【05】弛んだ蝶番


 木造の廃屋が軋み、その軒下に吊るされた鏡が大きく揺れる。

 ロケ隊一行は特にパニックに陥る事なく、倒壊の危険性が高い廃屋から離れ、できるだけ広い場所に移動して待機する。

 地震は一分ほどで収まった。 

「……震度二か三ってところか? 大丈夫そうだな」

 ディレクターの門脇が立ち上がり、ロケ隊のメンバーを見渡して言った。

「……大丈夫? みんな」

 玉城は顔をひきつらせながら頷いた。他の面々も特に怪我などのトラブルに見舞われた様子はなかった。門脇が両手を叩き合わせて声を張りあげる。

「それじゃ、続き始めようか」

 ロケ隊一行は、各々撮影再開の準備をし始めた。




 そうして雲間の月が輝きを増し始めた頃、一行は辿り着く。

 敷地内を取り囲む板塀の黒渋は色褪せ、すきっ歯のように隙間や穴が空いていた。棟門の屋根の瓦はほとんどが剥げ落ち、木のはり野地板のじいたがむき出しになっている。

 その向こう側には、低木や背の高い雑草の生い茂る庭があり、奥には平屋の日本家屋が埋もれるように佇んでいた。外見では、そこまで荒れ果ているようには見えない。

 その門前で撮影が始まる。

 脚本通り玉城ゆいが赤目家についてや、その氏神であった“カガミさま”についての情報を流暢りゅうちょうに語る。

「……この赤目家と“カガミさま”は、あの呪われた鏡と何か関係があるのでしょうか? これから屋敷の中へと潜入してみたいと思います」

 そこで、カットとなった。

 休憩に入り、玉城は鵜飼に預けていたバッグから手鏡を取り出して手早くメイクを確認した。そして、マイルドセブンのボックスとライター、携帯灰皿を取り出して一服する。

 煙をくゆらせながら、暗闇へと沈んだ赤目邸へと目線を向けて独り言ちた。

「……ここ、ちょっと、やばいかも」

 こうした感覚は心霊スポットのロケなどで稀にある。それは、本当に触れてはいけない“本物”の気配。その妖気は、彼女の拙い霊能力でもまざまざと感じる事ができた。

 込み上げる不安感に、近くで満田と何やら真剣な様子で話し込んでいた門脇に思わず声を掛けた。

「門脇さん……」

「あ、何?」

 話の途中でタイミングが悪かったせいか、少し苛立った様子で門脇は反応した。しかし、玉城は臆せずに言葉を続ける。

「……ここ、ちょっと、ヤバいかもしれません」

「は?」

「かなり、危険かも」

 その玉城の言葉を門脇は鼻で笑い飛ばした。

「ねえ、玉城ちゃんさ……そういうの、カメラの前でやってよ。何でカメラ回ってないのに、霊感キャラアピールしてんの。意味ないでしょ」

 そう言って、門脇は満田との会話に戻ってしまった。

 酷い言い種だが、いつもの事なので落胆はしなかった。玉城は再び赤目邸に視線を移す。

 危険といっても何が危険かまでは具体的に解らなかったし、そもそも、この八十上村には大勢の廃墟マニアが立ち入っている。

 玉城が事前にネットで調べたときは、幽霊を見たとか、写真に人影が映っただとか、そんな怪談話はある事にはあった。しかし、何か危険な目にあったというような話は見当たらなかった。

 自分の気のせいかもしれないし、ようはこのロケが終わるまで何も起こらなければよいのだ。そう願うしかない。

 だが、その希望的観測は、このあと大きく裏切られる事となる。




 少しだけ開いたままになっていた千本格子の引戸の奥には広い土間があった。右側には炊事場と勝手口があり、対する左側の上がりかまちから板張りの廊下が続いている。大抵この手の日本家屋は、土間と、客を出迎えるための囲炉裏いろりの間は隣接しているはずだが、それがない。玉城には建築の知識がなかったが、その事がとても奇妙に感じられた。ともあれ、GoProを取り付けたヘルメットを被っている彼女は、その光景を見渡す。

 特におかしなものは視えない。しかし、赤目邸の外観を見たときに感じた嫌な気配は更に濃くなっている。

 後ろを振り返り、玄関の外でカメラを構える建内の右隣にいる門脇の方を見た。彼は“早く行け”と声を出さずに口だけを動かし、右手の指先をパタパタと動かして追い払うときの仕草をした。

