11.人形劇

2018年 08月22日 17時47分 投稿

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 女は男に飢えていた。

 彼女の夫は大勢の娘に囲まれ、幸せそうに本を読んでいる。本を覗き込む娘たちは、瞬き一つせず食い入るように挿絵を見つめる。いかにも幸せそうな光景だった。彼女はつまらなそうに目を背けた。

 なんせ金は腐るほどあった。

 彼女は誰も知り得ないため息をつき、知らない間にほくそ笑み、一掴みの銀貨を手に、今日も夜の街へとその身を堕とした。


 だから、やがて金が尽きた時。彼女が愛想を尽かすのは至極当然のことだった。

 彼女が玄関から一歩外へ出た瞬間を、彼女の夫は見なかった。

 娘はただ一人となっていた。彼は娘に夢中だった。

「他人の食事を、他人様がどうこう言うことについてはどう思うかね?」

 彼は娘に問いかけた。金の髪をさらりと梳かせば、赤いリボンが悦しげに揺れた。

 愛らしい空色のワンピースには不相応な椅子は、彼が声を発するたびキシキシと鳴った。

「全く、その通りだ」

 と彼は、娘の前にあるステーキをフォークでつついて自分の口へ放り込んだ。ぐしゃぐしゃと噛んで、喉がゴクンと上下した。

 空になった皿は積み重ねられていた。グラスには水が注がれていた。蜘蛛の巣がかかった蝋燭に、火をつける人はいなかった。

 人形劇を終えた後、彼はただ眠りにつく。眠りについた男は起き上がる。その目は虚ろに光っていた。

 玄関の扉を開けると、そこは洞窟だった。錆びた剣を引きずりながら、ふらふらと男は洞窟を進んだ。

 ゴォォと鳴る音は地鳴りのような、しかし死者の恨み言にも聞こえる。どこからともなく発せられる光が、洞窟中に影を作る。血の匂いと原型を留めない肉の合間を、コツコツと足音が擦り抜ける。

 男のものではない影が一つ、不意に現れ目が光った。血は腐ってしまったゾンビのようなそれは、人の、それも女の形に似ていた。男には情など残っていなかった。肉片を喰らい我が物とするそれを、そのよく知ったはずの顔を容赦なく切り捨てた。

 男はそれに興味がなかった。獲物はもう少し先にいた。

 一匹の猿が男の前に現れた。逃げる猿を男は追うが、猿は随分とすばしこいのだった。

 猿は大勢の仲間を連れて現れた。餌に飢えた猿たちは、目をぎらりと光らせた。

 男は逃げる気などなかった。飛びかかる猿に剣を振るえば、面白いほどに頭が飛んだ。

 猿は必死だった。怖くていくら足掻いても、どうやら勝てはしないようだと悟った。踵を返して逃げようとしていた。視界は回転して重力で瞼が落ちてくる。最期に見えたのは自分の胴体と、投げられて転がっている剣だった。


 彼は目を覚ます。そこは見慣れた玄関であり、首なしの猿がいくつかと、あとは血が散乱していた。

 彼は猿をひとつ掴み、キッチンへと向かった。

 テーブルの前には、お行儀よく座った娘がいる。

 美味しそうなステーキが運ばれてくる。

 彼も席に着いた。

 ぐちゃぐちゃと、食事が始まる。

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