拘束魔法・借金ぐるぐる






 金髪の女は、シャクティとヨルハに名乗った。


 円滑な意思疎通が可能となった二人。

 ようやっと話し合いの場が整い、互いに事情説明や情報交換を始める。


 まずヨルハが、気付けば自分が見知らぬ森の中に居たこと。

 記憶が無いこと、何故か服を着ていなかったこと、化け物じみた大熊に襲われたこと。

 どうにか振り切り、偶然町へと辿り着き、こうして牢に放り込まれたこと。

 一頻り話した後、何か食べるものと水を貰えないだろうかと締め括った。


「どうぞ」

「ありがてぇ」


 黒いパンと平皿に注がれたスープ、水で満たした木製ジョッキ。

 質素だが、空きっ腹と渇き切った喉には十分過ぎる御馳走を前に飛び付くヨルハ。

 あっという間に平らげ、生き返ったとばかり、大きく溜息を吐き出した。


「話を聞く限り、どうやら貴方は『ワタリビト』のようですね」

「ワタリビト?」


 記憶を失くした異邦人がある日突然、何の前触れも無く身ひとつで現れる。

 そんな不可思議極まる現象が、この大陸では稀に起きるらしい。

 国によっては、異界よりの漂流者だと述べる声もある。


「異界……異世界……マジでか。え、じゃあ俺もしかして帰れない?」

「残念ながら」


 ワタリビトが故郷に帰ったという例は、記録上皆無。

 殆どの場合、自分が発見された土地へと帰化し、生涯を終えている。


「心中お察しします」

「おうふ。まあ、つっても家族とか友人知人の記憶はこれっぽっちも無いワケだけど」

「気を落とされぬよう。記憶喪失は時間の経過と共に軽減される場合もあるとか」

「細かいことはボチボチ覚えてんだけどなー」


 思いもよらぬ事態に苦笑しつつ、ヨルハは頭を掻く。

 じゃらっと擦れた鎖の音色が、鈍く響いた。


「あ、これ外して貰って大丈夫系?」

「えぇ、もう必要もありませんし。しかし、よくその状態で食事が出来ましたね」

「腹減っててそんなもん気にも留めてなかった」


 錠を取り除かれ、自由になった両手で軽く伸びをする。

 ヨルハも流石に一時はどうなるかと思ったけれど、大事に至らず済みそうだった。


「……しっかし、異世界かぁ。これからどうすっかね」


 誰一人として自分を知る者の居ない異境の地。

 頼れる相手も縋れる伝手も無い、まさしく天涯孤独の身上。

 今宵の寝床すら儘ならぬとは、なんとも侘しい話である。


「身の振り方を考えるのは結構ですが、もうひとつお話が」


 思い悩むヨルハに淡々とそう告げ、シャクティの視線が下がった。

 つい先程、自らの手で彼に手渡した、奇妙なネックレスへと。


「その首飾り。魔具の代金について」

「へ?」






 大陸と総称されるこの世界には、魔法と呼ばれる代物が在る。

 エルフや一部の魔獣などが行使する、特異な技法。


 しかしながら、魔法を扱うための燃料であるところの魔力。

 それを知覚可能な感覚器官を持たないため、人間に魔法は使えない。


 そんな大前提を覆す唯一の例外こそが、魔具。

 魔力伝導率の高い宝石類を炉心として組み込んだ魔法発動媒体。


 予め封入された術式、即ち一種類の魔法しか操れないなどの制約も多い。

 が、子供であろうと遺憾無く性能を発揮させられる点に於いて、信頼度は極めて高い。


 そしてヨルハのネックレスもまた、そうした魔具の中のひとつ。

 効果範囲内で発された言語を、対象が理解できる形に置き換えるというもの。

 謂わば、翻訳機であった。


「ちょい待って。俺、こいつ買わなきゃあかんの?」

「何を仰いますか。先程、購入契約書にサイン頂いたでしょう」

「詐欺って言わねぇかそれ」


 言葉も通じない相手に済し崩しで物を買わせる。

 さながら、観光客をターゲットにした卑劣なやり口。

 確かに記名したのはヨルハだが、流石に少々納得行かなかった。


「まあ、確かにフェアではありませんでしたね」

「そうだろうそうだろう」

「ですけど、どちらにせよ貴方には必要なものだと思いますが」

「むぐ」


 そう言われてしまうと、返す言葉が見付からない。

 言語による意思疎通が適うか否かで、ヨルハのこれからは大きく変わる。

 このネックレスが要不要かで述べるなら、間違いなく不可欠だった。


「……いくら?」

「素直な方は好きですよ」


 にっこりと営業スマイルを添え、ソロバンに似た計算機を取り出すシャクティ。


「貴方は運が良い。つい先日、其方の商品は半額に値引きされたばかりなんです」

「つまり売れ残りか」


 些か複雑な気分で零すヨルハ。

 対するシャクティは素早く計算を終えると、伝票らしき紙を彼に差し出した。


「メンテナンス代込みで、こんなものですね」

「いや読めねぇんだけど」

「三万ガイルです」


 知らない単位で言われても、相場が全く分からない。


「ふむ。王都で四人家族が一年暮らすのに必要な額が大体、四万から六万かと」

「ほほう」


 日本円に直すと、およそ四百万から六百万ほどか。

 つまり一ガイルで約百円。そして、三万ガイルは約三百万円。


「なるほどなるほど」


 ………………………………。

 ……………………。

 …………。


「マジで?」

「はい」


 青褪めたヨルハの問いに、軽々しい首肯で返すシャクティ。

 まるでギロチンのように見えたと、後々彼は語る。






 こうして、芦澤ヨルハの異世界生活は幕を開けた。

 三万ガイルという、多額の借金を負ったスタートである。





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