第8話 王太子の非情なる命令 ところで魔法ってそんなに珍しいんですか?

「これが王宮かあ……」

 生まれてはじめて王宮を見たシグムントは、広大できらびやかな城の様子に目が眩む思いだった。城そのものだけでも、アイゼンシュタインの屋敷が100邸くらいは入るんじゃないだろうか。庭園まで含めると、1つの小さな町くらいありそうだ。

 今は、アイゼンシュタイン邸がまるまる1つ入りそうなほど大きな応接間で、王太子を待っている。

 ちらりと、隣のエリザを見ると、いつも美しく堂々としている彼女の顔が、固くこわばっている。マルグリットは別室で待たされることになってしまったので、今この場にいるのはエリザとシグムントの二人きりだ。

「侯爵様、大丈夫ですか?」

「……大丈夫だ。少し馬車に酔ったのかもしれない」

 エリザは強がってそう言うが、気が重いのだろう。無理もない。元婚約者である王太子と、それを奪った妃がいるところに来なければならないとは……王太子も書状で済む用件ならそうすれば良いのに、わざわざ呼び出して何を言うつもりなのだろうか?

「馬車の揺れで気分が悪くなって、お会いできない……ということにしては?」

 シグムントが言うと、エリザは驚いた顔をした。

「僕が用件をお聞きしておきますよ。無理してお会いしなくたって」

「シグムント殿」

 エリザの声は鋭く、静かだった。

「貴殿はまだ私とは婚約中に過ぎない。ローゼンブルクの代理など務まると思うな」

「あ……も、申し訳ありません。出過ぎたことを言いました……」

 シグムントが素直に謝ると、エリザの表情は少し和らいだ。

「……だが、気持ちはありがたかった。礼を言おう。何、どうせヤツ……王太子殿下が滞りなく王位を継ぐことになれば、ローゼンブルク侯爵としてずっと逃げ回るわけにもいかない。王との謁見は今後も少なくはないのだから。ならば今日ここでケジメをつけてやる」

(今、ヤツって言ったな……)

「王太子殿下のお成りでございます」

 家来らしき男性(詳しい役職などはシグムントにはわからない)が言うので、エリザが頭を下げたのを見て、シグムントもさっと頭を垂れた。

「……エリザ・ローゼンブルク侯爵、シグムント・アイゼンシュタイン子爵、両名、面をあげよ」 

 言われて静かに顔をあげると、アダム王太子が段上で立派な椅子に座ってこちらを見おろしている。輝く金髪に青い目の高貴な美男だった。いかにも清廉潔白そうな顔つきで、色恋沙汰で婚約を破棄した男だとは思えない。

 そしてその側には、婚約パーティーの時に乱入してきた銀髪の男、カミルが立っていた。

「カミル……!?」

「あっ、あなたは!! どうしてこんなところに!?」

「お二人とも、王太子の御前ですよ、お控えください」

 カミルが王太子の友人であり、宰相の令息だということを、シグムントは先日エリザから聞いていた。しかし何故宰相の息子がここにいるのだろうか。彼はそんな二人の動揺を楽しむかのようにニヤニヤ笑っている。二人は、カミルのにやけた顔を見ないようにしながら王太子へ名乗った。

「……エリザ・ローゼンブルク、参上致しました」

「お初にお目にかかります、シグムント・アイゼンシュタインでございます」

 二人の挨拶に王太子がうなずく。

「うむ、御苦労。……さて、貴殿らはこの度、婚約をしたということだったな。めでたいことだ」

「……はい。ありがとうございます」

「その婚約なのだが、今から破棄してもらえないか」

「はっ…………?」

 一瞬、何を言われたのかわからず、シグムントは聞き返してしまった。

「エリザにはカミルと結婚してもらい、シグムント殿には子爵家に戻ってもらいたい。話と言うのはそれだ。」

「えっ……いきなりそんなこと言われましても……」

「恐れながら、いくら王太子殿下といえども、そこまで命令される筋合いはございません」

 毅然としているエリザを、王太子は睨み、口を歪めて鼻で嗤った。

「エリザ……そなたが可愛げの無い女ゆえ、夫になる男が見つからなかったのはわかる。しかしいくら何でも7歳も年下の、子爵家の次男など、身分が違いすぎるだろう?カミルはそれを憐れんで、そなたを妻にしてやろうと申しておるのだ」

 そして今度は微かに笑みを浮かべてシグムントの方を見る。

「シグムント殿も、ローゼンブルク侯爵から求婚されてさぞ困惑したことだろう。女の方から求婚など、はしたない……脅されたのか誑かされたのかは知らないが、もう悩むことはない。相応のかわいい妻を娶ると良い。無理な結婚をする必要などないぞ」

 エリザにもシグムントにも随分と失礼な言い様である。シグムントがさすがに立ち上がりかけたのを、エリザが制した。

「ローゼンブルク侯爵家はどうなるのです」

「私がしかるべき人物に命じて後を継がせる。本来なら先代のローゼンブルク侯とお前の兄が亡くなったとき、即座にそうすべきであったのだ。女一人で侯爵の責務など果たせまい、すぐに根をあげるだろうと思ったのだがな。女だてらに7年もよくやったものだ。これからは宰相の家で女らしく慎ましく暮らすがいい」

