はたらけ! ヨルハさん
大陸に五つ在る国のひとつ、ザ=ナ王国。
その西端部に位置する辺境の町、エルシンキ。
ヨルハが辿り着いたのは、そんな田舎町であった。
彼の朝は早い。
夜明けと共に目覚め、多めの朝食を済ませる。
しっかり栄養を摂らなければ、仕事に差し障るからだ。
ワタリビト、即ち身元不明のヨルハが就ける職は少ない。
そんな中で最も日当が良かったのは、町の外壁修理作業だった。
内容はキツい。徹底した力仕事である。
現場監督も厳しい。思いっきり体育会系である。
現代日本人からすれば、給料も安い。日暮れまで働いて、たったの九十ガイルである。
そして日当の半額、四十五ガイルは借金返済に天引きされる。
更に十五ガイルは食事代に消える。
結果、汗水流した末ヨルハの手元に残る金は、一日で僅か三十ガイル。つまり三千円。
酒場の空き部屋をタダで貸して貰えなければ、或いは足が出ていた。
口添えしてくれたシャクティには、取り敢えず感謝すべきだろう。
「やってらんねぇ……」
エルシンキの町唯一の酒場。
量だけは多い飯と安酒を前にカウンターへと突っ伏し、掠れ声を搾り出すヨルハ。
彼が異世界へと至って、早くも一ヶ月。
その間、毎夜の如く見られた光景であった。
「やってらんねんだぁよ!」
「飲み過ぎですよヨルハ」
「こぇが飲まずにいられっかー! おかーり!」
バーテンを勤めるシャクティが、軽い溜息と共に酒を足す。
勢い良く飲み干し、ヨルハは半眼で彼女を見上げる。
「疲れたっす……給料は安いし借金は減らんし……」
「世の中とはそんなものですよ」
「現場監督のヤロー人をなんだと思ってやがんだ! 俺ぁ奴隷じゃねーっつのハゲ!」
「おい聞こえてんぞヨルハ! 誰がハゲだ!」
近くのテーブルでエールを呷っていたガタイのいい中年が怒鳴る。
ハゲではないが、それなりに薄かった。
尚、翻訳機の効果半径は約二十メートル。
そう広くもない酒場の中程度は、どこの席に座っても全域をカバー可能だった。
「うぅ……なぁなぁシャクティ、なんか上手い儲け話とかねーかなぁ?」
「そんなものがあれば、私だってこんな場末の酒場で働いてませんよ」
「店主が横に居るってのに、よく堂々と言えるねシャクティちゃん」
グラスを磨く小太りの男が、いっそ感心した風に慄く。
この看板娘、容姿は申し分ないのだが、愛想に欠けるのが難点である。
「ちっくしょー、あんだけ働いたのに雀の涙! 依然、借金城は落とせませぇん!」
先日渡された返済状況の明細を睨むヨルハ。
仕事が休みの日、シャクティが字を教えてくれたため、簡単な読み書きは覚えた。
紙面の末尾へと記された借金残額に、殆ど動きは無い。
何度も音を上げそうになりつつ勤労に励んだ成果は、まさしく微々たるものだった。
この世界の一週間は八日、一ヶ月は四週間、一年は十二ヶ月。
そしてヨルハの就く外壁修理は、週末二日が休み。
つまり一ヶ月間働いた末の返済額は合計、千ガイルちょっととなる。
だが、借金には利子がかかるもの。
ヨルハに課せられた金利は年間十二パーセント。一ヶ月あたりの利子は三百ガイル。
しかも、金利計算は最初に借りた額で一貫される。
元金をどれだけ削っても、完全返済するまで月々三百ガイル払わねばならない。
「今のペースですと、完済まで四年弱ですね」
「言うな! こちとら一ヶ月でもうボロボロ! 四年どころか半年で死んじゃう!」
ヨルハは憤っていた。
何故、異世界に来てまで借金を背負い、あくせく働かねばならないのか、と。
「金金金だ! 金が欲しい! びんぼー反対!」
「気持ちは分かりますよ。今夜は奢りますから、自棄にならないで下さい」
細く柔らかな指が、荒れ気味の髪を梳る。
ささくれ立った心を、少しだけ癒してくれた。
「シャクティちゃん珍しく優しいね」
「私、美形には親切なんです。だから店長には辛辣なんです」
「おぉっと思わぬ流れ弾だ。オジサン泣きそう」
半ば必要経費とは言え、ヨルハが借金を負う一助となった負い目かも知れない。
それでも、何くれと気にかけてくれるシャクティの存在は、彼にとって有難かった。
愚痴を零し、溜め込んだ毒を吐き出すことで、明日も頑張ろうと思わせてくれる。
「つってもやっぱ辛いもんは辛い……せめてもっと稼げる仕事があれば……」
元居た世界の断片的な知識の中に使えそうなものがあれば、少しは違っただろうか。
何せヨルハが覚えている記憶は、基本的に役立たずなゴミ情報ばかりなのだ。
例えば、去年のドラフト一位は誰だったとか。
例えば例えば、総理大臣が国会答弁で話してた内容とか。
「火薬どころかマヨネーズの作り方すら覚えてねー。ふざけんなし」
「どちらも知っているので教えましょうか?」
「あるんかいマヨネーズ。そう言えば昨日ポテトサラダ食ったわ、うん」
ますます以てやってられない。
八つ当たり半分に酒を呷り、飯を掻き込み、虚しくなって肩を落とす。
そんなヨルハに小さな転機が訪れたのは、これから数日後のことだった。
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