24.蝶の恥

2020年 10月02日 20時00分 投稿

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 これは、わたくしの随筆でございます。

 正確には、先程ふと、昨日の出来事を思い出して、口の中が木苺のように酸っぱく、恥ずかしく思いましたので、書いた次第でございます。

 私は生まれてこの方、はじという感情に鈍感でございました。また、男性に対して妙によそよそしい態度を取ってしまいがちでした。それもこれも、幼少から女人の中で過ごし、常に女であれと言われ続けた所為でしょう、兎角とかくわたしは、男性を正面に据えて見つめること、見つめられることをひどく苦手に思いました。

 昨日は、我が家に珍しいお客さんがいらっしゃいました。本名を書くのははばかられますので、ここでは大石さんと記すことにしましょう。ととのった面立ちの、旅のお方でした。

「宿がないから泊めてくれ、金なら出す」

 とおっしゃいましたが、私の家は宿屋ではございませんので、

 「お宿代はいただきません。どうぞ旅のお方、そのまま泊まっていってください」

 と私は大石さんを床の間へ案内いたしました。

 それからお膳をお出しして、良い部屋へ布団を一つ敷いて、服のつくろいをして、──お洗濯までは断られましたけれども、見窄らしい陋屋なりの精いっぱいのおもてなしをしたつもりでございます。

 しかし夕方、大石さんの寝所しんじょへ、私は夕食ゆうげを持って参りました。彼はそこで旅日記というのをお書きになっているところでした。お邪魔をしてはいけないと思い、わたくしはお盆を置いてすぐに出ようとしましたが、そこで彼が「おい」と言います。

「お前の夫はまだ帰らぬのか」

 わたしはびっくり致しまして、

「私には夫はおりません」

と強く申しました。大石さんは怪訝な顔をして、

「夫がいない?」

「ええ、おりませんわ」

「女一人か」

「はじめからこの家には、わたし一人しかおりません」

 彼は目をまんまるになさいました。

「女一人で、男を家に泊めるのか」

 そう言うと彼は飛び上がって、すぐさま身支度をなさいました。すべて荷物を風呂敷に包んで、世話になったといって出て行こうとなさいます。

「何故ですか。なにもご遠慮なさらずとも、泊まって行けばよろしいじゃありませんか」

「女一人の家にか?」

 頷くと、大石さんは呆れたように大きなため息をついてこのようにおっしゃいました。

「私は、これでも紳士のつもりだ。女一人の家に男が泊まるというのは、契った恋人か、夫婦(めおと)でなければしないことだ。あなたは、私を襖一枚隔てたところに寝かせておいて、恥ずかしくないのか」

 それを聞いた時、わたしは真っ赤になりました。恥ずかしくて仕方ありませんでした。いろんな恥(はじ)が一度に沸騰していましたが、中でも恥ずかしかったのは、「この人は私を女と見ている」ということでした。

 せめて夕食だけでも食べてほしいと嘆願して、結局、旅のお方は日が沈む頃にうちを出て行かれました。幸い、ご近所の酒屋さかやさんのお宅が大石さんを泊めてもよいと言ってくださったので、彼は今頃そちらで、お礼の挨拶をしていらっしゃるのでしょう。

 もしも彼が、もう一度この町を訪れることがあったら、わたくしは彼の方に、今度こそわが家に泊まっていただきたく思っています。ですから、それまでに、良いお婿を迎えようと思う次第でございます。

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