8.大人になりたいわけではないけれど

2018年 02月13日 19時17分 投稿

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私の人生はあと15年3ヶ月と7時間46秒で終わる。これは確定したことだ。



誰の人生も、空間内に平行に並んだ、右肩上がりの斜線上グラフでできている。

しかし実は、反対方向に傾いた右肩下がりの斜線上グラフも確かに存在している。そして普通は前後に大きく離れたそれぞれのグラフが、何の因果かすぐ近くにある場合がある。右肩下がりの斜線上グラフと、不運な奇跡によってそれと交差してしまった右肩上がりの斜線上グラフを、合わせてX線状グラフと名づけ、私は優越感に浸った。別に誇るようなことでもないのだが。



『転生してチートでハーレムに生きます!〜神様は俺を愛しすぎです〜』

『今一番人気のラノベ!異世界転移にチートにハーレムの、王道系ストーリー!チート主人公のド派手な戦闘や、可愛い女の子たちとのドキドキ展開がたまらない!』


書店にそんな本が置かれていた。なんかイラっときた。殴ってもいいだろうか?え?ダメ?


だってこんなの理不尽だ。彼は偶然異世界転移に成功し、偶然愛され、偶然幸せになったのだから。つまりこれは、社会の運命の勝ち組の物語。負けにも勝ちにもなれない私には、羨ましくて仕方がない。


ということで、バッドエンドを妄想する。可愛い女の子たちに囲まれ、最強に生きる幸せな主人公。しかしそこに別の異世界人が現れ、しかもそいつは前世で自分の彼女を奪った男。主人公は女の子たちに『俺を愛しているよな?』としつこく聞き、少しずつ怖がられ、一方でその異世界人は主人公以上の力をつける。顔面もどんどんイケメンになっていき、優しい性格と強い力で人々を魅了する。そして二人が対面した時、女の子の前で、主人公は彼女たちを所有物扱いし、幻滅。全員がその異世界人側にまわり、主人公は『エルナ?フィア?俺を好きだと言ってくれよ……』と期待の眼差しを向けるが、非情にも彼らはそんな主人公を一瞥して『好きだったことなど一度もないわ』とその異世界人の腕に胸を押し付けて去っていくのだった。あはは、ザマァ。


しかしその場合幸せになった異世界人が癪だな。これはアレだ。本末転倒というやつだ。

ということで、処刑。町で売られている奴隷を女の子たちに内緒で購入し、それがバレる。必死に言い訳をするが全員に幻滅され、お別れ。ついでにそこの女の子の一人が賢い子だったので、慰謝料請求されて買った奴隷を売ることに。愛していてくれと伝えるが、その後奴隷となった彼を買った貴族の家に、実は貴族だった元奴隷のあの少女が令嬢としていて、俺を愛してくれているだろうと縋る彼を一蹴。愛していたわけがないと言い放ち、彼は貴族令嬢に勝手に触れた奴隷として処刑される。めでたしめでたし。


そして二人の男につきまとっていた女の子たちはその後も男を転々とし、最終的に手を出してはいけないほどに身分の高い男にまで手を出してしまう。その結果、奴隷落ち。ついでにあの元奴隷な貴族令嬢に高笑いされる。『貴女達を愛してくれるのは馬鹿な異世界人だけよ。でもそれももう終わり。鏡を覗いたことがあって?ボロボロの肌に皺だらけの目、カサカサの唇。そんな貴女達を誰が愛してくれるというの?え?娼婦になれば愛される?いいえ、貴女達は娼婦にはなれないわ。だって貴女達は娼婦よりずっと地位の低い、使い捨てられるだけのお人形ですもの』ごもっともである。


そんな貴族令嬢も落とすなら、婚約破棄が一番だと思う。『彼女をいじめたかって?当然でしょう?彼女は私の婚約者を奪ったのよ?死んで当然よ。ね?ベイル様。私を愛してくださるわよね?』『いいや、君を愛したことは一度もないし、今後だって愛することはない。そもそも君は殺人者だ。すでにその身は奴隷だよ』『いや、離して、離して!』