 玉城は仕方なしに左側を向いた。框に土足で上がり、そのまま廊下へと進む。

 床板は、ところどころ湿気でたわんだ場所があったが、歩行が不可能というほどの荒れ方ではなかった。さっきの地震の影響もなさそうだ。

 廊下の内周に面した壁にはふすまや木枠だけになった障子戸が並んでいる。各部屋同士は通常の日本家屋のように繋がっておらず、洋風建築のように独立しているのが、何とも奇妙であった。

 廊下は時計回りに母屋の外周に沿って延び、やがてロケ隊は中心部にある部屋に辿り着く。その入り口は裏鬼門に面しており、鬼門の方向に向かって細長い座敷であった。左右の壁には、いくつかの化粧鏡が掛かっており、その壁際の床には鏡の破片や割れ落ちた鏡の枠などが折り重なっていた。

 玉城はその空間に足を踏み入れ、懐中電灯の明かりを這わせる。そのまた奥の壁際まで行くと、怪訝そうな顔になる。

「何、この隙間……」

 奥の壁の左側に十センチ程度の隙間が空いていた。ディレクターの顔を見ると“行け”と口だけ動かした。玉城はうんざりとしながら、その隙間に近づき、懐中電灯の光を照らす。すると、隙間の床部分に襖の敷居のようなレールがある事に気がつく。長年閉ざされたままだった隠し戸が地震により半開きになってしまったのだ。

「これ、開くかも」

 その壁を玉城は両手で力一杯左側に引いた。何かが引っ掛かっているのか、なかなか動かなかった。

 そこで門脇が「鵜飼!」と言った。呼ばれた彼は、玉城と位置を入れ代わり、隠し戸を思い切り引いた。しかし、びくともしない。見上も加わり、二人で隠し戸を開こうとした。徐々に隙間が広くなっていく。

 そして、隠し戸が完全に開かれる瞬間、どん……と軽い衝撃があり、天井から降り注いだほこりが、ロケ隊一行の被っていたヘルメットの上に降り注いだ。

 その奥に隠されていた空間を目にした彼らは、驚愕に目を見開く。

 天井には捻れた注連縄。

 白木の社。

 漆塗りの供物台。

 その供物台の上には、十二インチのタブレットがすっぽりと収まるくらいの大きさの箱があった。それは、怪談師のノロイがインタビューのときに見せた檜の箱と同じものに見えた。

 ディレクターの門脇が興奮しきった様子で言う。

「これは凄いぞ……まさにインターネットでは見られない新発見だ!」

 その直後であった。

 地震と経年劣化のせいで蝶番が弛んでいたらしく、閉ざされていた社の扉が、きぃー……と不気味な音を立てて、ゆっくりと開いた。

「おわ……びっくりした……」

 もっとも社の近い所にいた鵜飼は背筋を震わせた。彼は何気ない様子で社の中に懐中電灯の光を向けて覗き込んだ。近くにいた玉城も覗き込む。中には丸い鏡があった。

「か……鏡があります。これって……」

 鵜飼が顔をひきつらせる。

「おい、まさか、それ、呪われた鏡なんじゃないだろうな?」

 その門脇の口調は冗談めかしたものだったが、彼は社を覗こうとしなかった。

「ま、まさか……別に何ともないですし、ねえ?」

 鵜飼がそのままの姿勢で玉城に同意を求めた。

 鏡には懐中電灯を片手に中腰で社を覗き込む鵜飼と、彼のすぐ左後ろに立つ玉城の姿があった。その右隣。鵜飼の遥か後ろだった。座敷の真ん中あたりに誰かが立っている。

 それは白い狩衣を着ていた。うつむいているのと距離があるため、顔はよく解らない。

 玉城は驚いて後ろを振り返る。

 誰もない。

 そのリアクションを怪訝に感じた門脇が声をあげる。

「ゆいちゃん、どうしたの?」

「そこに、人が……」

 そう言って、鏡に映った狩衣姿の何者かが立っていた場所を指差す。

「おい」

 その門脇の言葉に反応した建内が、カメラをそちらに向けた。鵜飼も頭を上げて振り返る。門脇、見上、満田の視線も、その何もない空間に集まる。玉城は反対にもう一度鏡を見た。

 すると、背を向けて社の前に立つ鵜飼の股の間だった。そこに白い衣の裾から覗く足袋が映っていた。彼のすぐ正面に・・・・・・・さっきの狩衣姿が・・・・・・・・立っている・・・・・

 玉城は悲鳴を上げた。

「今度は、どうしたの?」

 見上が彼女の視線を追って、社の中を覗き込む。

 すると、その直後だった。

 鵜飼が頭をかきむしりながら天井を見上げ、獣のような雄叫びをあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る