13.小鳥の婚約者

2018年 12月20日 17時16分 投稿

婚約破棄された娘とその姉の話。

*「おおよそを察した令嬢は自ら没落の道を行く」のストーリーの一部を切り抜いたようなものですが、そちらを読んでいなくても読めます。気が向いたら修正したり、続きを書きます。

————————————

全ては覚悟していた。リリーシャはそう、自身を持って言える。

なのに、どうして・・・


どうして私は泣くのでしょうか。






「お嬢様・・・」


揺れる馬車の中、侍女服を来た女性はつぶやく。眼差しは妹を心配する姉のように愛情深く、声にならない心配の数々が窺い知れた。

彼女の視線の先にはまだ16、7歳であろう若い娘がいた。


「サーシャ、私はもうお嬢様ではないわ」


サーシャと呼んだ侍女服の女性の抱く心配の全てを無視するように、娘は目も合わさない。閉め切ったカーテンをじっと見つめ、それ以上を言う気も無さげであった。



しかし、サーシャは分かっていた。目の前の娘が、どれだけのものを背負っているか。どれだけ辛い日々を過ごしてきたか。幼少から英雄の娘なのに魔力の少ない無能者として見られ、母親からは虐待を受け、父親は一切関心がなく、「家族」で唯一影で味方してくれていた兄は彼女の親友と共に隣国へ留学中。その隙を狙い澄ましたかのように行われた愛しい人の裏切りーーーーそう、婚約破棄。それも婚約者が娘以外の恋人を作っており、その女性を娘が虐めたなどと無実の罪を被せられ、婚約者の手で断罪されるという豪華なフルコース。先ほど行われたその断罪をサーシャは見ていないが、大変痛ましいものであったということは娘の全てを知るサーシャには容易く想像できた。

とはいえ、婚約破棄は全く予想外というわけではなかった。娘は婚約者が別の女になびき始めていることに気付いており、その女からの接触もあった。


『どうして悪役令嬢のくせに陰湿なイジメの一つもしてこないのよ!エルはあんたの婚約者でしょう?嫉妬しなさいよ!もっと悔しそうにしなさいよ!殺してやりたいほど怒り狂って、階段から突き落とすくらいしなさいよ!』


『何もしないなんて意気地なしね。それなら全部こっちでやってやるんだから。指くわえて見てなさい。もうエルは私のものだってこと、特等席で見せてあげる』


そんなことを言われ、風評被害も笑い飛ばせるほどではなくなり、婚約者はもう自分を信じてはくれない。長期休暇に入ってようやく知った学園での出来事に、サーシャははらわたが煮えくり返った。凶器をスカートから取り出すほど怒っていた。しかし、そんなサーシャを前にしても、サーシャ専属の主は微笑むだけだった。


『私がエルネスト様を愛していることを忘れたわけではないでしょう、サーシャ?私が願っているのは愛のない結婚ではなく、エルネスト様の幸せですもの。そのためなら喜んで身を引くわ』


そして女のでっち上げた罪を全て被り、娘は断罪された。女の誑かした男達、婚約者を奪った女、そして愛しい婚約者の前で。学園の外で馬車で待っていたサーシャは、出てきた主の悲しみを和らげることのできない自分が悔しかった。涙の後がくっきりと残っているのに視線を下げず、堂々とした態度をとり続けている主に申し訳なかった。いっそのこと、馬車の中で大声で泣いてほしいと思った。


「・・・リリーシャ、もうそうやって自分を強く見せる必要はないのよ」


サーシャの言葉に娘、リリーシャの目が少し曇った。何かを考え、迷い、ちらりとサーシャのほうを伺った。そして「専属侍女」ではなく「姉」の空気をまとっているサーシャと目が合い、あわてて視線を戻すリリーシャ。はぁ、とサーシャはため息をついた。


「好きにすればいいわ。でも、私があなたの姉だということは忘れないで」


そして視線をはずし、侍女らしく静かに馬車に揺られた。

サーシャがじっと見ていないので、リリーシャは言われたとおり好きにすることにした。またカーテンを眺めて何も言わず、静かにじっと馬車に揺られた。

馬車を沈黙が支配した。気まずさなどはどこにもなかった。二人は「貴族令嬢」と「専属侍女」でありながら、今は血のつながりの無い「妹」と「姉」であった。姉は妹をいたわって何も言わず、妹も何も言う必要は無かった。

そんな沈黙を、ようやく破ったのはリリーシャだった。


「・・・これでいいと、思っていたの」


サーシャは静かに、カーテンを眺めたままのリリーシャに顔を向けた。


「何が、なの?」

「全部よ。私がエルネスト様に婚約破棄を言い渡され、エルネスト様がチェリー嬢と婚約し、真実の愛の傍らで私が平民となること」


リリーシャの母はリリーシャを嫌悪しており、リリーシャの父は興味が無かった。だからエルネスト第二王子の婚約者であることだけが、母がリリーシャを家においていた理由であり、それを失った今、リリーシャが貴族から平民へ没落するのは確定したことだった。もう既に婚約破棄の話は王の耳に届き、もうしばらくすればリリーシャの母も知ることになるだろう。正式な場での婚約破棄ではなかったとはいえ、王族が行い複数の貴族令息と令嬢が見ていたことだ。正式な場での婚約破棄と変わりない扱いになるだろう。