また、その男は。『実はエリーは殺されていなかっただなんて、そんな幸せなことが僕の身に起きていいのか?』『いいえ、良くないわよベイル。だって私、貴方に怨みがあるのだもの』『何をするんだ、エリー。やめろ!やめてくれ……』グサリとご臨終。葬式があれば灰を投げて喜びたい。


そしてそのエリーという女は、ベイルに間接的に妹を殺されていて、復讐を果たせたという構図。しかし、遺された手紙で殺された妹が自分を嫌っていたと知り、実は自分が彼女を一番傷つけていたと理解する。そして、自殺。ああ、全てがバッドエンドに繋がった。これぞ現実。


「あのう……そろそろ閉店ですが……」

「はっ!ベイルが目の前に!」

「え、ベイルって?」

「いえ、何でもありません!」


逃げるように走り去る私の後ろ姿を、怪訝な目で見つめているであろう店員さんは、きっと明日になれば全てを忘れて笑顔で接客しているのだろう。


しかし、私にも呆れたものだ。いつもいつもこうなってしまう。他者の幸せを否定し、バッドエンドを量産して、不幸に生きまたは死ぬ妄想に苦笑し、自分が他者を不幸にしているという罪悪的感情に苛まれる。そしてまた自分の寿命を数え……そういえば残りは15年3ヶ月と6時間27分30秒だ。長いんだか短いんだか、主観では判断はできないけれど。


「とりあえずは帰って夕飯を食べよう。57歳の母と19歳の弟に心配をかけるわけにはいかないし」


これでも立派な中学生なのだ。生まれて25年目に突入したけれど、家族を労わる気持ちを失うことは決してない。


でも、悲しいなぁ。私独りだけ、誰とも違う時間を生きているんだから。やっぱりあの誕生日会は、怨めしいような嬉しいような。そういう感情は全部東京湾に棄てるといいよとある親友が言っていたが、この悩みは一生つきまとうものだ。たとえ棄てても戻ってくるだろう。キャッチアンドリリースなんてクソ喰らえだ。


「ただいま」

「お帰り」


弟だった。すっかり大きくなってしまって、私よりずっと身長も高い。ちょいとばかし羨ましい。元から低身長だったが、弟に越されるというのは屈辱的だ。世界中の姉の中には、同じことを経験した人がたくさんいるのだろう。ううむ、すごい。尊敬に値する。


「どうかした?のの歌」

「いや、何でもないよ」


キョトンとした顔で弟が発したのの歌というのが、実は私の名前だったりする。数年前まで彼は私を「姉ちゃん」「姉さん」などと呼んでいたが、ついに同じ年齢になったある日から、名前呼びに変わった。私は元から彼を「智樹」と呼んでいたから変わらなかったが、呼び方が変わるというのは歯痒いものだ。呼ばれるたび、なんかムズムズする。あと、どう接したらいいかわかんなくなっちゃって困る。特にこれから年齢は開く一方なんだから、姉なのに!姉なのに弟に妹扱いされた!みたいなことが増える気がする。割り切れ!とは言われるが、20年以上続けたことがある日突然変わるというのは戸惑うに決まっているのだ。一度体験してみろテメェ。


とか、もはや八つ当たりになってきたわけだが、私はそういう考えを一切外に出さず、ただ自室に滑り込む。ただいま!我が嗜好の部屋よ!そしてダイブした布団の上に落ちていた目覚まし時計に頭突きされる。イデェ。こいつは私に恨みでもあるのか?私の方がこいつに恨みがあるのだが。そもそも「絶対に寝たくないと思う目覚まし時計」って書いてあるくせに朝大声で叫ぶだけとか手抜きすぎだろ。そんなあんたでも長いことここに置いてくれている私に感謝しな!……盗賊団の女頭領みたいだ。40秒で支度しな!って。


