


 ……はずだったのだが。どうしてこんなに気分が暗いのか。いいや、原因は明白だ。上司が結婚したからだ。男性らしい彼と、女性らしい婚約者の異性のカップルで、上司自身が酔っていても酔ってなくても婚約者の自慢をしてくる。だからこそ、今回の結婚式には部署の全員が呼ばれて、もちろん全員が参加して、貴重な日曜日を失った。それだけならばまだ、人の幸福のためだから、彼女との時間を少々奪われたって、まだ、まだ納得ができる。けれど、私が感じているのは別の不満だった。生まれつきの性別が偶然男と女であったということだ。こんな些細なことに嫉妬するなんて馬鹿げているし、幸せな空間にひとり悪感情を抱いているなんて、招いてくれた上司に悪いこともわかっている。結局、結婚式には出席したが耐えきれず、二次会もパスして気心の知れた同僚ともたいして交わらなかった。高級な赤ワインの渋みがザラついて、帰って何度も口をゆすいだ。



 ♭



「もう文通でもなんでもいいから伝えなって言ってんだよ」


 お淑やかなオカマ、をモットーとする彼にしては荒い口調であった。よく考えれば私が赤ワイン一杯舐める間に、すでに一本の白ワインが彼のお腹に消えていた。


 思えば、彼のもとに通いだしてから三年が経過していた。私が彼女との関係を、友情から恋仲に繋ぎ直したのもだいたい三年前のことだ。


「いつもいっつもグチグチグチグチ、たしかにあたしが悪かったわ。あんたをこっち側に引き込んだのはあたし。そんなことはわかってんのよ。けどあんたがいつまでも行動しないのは、あたしの所為じゃないのよ!良心の呵責に訴えかけても……はぁ、もう無駄なんだから!」


 耳から言葉が入って、スッと血の気が引いて、つい、彼の顔をじっと見た。彼はさして気にした様子もなく二本目のワインをごくごく飲んでいる。


 良心の呵責に訴えかけた、といえばその通りなのかもしれない。彼は異常なほど献身的で、稼ぎ時に売れっ子の彼を占領する男を快く思っていなかったバーのママは、私を一時的出禁にしたらしい。気づいたら店の外にいたから、何があったのかよくわからない。


「なんでもかんでもお察しくださいなんて時代は、明治維新で終わったのよ。あんたも自分の思うこと、相手に伝えないと後悔するわよ」


 帰りのバスに乗っている間、耳の奥で、彼が別れ際に言った言葉が反響していた。



 ♭



 「私のせいでごめんね」


 いつだったか、私が性別を男にしてまもない頃、彼女にそう言われたことがある。私が性別を変えてしまったことを自分のせいだと思っているようだった。その時どんな返事をしたのか、もう思い出せない。


 どうして優しい人はこうなのだろうか。彼も、彼女も、私が男になったことに責任を感じているのが私には腹立たしく思える。私が自分で決めて行ったことを、どうして彼、彼女自身のせいにしてしまうのか。優しさは、時に残酷な形をしている。



 ♭



 いつしか、「君を守るよ」と言える人を探すようになっていた。既婚者を見つけたら必ずプロポーズの言葉を訊くことにしたのだ。おかげで上司には人の馴れ初めを聞くのが好きなやつだと勘違いされ、たくさんの惚気話を聞かされた。そんな彼でも「君を守るよ」と言ったことはないそうだ。


「男なら、そういうこと言えたらカッコいいだろうとは思うんだけどなぁ。俺のヨメ、ああ見えて空手有段者だから?いざとなった時は俺が守られる側になるだろうし。なに?憧れてんの?」

「何にですか?」

「守るよってセリフ。えぇーまじで?クサイじゃん、平成かよぉ」


 笑って適当に誤魔化したけれど、見透かされたように感じて一瞬ヒヤッとした。もしかしてこの人は、私が性転換した理由に、生半可な気持ちでいたことに気づいたのではないかと焦った。


 男性になったつもりで、男性になりきれていないこの心の半端さと、相談もせずに性転換した時のやましい思いを、懺悔しなければならない。誰に?彼女に、彼に、いいえ、別の彼女に懺悔しなければ。なにか、大切なことを忘れているような──







 ♯



「なにかあったの?」


 カウンター越しに、いつものように彼が尋ねた。私はスカートを揺らしながら、料理を載せたプレートを二枚、手に取ってカウンターの上に置いた。彼の香りが充満した部屋、おひさまの香り、窓から光。


「ちょっとね、いいことがあったんだ。ほら座って。コーヒー入れようか?」

「僕がやる。君は座ってて」

「ありがとう」


 白いテーブルクロスのシワを伸ばし、銀色のカトラリーがテーブルを彩る間に、二つのマグカップが電子レンジに並べられた。レンジのうぃーんという機械音が鳴る中で、私は、


「ねえ、君は女性に生まれたかったと思う?」

「思ったことないよ」


 迷いのない答えだったが、彼はちょうど背を向けていて、表情が見えなかった。


「そっか。よかった」

「どうして?」

「もし君が女性に生まれていたら、どうしようかと思って」

「そうしたら僕が男性になるよ。君は何も心配しないで」


 うぃーんと機械音を奏でながら、レンジはまだターンテーブルを回し続けている。私はそっと付け加えた。


「けど、守らなくていいからね」

「何を?」

「私を、すべてから」


 その時、ちょうどレンジが止まった。


「守るよ。むしろ僕に守らせてよ」


 ああ、私の探し求めていた人は、こんなに近くにいたのだ。


























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あとがき

 男性らしさ、女性らしさを耳で聴いて育ったのに、現代は性別の自由さがトレンドの時代。性による生きづらさは、どんな性別でも———古典的な男性、女性でも抱え得るものだと感じています。生まれてから、しばらくは同等に育てられたはずなのに、徐々に身体の変化が現れるにつれて、まるで身体の中身まで分離していくかのように男女が明確になっていく。そんな違和感と時代をテーマにしました。お読みいただきありがとうございました。

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