27.花束

2020年 10月08日 20時00分 投稿

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 自宅から駅までの、毎日歩く道。ここ数年、その道には一本の電柱のそばに、花束が添えられていた。花屋で買ったらしい綺麗な花束が、気づいたら新しく変えられていて、時々缶コーヒーも一緒に置いてあった。けれども、今まで供えていた人が来れなくなったのだろうか、いつのまにか、その道を歩いても花束を見かけなくなっていた。灰色の電柱の根元に添えられていたあの花束は、誰かが死んだ目印でもあったのに、今は同じ電柱が立ち並ぶばかりで、どこで事故が起きたのかもわからない。

 そんなある日、私はいつも通りその道を歩いていた時に、一本の電柱に向いて手を合わせる人を見つけた。そこにはひさしぶりに、花束が添えられていた。

「すみません、あなたは、いつもここに花を供えていらっしゃった人ですか?」

 思い切って声をかけてみると、彼は振り返って俺の姿をとらえ、

「──────はい?」

と不思議そうに首を傾げた。想像していたよりずっと若い男だ。服装を見たところ、大学生か、院生かと言ったところだろう。

 私は彼に、最近ここで花束を見かけないことを自分が寂しく思っていたと簡潔に伝えた。彼は花を供えなくなったわけを、あっさりと供述した。

「深い意味はありませんよ」

「そうなんですか?」

「はい。僕は大学院生なんですけど、最近就活で忙しくて、そんな中で花束を買ったりここへ足を運んだり……死者のために生者の時間を使うのが無駄に思えたので、来なくなっただけです」

「そう、でしたか」

「では、私はこれで」

 非常に淡白な答えだけを言って、彼は立ち上がった。私は軽く頭を下げた。

「すいませんでした、引き止めて」

「いえいえ、こちらこそ……」

 言って、不意に彼は目を伏せた。自嘲するような笑みが、妙に私の心をざわつかせた。

「こいつのことを気にしてくださって、ありがとうございます」

 では、と言って彼が去った後も、私はしばらくそこに突っ立っていた。

 彼は決して、死者を蔑ろにしようとしたわけではない。彼には彼の時間があって、彼と死者の間にも何かの時間があったのだろう。私の知る由もない時間が。

 私はカバンからスマートフォンを取り出して、電柱の写真を一枚撮った。それから軽く手を合わせて、駅へと歩き出した。

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