31.とうもろこしが好きなのは俺じゃなくてお前

2021年 05月06日 19時53分 投稿

———————————————

 俺が脱サラして農業を始めると言った時、真っ先に賛成したのは千崎だった。

「さとうきび畑なら歓迎する。もしくはテンサイ」

「悪いが砂糖を作るつもりはないんだ」

「ならせめてとうもろこしで」

 いや、どこがせめてなんだ。甘ければなんでもいいのだろうか。それにしたって真っ先に出てくるのはとうもろこしじゃないだろう。果物とか、さつまいもとか、西瓜とかいろいろ。西瓜は果物に含まれますか?

 とかなんとかしつつ、結局俺は23区の近くでとうもろこし栽培を始めた。西瓜にしなかったのは土地面積の問題もあるが、一番の決め手は千崎だった。5回に及ぶプレゼンテーションは、さすが営業成績No.2と思わず感心させられた。その後やつの手を借りたりもしながら、俺はとうもろこしを育てた。

 一年目、農協に入っていてよかった。虫に食い潰されたとうもろこしを見て落ち込む俺を励まして、やつは種まきを手伝ってくれた。仕事も忙しいだろうに、スーツに泥をつけて汗でワイシャツに染みを作って。もしかしたら今まで思っていた以上にいいやつだったのかもしれない。同僚時代から抱いていた敵対心が、馬鹿馬鹿しかった。

 そして千崎が蒔いた種もすくすくと育ち、まっすぐ伸びたとうもろこしはとうとう黄金に輝いた。台風の被害も少なく、昨年とは打って変わって大豊作。新聞紙で二、三個包んで、ちょっと考えてもう二つ包んだ。ニヤけるのをごまかすように電話に耳を当てて、久々にあの番号にかけた。きっとやつは誰よりも喜ぶだろう。俺は馬鹿にしたように苦笑して、一番綺麗なのを取っておいたと告げるんだ。

 しかし、普段より長い呼び出し音の後に、知らない老婆の声が続いた。

「どちらさまですか」

「あ、私千崎さんの友人の佐藤と申します。あの、千崎さんは?」

「ああ、あの子ねぇ。少し前に死んだんですよ」

 あっけらかんとした声だった。信じられない心地だった。数日後の葬式に、俺は5つのとうもろこしを持って行った。千崎の顔は穏やかだったが、どこか疲れているように見えた。とうもろこしをご遺族に押しつけて、しばらく呆然と座っていると、

「佐藤さん」

 それはかつて部下だった男だった。俺は座ったまま返事をした。

「ああ、ひさしぶり」

「お久しぶりです。千崎さんもご愁傷様ですね。佐藤さんが辞めてから千崎さん、営業成績一位続きで部長候補とまで言われていたのに。本当に残念です」

 男はその他にも様々なことを喋った。かつて俺の部下だった男は、俺の退社後は千崎についていたようだ。鼻がつまったような声はやけに大きく聞こえた。俺は曖昧に返事をした。

「ああ」

 脱サラして近郊農業。それをやつが喜んだ理由は、本当に昇進のためだったのか。

「いや、ないな」

 畑で種を蒔くあいつの姿を思えば即答できる。やつはむしろ、俺を羨んでいた。営業成績が常に一位の俺を、やつを置いて一位の俺を、それでいて会社を辞めて農業など始められた俺のことを。やつは本当は農業がしたかったのかもしれない。きっととうもろこしは自分で育てたかったから、育て方から入手方法から調理に補助金に農協にのことまで詳しく調べたのだろう。でなければあんな実用的なプレゼンが、俺にも作れないプレゼンができることはなかっただろう。

 もし今もあいつが生きていたら、あいつも会社を辞めて一緒にとうもろこしを育てていたかもしれない。きっとそうだ。そうに違いない。

 帰る前に畑に寄ったら、夕日に照られた黄金の実はさらに赤く輝いていた。俺はその中でも一際赤いのを探して、摘んで、新聞に包んで持って帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る