「のの歌、ご飯よ」

「はーい」


うちの母は仕事が速い。そして腕がいい。くんかくんか。今日はチキン南蛮だな。


「早く来なさい。冷めるわよ」

「今行くー」


間延びした返事は相手をイライラさせやすいらしい。でもこれは癖だ。なかなか治らないし、まあ治さなくとも今後に支障はないだろう。


トテトテと食卓につけば、私だけが若い気がしてしまう。四つの席の内一つはもうずっと空いていて、その隣に57の母さん、向かいに19の智樹、斜めに15の私。けどもうすぐ智樹の誕生日だから、私独りだけ子供に。弟に先を越されて、けれど永遠に大人にはなれない私。なりたいわけではないけれど。


「ご馳走さま」

「あ、のの歌、食器は洗っておいて」

「もちろん」

「じゃあ俺のも」

「それは自分で洗いなさい」


ええーと不満を言う智樹。いや、正しいのは私でしょ?


ガッチャンガッチャン食器が鳴る。静かに洗えないの?と言われても、無理無理としか返さないから、流石に母さんも諦めたらしい。ガッチャンガッチャンに背を向けて普通にご飯食べてる。私より雑で不器用な智樹に至っては、前々から反応はしなかった。皿を割らないだけ自分よりマシだということだろう。つまりアレだ。私は社会的な不器用だが、この家では普通の部類に入るのだ。全国の不器用な人間よ、我を褒め称えるが良い!って時計台の上で叫んだらただの厨二少女だ。痛くて目も当てられない。一瞬想像してその言葉の意味を理解して頭を縦に振った。気でも狂ったかと智樹に鼻で笑われた。おのれ悪魔め。


「じゃあ、私はもう戻るから」


謎に宣言して部屋に飛び込み、また目覚まし時計に頭突きされた。こやつめ……。


ふと視線を横にやると、鏡が目に飛び込んできた。もちろん物理ではなく。


そこに映った私は、やっぱり。10年前の15歳だった時とは違う顔だ。つまりは、10年前とは別人の人生を歩んでいるということ。Xを横半分に切って、下の部分を折り返し少し行った地点。死という名の生まではあと15年あるが、あと15年しかないという気もある。それまでに人生を謳歌できるか。人生の花の時代である今を楽しむしか、私には思い浮かばなかった。そして今が楽しめているのかはわからない。路頭に迷っているわけだ。


ああ、せめて交わらなければ。他人のように捻れの関係なら良かったのに。


今、Xの上半分がどこで何をしているのかは、私も知らない。きっと5年前の私が成長した顔をしていて、何年先になるかわからない死に怯えているのだろう。まるで人ごとだって?だってもう、彼女は他人でしかないのだから。20歳の誕生日を迎える瞬間、あの瞬間にしか、私と彼女は同じ存在でなかった。そこからは離れていったのだ。完全なる他人。会っても意味などないだろう。


これは私の推論でしかないが、彼女はきっと逆行人生を歩んできたのだ。ちょうど、X線状グラフの上半分の序盤のように。そしてそれを、私が受け継いだ。彼女は今幸せに凡人を生きているのだろう。過去の一切は棄ててしまって。私には棄てられない未来が付き纏うのに。死ぬことすら許されないのだ。神様は私を不幸にしたくて生み出したのか?逆行なんて嬉しくない。それに大人には結局一秒もなれなかった。どうしてくれよう。


いや、大人になりたいわけではない。大人に尊敬と憧れと抱いていたのは事実だが、大人が大変にしか見えない今は、大人になりたいとは思わない。思わないけれど、常人で無くしてしまうのは酷くないだろうか?そして足音を立てて距離を教えながら近く死神、人生のタイムリミットに怯えて残りの人生を生きさせるとか、鬼畜の極み。私が求めているのは幸せのはずなのだけれども。


まあ、そんなこと嘆いたって人生は変わんないし、一瞬たりとも大人になれない約40年の人生は、まだ8分の3残っているんだ。ゆっくりのんびり、大きくなる死の足音を感じながら、赤ん坊になればいいさ。

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