第2話 女侯爵は契約結婚をお望みです!

 シグムントが読書会から帰ると、屋敷の前に立派な馬車が停まっていた。馬車にはローゼンブルク侯爵家の薔薇の紋章がある。父のところに侯爵の使者か誰かが来たのだろうか?

しかし子爵家に侯爵が何の用だろう?父の仕事はハインツ伯爵の補佐役であり、それより身分が上の侯爵と直接関わることなどこれまで無かった。

 まさか栄転……いや、逆に何かやらかして懲罰か!? とシグムントが思っていると、父が真っ青な顔をして出てきた。

「父上! 何をやらかしたんですか!?」

「シグムント! お前何をやらかしたんだ!?」

 父子が同時に言って、互いに顔を見合わせる。

「ふざけないでください父上!アイゼンシュタイン家みんなの命運がかかっているんですよ!」

「お前こそ父をおちょくってる場合ではないぞシグムント! ローゼンブルク侯爵はお前に会いにいらしたと仰っているぞ!」

「……え?」

 シグムントは硬直した。使者ではなく侯爵が自ら? わざわざ自分に? お会いしたこともないのに何故???

「とにかく早く来い! これ以上侯爵様を待たせるな!」

 叱責と言うよりも悲鳴に近い叫び声で父はシグムントを急かした。

 アイゼンシュタイン子爵が恐れるのも無理はない。エリザ・ローゼンブルク侯は、父の跡を継いでから三年の間に、辣腕をふるい領地を豊かにした遣り手だが、そのぶん冷酷無慈悲で、規律を守らない貴族や邪魔な人間を容赦なく断罪していると聞く。

 アイゼンシュタイン家の次男坊、シグムントは不良ではないが、本の虫で、毎週読書会と称して友人たちと集まっている……まさかそこで反権力などのよからぬ思想に染まってしまったのでは? もしやそれが侯爵に知られて……等と考えれば考えるほど父親のアイゼンシュタイン子爵は不安になった。まさかその読書会が百合小説を愛でる会などとは夢にも思っていない。

 ともかく、シグムントが応接間に入ると、そこには美しい貴婦人が座っていた。側には、侯爵の侍女らしき女性もいる。

その顔を見る前に、シグムントは応接間の入り口でひざまずいた。

「お、お初にお目にかかります、シグムント・アイゼンシュタインと申します」

「そのように平伏せずとも良い。顔をあげなさいシグムント殿」

「……はい」

シグムントは顔をあげて、改めてローゼンブルク侯爵を見た。絵画の中から飛び出したような美しい女性だった。赤みがかった髪に、切れ長の緑色の瞳。白い肌はなめらかで、部屋全体に何だか良い匂いが漂っている。

しかしシグムントにはむしろその美しさが恐ろしく見えた。切れ長の瞳で見つめられただけで石になってしまうのではなかろうか。

「シグムント殿」

 侯爵の紅い唇が開く。

「急な話なのだが、私の仮初めの夫になってはくれまいか」

「…………はい?」

 侯爵は今なんと言ったのだ? 辣腕の女侯爵が子爵の次男坊を婿に? それに仮初めとはどういうことだ???

「なんでローゼンブルク侯爵がこんな格下子爵の次男坊に??? えっ、詐欺とかじゃないですよね? 失礼ですが本当にローゼンブルク侯爵様ですか???」

「あなた、なんて失礼な!!」

 侯爵ではなく侍女の方がシグムントの発言に怒って声をあげた。しかし侯爵はそれを手で制する。

「こんな話をいきなり聞かされては疑うのも無理はない。ちなみに私は正真正銘の本物だ。爵位の証明書は屋敷の金庫にしまってあるが、この指輪を見るがよい。王家の紋章とローゼンブルクの紋章が入っているだろう」

 シグムントがおずおずと侯爵に近づき指輪を見せて貰うと、確かに指輪には王家の紋章とローゼンブルクの紋章が彫られていた。

「ごめんなさい大変失礼しましたそう言えば馬車にちゃんと紋章ありましたねハハハ命だけは勘弁してください」

「そんなことで怒るほど私は狭量では無いのだが……私が夫に求める条件は3つ。1つ、私の執務に一切口出ししないこと。2つ、私の愛を求めないこと。……ここまでの条件でも、プライドの高い男どもは了承できないようでな。そこで貴殿に白羽の矢が立ったというわけだ」

「出世欲無さそうで侯爵の執務もわからなそうで、女にも興味無さそうな格下の男だからちょうど良いってことでしょうか?」

「それはそうなんだが自分でそれを言えるのすごいな……」

 実のところローゼンブルク侯爵の見立ては間違っていなかった。シグムントは子爵家の次男坊、しかも下には4人の弟がいる。いずれにしても跡取りの長男以外はどこかの家に婿養子に入るか、出家して神に仕える道を選ぶかのどちらかだったのだ。まさかこんな逆玉の輿の縁談が来るなど思ってもみなかったが。更に、シグムントは社交界が苦手で、週に1度の読書会の他はもっぱら図書館で一日を過ごす本の虫として(本人は知らないが)貴族の間では変わり者だと有名だったのである。女性との交際にまったく興味がなく、父も頭を悩ませていたのだった。

「あの、それでもう1つの条件とは?」

「……3つ、私の恋人関係に口出ししないこと。以上だ」

 そう言いながら、ローゼンブルク侯爵はちらりと侍女を見た。目があった若き侍女は、にこりと微笑む。野に咲く花のような可憐な笑顔を見て、侯爵はふいと眼を伏せた。その頬にさっと紅がさしたのを見て、シグムントの中すべての点と点が線になってつながり、稲妻が体の中を駆け巡ったように感じた。

「な、なるほど~~~!! お任せください!! 侯爵のお望みのように、空気のような仮初めの夫になって見せます!  やった~~~百合を眺め暮らすだけの仕事に就きたいって夢が叶うぞ~~!」

「百合………?いや、うちの庭園に咲いているのは薔薇なんだが………?」

「こっちの話ですのでお気になさらず!!」

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