【06】鬼面の者たち


 全員がとつぜんの鵜飼の豹変に驚き、彼から距離を取った。

「ぐあああああ……」

 すると鵜飼は門脇に目掛けて飛び掛かる。彼の顔面を両脇から鷲掴みにして押し倒す。そのまま、彼に馬乗りになって、両手の親指を彼の眼窩がんかに捻り込む。ぶじゅり、ぶじゅり……と熟れた果実が潰れたときのような音が鳴り響いた。

「おい、やめろ!」

 建内がカメラを畳の上に置いて、鵜飼に掴み掛かる。続いて満田がマイクのポールを放り投げて鵜飼の右腕を門脇の顔面から引き剥がそうとした。しかし、そのときには既に、彼の親指は門脇の眼窩に根元までめり込んでいた。

「何やってんだ! おい!」

 建内が鵜飼を羽交い締めにして引き剥がす。門脇は釣り上げられた魚のように痙攣けいれんしながら、両目から血の涙を垂れ流していた。そこで見上が悲鳴を上げながら後退りして、足をもつれさせ社の正面で尻餅を突く。社の中の鏡に彼の姿が映った。

 その直後だった。

 建内が悲鳴をあげた。どうやら鵜飼が彼の右手首にかぶりついたらしい。建内は鵜飼を突き飛ばして右手首を抑える。その指の隙間からは尋常ではない鮮血が溢れ出して、したたり落ちていた。鵜飼が何かを吐き出した。それは、建内の手首から噛り取った肉片だった。

 建内は「ううっ」と弱々しい呻き声をあげたまま、青い顔で右膝を突いた。そこに鵜飼が奇声をあげて飛び掛かる。建内にのし掛かりながら、その親指を眼窩に捻り込もうとしている。

 満田がガンマイクのポールを拾い上げて振りかぶった。

「うおおおおおっ!」

 鵜飼の背中を強打する。しかし、猛獣となった鵜飼はまったく意に返した様子もなく建内の眼窩に自らの親指を捻り込もうとしていた。

 満田はポールで何度も何度も鵜飼の背中や後頭部を滅多打ちにし始める。しかし、鵜飼はびくともしない。その現実離れした光景を、玉城は唖然としたまま、他人事のように眺める事しかできなかった。

「あ、あっああああっ……」

 建内が声にならない呻きをあげる。そこで、玉城はようやく我に返った。コートのポケットからスマホを取り出して通報しようとした。しかし、電波が入っていない。

 兎も角、この屋敷を離れ、スマホが使える場所まで戻らなければならない。

 玉城は顔をあげた。すると、その瞬間だった。

 畳の上にへたり込んだままだった見上がとつぜん立ち上がり「うぎゃあああああああ……」と、絶叫してガンマイクのポールを振り回していた満田に飛び掛かった。

「おい! 何だ!? お前まで、おかしくなっちまったのか!?」

 見上と揉み合いになる。

 そこで、玉城は気がついた。座敷の左右の壁に掛けられたいくつかの化粧鏡の中に、鵜飼の傍らにそれは映り込んでいた。

 白い狩衣姿。

 それは建内にのし掛かる鵜飼をじっと見下ろしていた。その顔は般若のような鬼の面で覆われている。

 そして、満田と揉み合う見上の側にも、狩衣の者が佇んでいた。同じように般若のような鬼面で顔を覆っている。

 玉城には、この鬼面の者たちが何なのかは解らない。しかし、それは彼女の拙い霊能力でも感じる事ができた。明らかに二人は、それ・・に取り憑かれている。

 満田が見上に押し倒された。

「……に、逃げ」

 満田のその言葉は悲鳴へと変わる。彼の眼窩に親指が差し込まれからだ。

 玉城は右手にスマホを握ったまま、弾かれたように座敷を後にした。




 一本道の廻廊を駆け抜け、赤目邸の玄関から夜の闇に躍り出ようとしたところで、敷居につまずき苔むした石畳に折れ込んだ。すぐさま立ちあがるが右足首に鋭い痛みを覚えて玉城ゆいは顔をしかめた。

 それでもどうにか、右足を引きずりながら、GoProの撮影用ライトを頼りに暗闇に満たされた八十上村を駆けた。  

 その最中、玉城は考える。

 あの鏡にしか映らない鬼面の狩衣が現れたのは、社の扉が開かれた後だ。そして、鵜飼と見上は共に祠の中のあの鏡を覗き見た。その結果、あれ・・に取り憑かれ、おかしくなってしまったのだろうか。やはり、あの社の鏡が“見たら気が狂う呪いの鏡”だったのだろうか。

 しかし、それならば、自分はなぜ、あの鬼面の狩衣に取り憑かれなかったのか。二人が鬼面の狩衣に取り憑かれたのは、あの鏡を見た事とは関係がないのだろうか。

 様々な疑問が頭の中で入り乱れる。

 やがて、ずいぶんと赤目邸から離れた頃だった。両脇をかつて田圃だった茂みに挟まれた一本道に差し掛かったとき、背後から「うぎゃあああああああ」という恐ろしい叫び声が聞こえていた。発狂した鵜飼か見上だろう。

 玉城は立ち止まり振り返る。

 叫び声は近づいて来るが、その主の姿はまだ見えない。玉城は少し逡巡した後で、GoProの撮影用ライトを落とし、道の右脇の茂みへと飛び込んだ。そして、長く伸びた枯れすすきの群れに紛れて息を潜める。明かりがないので、茂みの向こうの様子はまったく解らない。

 やがて、叫び声と共に足音が大きくなっていって、それがぴたりと止んだ。枯れ薄の茂みを挟んで数メートル向こうの暗闇から、ふー、ふー、と息遣いが聞こえた。

 こっちを見ている。

 玉城は息を止めて口元を両手で覆った。恐怖に濡れた双眸そうぼうを目一杯に開き、ほんの少しの身動ぎもしないように、身体を強張こわばらせる。

 その状態がずいぶんと長く続いたような気がし始めたとき、再び何者かは絶叫しながら走り去っていった。

 その足音と声が聞こえなくなった頃、玉城は肩の力を抜くと溜め息を吐いた。そして、警察に通報しようと電波を確かめようとした。しかし、スマホが何処にもない。コートのポケットには、煙草とライターと携帯灰皿しか入っていなかった。

 そこで、思い出す。赤目邸を出たときは右手にスマホを握っていた事を。

「あのときだ……」

 転倒してスマホを手放してしまったのだ。

 玉城は絶望した。

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