「王太子様、エリザ様が侯爵になられてから、領地は豊かに……」

 シグムントが言いかけるのを、エリザがまた止める。

「婚約破棄をお命じになるのは、もしや、シグムント殿が魔法を使えるからですか?」

「……さすがに察しが良いな」

「えっ、どういうことですか?」

「ご自分の妃たるセレスティア妃殿下ではなく、私の胎から魔法が使えるこどもが生まれるのがお嫌なのだろう」

「……はい?」

 予想していなかった方向に話が進み、戸惑うシグムントを置いて、カミルが言う。

「いやあ僕も驚いたよ。魔法は旧王家の時代に滅びてしまったと思っていたのに、小さな子爵家の次男坊が、希少な魔法を使えるなんて。君の氷魔法を見て、すぐに王太子殿下にご報告したと言うわけさ!」

「あんた衛兵呼ばれて逃げ帰っただけじゃないですか……」

「黙れ! 宰相令息の僕が逃げるわけがないだろう!……そうとも、エリザだってわざわざ男を養うよりも、ヴァルター家で暮らした方が良いだろう?おとなしく奥方らしくしてくれれば、苦労はさせないとも」

「……もしも私が嫌だと言ったら?」

「そうだなあ、色々理由をつけて君を国外追放くらいはできるんじゃないか?」

「なんと横暴な……!!」

「あのー……盛り上がってるところ申し訳ないんですが……」

 シグムントがおずおずと手をあげる。

「魔法ってそんなに珍しいんですか?……本読んで覚えたらできますよね、……?」

 王太子、カミル、エリザにじっと見つめられて、シグムントは言葉が尻窄みになっていく。なにかまずいことを言っているのだろうか?

「何を言うのだアイゼンシュタイン。魔法は、血のにじむような研鑽だけでは足りず、稀なる才能が必要なのだぞ。だからこそ私は魔法の素養をもつ旧王家に連なる血筋をもつセレスティアを妃に……」 

「だって、あれくらいの魔法、要は水分の温度変化ですから、うちだと湯沸かしとか水と食材の冷却とかに普通に使ってますよ!?」

「は……? 湯沸かし……冷却……???」

 王太子が固まってしまう。 

「そう言えば、アイゼンシュタイン邸で妙に紅茶が早く用意できたなと思ったらもしかしてそれか……!?」

「いやあ、うち貧乏でそんなに使用人雇えないですから、魔法使わないと家事が回らなくて……小さいときからそうなので、珍しくも思ってなかったと言うか……ハインツ伯領の家にはみんな湯沸かし/冷却魔法器具がついてると思うんですけど……」

「そんなわけがあるか!!」

「……いや、それが本当ならば、素晴らしいではないか、カミル」

 固まっていた王太子が笑みを取り戻している。

「シグムント、やはり貴殿には王宮に仕官してほしい。魔法の知識を国家に役立ててくれ。そうすれば、君の罪は咎めないことにしようではないか。」 

「は?罪とは……?」

 きょとんとするシグムントに、カミルが声高らかに言う。

「とぼけても無駄だぞ! 貴殿が毎週、不埒な読書会に通っていることは調べがついている!本来なら冒涜者として審問にかけられるところを、エリザとの婚約破棄と王室への仕官で緩そうと殿下はおっしゃっているのだ。ありがたく思いたまえ」

「……え、もしかして百合読書会のこと言ってます!?」

「読書会とは聞いていたが百合読書とはなんだシグムント殿」

「話すと長くなるんで後にしていただけますか侯爵!……おほん。あれは何も王政に反することはしておりません。架空の物語を鑑賞し、自らも筆を執り文化を育むための自由の場です」

「なんでも犯罪人と聖職者との恋物語を賞賛していたそうではないか」

「それは架空の話でしょう!!」

 憤るシグムントに、カミルは鼻を鳴らす。

「……ふん、愚かな。国家に役立つ魔法を会得しながらそれを軽視して、何の役にも立たない物語をありがたがっているなど。貴殿の目はずいぶんと節穴のようだ」

「……ヴァルター殿」

 カミルの言葉に、それまで虚を突かれて戸惑っていたばかりのシグムントの目がすっと細くなった。

「仮にも王太子のご友人を名乗り、父上の後を継がれ、自らも今後の王政に参画されるおつもりなら、一刻も早くそういった考えは改められるべきかと存じます」

「……なんだと」

「目先で損得を考え、不要に見えるものを切り捨てていったから、魔法の知識を伝えられる者も少なくなってしまったのではないですか?」

「お前に何がわかるんだ、この貧乏貴族が!」

「ええ、ええ、国政のことなんて僕にはさっっっぱりわかりません! とにかくエリザ様が万一にも望まれるならともかく、僕はあんたにだけは彼女を渡すわけにはいきません!」

 シグムントはきっぱりと言った。マルグリットを田舎娘だとののしって手をあげようとしたカミルが、エリザとマルグリットの仲を見守れるわけがないからである!

「シグムント殿……」

 見たことの無い毅然としたシグムントを、エリザは驚いて見つめていた。

「う、うるさい……!!お前の読書会のことを異端審問にかけたらどうなるか!!」

「いや、別にどうにもならんよ」

 突然、応接間に老人の声が聞こえた。

 全員が声の方を振り返る。そこには背筋をしゃんと伸ばした、銀髪に青い瞳の老人と、彼の後ろで白眼をむいて気絶しそうになっているクラウス・ハインツがいた。

「あれっ、銀鷲卿、どうなさったんです」

「緑葉卿、お疲れ様です~」

 シグムントとベルンハルトは互いに手をひらひらと振り合う。急に応接間が静かになったのでシグムントが振り返ると、王太子とエリザとカミルが唖然としてベルンハルトを見ていた。

「きょ…………」

「きょ……………」

「教皇様!!!!!」

 3人は(特に王太子は慌てて椅子から下り)、その場に手をついて平伏した。 

 


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