サーシャは知らなかったが、どうやら婚約破棄の場でエルネスト第二王子はリリーシャに罪を被せた女チェリーへの婚約の申し込みのようなこともしたらしい。それに二人が愛し合っているとの噂は学園内では誰もが知っていた。国王も二人の婚約を認め、近いうちに正式な婚約者同士となることだろう。

無罪のリリーシャを踏みつけて二人が手にした愛。サーシャにはそれが真実の愛だとは到底思えなかった。

それでも、サーシャはリリーシャが決めたことには反対しなかったし、文句一つ言わずリリーシャを手伝ってきた。


「でも、リリーは前から婚約破棄されることも、平民になることも全て分かった上で用意してきたのでしょう?」


リリーシャは目を伏せた。

婚約破棄されるであろう日程も、場所も、時間も、全て予想されており、それに合わせて用意された馬車に今二人は乗っている。すでに荷物は屋敷から運び出されており、婚約破棄されてからお世話になる領地の領主とは話がついており、馬車はその領地に向かっている最中だった。

そこまで用意周到なことをしておきながら、まだ覚悟が決まっていなかった、なんてことがリリーシャに限ってあるはずが無い。


「ええ、そうよ」

「ならどうして?」


リリーシャはまた少し迷いを見せた。そして、自分の過去の失態をさらけ出すかのように、重々しく口を開いた。


「・・・エルネスト様の隣にいることが当然であるかのように腕をつかんでいたチェリー嬢と、そんなチェリー嬢を愛おしげに見下ろしていらしたエルネスト様を見て・・・そこは私の場所だと、思ってしまったの」


サーシャは顔色を変えなかった。彼女が願ってやまないのは主であり妹でもあるリリーシャの幸せな姿、その傍に自分がいられることだった。サーシャはリリーシャの決定に反対することはしなかったが、話を聞いたときひとつだけ尋ねていた。全て計画どうりになったとして、あなたは幸せになりますか、と。

サーシャは知っていた。箱入り娘と世間では言われていたが、実際は監禁状態だった屋敷での生活で、リリーシャが頬を染めて幸せそうに笑い、表情をコロコロと変え、去ったときには背中のあったほうをぼうっと眺め続けていたのはエルネスト第二王子だけだということを。サーシャが尋ねてもいないのに婚約者との逢瀬の話をし、少しからかおうものなら耳まで真っ赤にして怒った顔をすることを。そして今も、その気持ちは変わっていないことを。

あなたは幸せになりますか。サーシャの問いにリリーシャは答えなかった。


「私が自分で手放した場所なのに。計画どうりになったのに・・・」


生半可な気持ちでいた、そんなふうにリリーシャは思っているのだろう。再び涙ぐみ、袖でぬぐおうとするリリーシャにサーシャがハンカチを差し出した。

サーシャの考えはリリーシャと少し違った。リリーシャは自分が覚悟を決め、それからエルネスト王子のために行動することを考えていた。だから今の自分の気持ちが納得いかないのだろう。サーシャは、エルネスト王子のために行動することで、ついにリリーシャも自分が王子と離れることを覚悟できるだろう、と考えていた。貴族令嬢とはいえリリーシャはまだ子供だ。あいにくサーシャに恋愛経験はなかったが、愛する人と離れることがそう簡単に覚悟できることではないことくらいは分かった。エルネスト王子をリリーシャがどれだけ想っていたか近くで見ていたからでもあるが、サーシャがリリーシャと離れることを考えると耐え難い苦しみを感じるからでもあった。

だからサーシャは、これを乗り越えることによってリリーシャが大人の女性に一歩近づくだろうと考えていた。


「ねぇ、リリー」


サーシャは濡れたハンカチごとリリーシャの手を包み込み、赤くなった瞳を覗き込んだ。

リリーシャは答えが欲しかった。自分が、どうしてこんな感情を抱いているのか、誰かに教えて欲しかった。覚悟を決めていたと今までのリリーシャならば自信を持って言うことができた。しかし、それが揺らいでしまった。覚悟が無かったとは思いたくなかった。もっと他の何かが、婚約破棄されて泣いた自分の感情の理由であることを望んだ。

サーシャがリリーシャを愛しているように、リリーシャも昔から自分の専属侍女兼姉として側に居続け、日々の生活もリリーシャの心も支えてくれたサーシャを深く愛していた。そしてリリーシャの幸せのためならとあらゆることをしてくれるサーシャに信頼を寄せていた。自分ひとりではわからないこと、できないこともサーシャなら「リリーシャのために」と快く手を貸してくれるだろう。そんな考え方がいつの間にか当たり前になっていたのかもしれない。

だから、リリーシャは助けを求めた。自分の感情の答えは、涙の理由はサーシャが知っているとばかりに期待した。目の前に立つサーシャを見上げ、すがるようにハンカチを両手で、よりいっそう強く握り締めた。

サーシャは視線を受け、にこりと微笑んだ。


「あなたの感情の答えは、自分でみつけなさい」


声も出ない。視界がぼんやりと霞み、あっけにとられるリリーシャを置いてサーシャは座った。そして何事も無かったかのように侍女の無表情を浮かべ、何も喋ることは無かった。


馬車は揺れた。無言のままの姉妹を乗せ、上下左右にガタゴトと揺れた。とっくに学園のあった王都は過ぎており、いつのまにやら山道を進んでいたようだった。さわさわと影が揺れ動き、薄ら暗い道の先はよりいっそう暗い。迷い込む人をぐにゃんぐにゃんに曲がりながら進ませ続け、最後には飲み込んでしまいそうだった。馬車はガタガタと揺られながら進んでいった。

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