【07】桜井と茅野、気を利かせる。


 桜井梨沙はとつぜん襲い掛かってきた男をロケバスから引きずりおろした。入り口のドアの真下の地面に転がす。

 そこで、茅野が男を結束バンドで拘束した。すると、そこで怪訝そうに眉をひそめた。

「この男、さっきの梨沙さんの打撃による鼻血以外に負傷してるところはないわ」

「という事は、もしや、素手で……」

 桜井がロケバスの開かれたドアの向こうの死体を見上げて言った。茅野は地面に転がったまま意識を失って動かない男を眺めながら不敵に微笑む。

「恐らくはそうでしょうね」

「ひょっとすると、ゾンビウイルスとか? 村の近くに研究施設があったり? それなら倒すよ!」

 桜井がジャブとストレートを虚空に放つ。茅野は「ゾンビはチョークで落ちないと思うわ」と、言ってスマホを取り出す。

「一応、篠原さんに連絡しておくのが筋だろうけど……」

「そだね。人が死んでるし」

「でも、篠原さんは今、錬金術師の家の対応で凄く忙しいと思うの……」

「だろうね」

「……ならば、ある程度、こちらで状況を把握して、それから篠原さんに報せてあげましょう。生存者がいるなら、そちらの安全も優先して考えなければならないし」

 などと、茅野はもっともらしい事を述べているが、その瞳はまるで新しい玩具を見つけた子供のように輝いていた。そして、それは桜井も同様であった。

「あたしたちって気が利くよね」

 そこで茅野が地面に転がる拘束された男を見下ろしながら言う。

「まずは、一連の事件が霊障によるものなのか否かを調べましょう」

「と、言う事は九尾センセだね!」

 桜井はそう言って、ネックストラップのスマホを手に取るが、眉をハの字にして疑問を口にした。

「……でも、九尾センセに連絡したら、そこからけっきょく篠原さんの方に話が行くのでは?」

大丈夫よ・・・・。この時間帯、九尾先生は暇なとき、だいたい晩酌をしているはず。そもそも使い物になるのか怪しいわ」

「いや、流石にそれはセンセを舐め過ぎでしょ」

「兎も角、九尾先生の方から篠原さんに連絡が行ったなら、それはそれで良いわ。どうせ後で連絡はするのだし」

「それもそだね」

 桜井は地面に転がった男の写真をスマホで撮影し、九尾天全に送りつけた。これで、男が何かに憑依されているならば、彼女が反応を示すはずである。すぐには九尾から返信はなかった。

「取り敢えず、先生の返信を待つ間に、村の方へ行ってみましょう」

「らじゃー」

 こうして、桜井と茅野は扇型の空き地の左奥から延びる道の先へと向かった。




「うひゃー!」

 と、両目をぎゅっと瞑り、良い鳴き声をあげるのは最強霊能者の九尾天全であった。茅野の推測は当たっており、彼女は既に晩酌を始めていた。

 しかも、今宵の彼女の右手にあるのは御猪口ではなく、菊水の“ふなぐち一番しぼり熟成”のアルミ缶である。このお酒は生原酒であるため、通常の日本酒よりアルコール度数が四度ぐらい高い。そのため、この日の彼女は、早くも出来上がっていた。座卓の上には食べ掛けの総菜類と共に、まだ蓋を開けていないアルミ缶が並んでいた。

 そして彼女が座卓の下にある電源タップで充電中の、スマホに届いた桜井からのメッセージに気がつくのは、もう少し先の話になる。




 玉城ゆいが茂みの中に隠れてずいぶんと時間が経っていた。もちろん、スマホを拾いに赤目邸の玄関へと戻るつもりはなかった。早くロケバスまで戻らなければならない。そうすれば、杉本のスマホで通報できる。

 もう、あの狂気染みた叫び声は聞こえない。周囲に人の気配も感じられない。しかし、腰が浮かなかった。怖くて茂みの中から出ようという気になれない。

 彼女はドライバーの杉本が死んでいる事を知らないので、彼に早く事態を報せなければならないと思っていた。しかし、身体が動いてくれない。

 あの狂った鵜飼と見上に出会ってしまえば、今度こそ逃げ切れないかもしれない。か弱い女である自分が、あの二人に敵う訳がない。

 死への恐怖。それに負けて、取るべき行動が取れない悔しさ。この二つの感情がない交ぜになり、玉城は声を圧し殺しながら涙を流した。

 すると、その直後であった。

 茂みの向こうに横たわる道の右手側から微かに足音が聞こえてくる。それも二人分だった。

 一瞬、鵜飼と見上かと思ったが、どうも様子が違う。それは、まるで夜道を散歩しているかのような歩調だった。そして、その足音が随分と近づいてきた頃、微かな話し声が耳を付く。

 若い女だ。すすきの茂みの合間から懐中電灯のものらしき、明かりも見える。

 会話の内容は聞こえないが、ずいぶんと呑気な雰囲気であった。肝試しに訪れた廃墟マニアだろうか。それならば、蛟谷集落から橋を渡った先にある空き地で、待機中の杉本が事情を説明して村に行くのを遠慮してもらうように頼むはずである。

 いずれにせよ、何も知らない第三者がこの場所にいるのは危険だ。玉城は思い切って茂みから飛び出した。

「ちょっと! 今すぐ戻って!」

 そこには、二人の少女が目を丸くして立っていた。どちらもハイカー風の格好だったが、額に装着したヘッドバンドライトと、少女のうち背の高い方が肩に掛けたデジタル一眼カメラが妙に本格的だった。

 そして、もう一人の背の低い少女が極めて、のんびりとした口調で言う。

「お、第一生存者発見。って、テレビとかで見た事ある人だ」

 背の高い少女が言葉を続けた。

「……玉城ゆいね。今回のロケのリポーターかしら?」

 少女たちが発した“生存者”と“今回のロケ”というワードで、この二人はある程度、現状を把握しているであろう事を悟る。

 急に身体の力が抜けて、玉城は未舗装の路上にへたり込んだ。

「大丈夫?」

 と、背の低い少女が気遣わしげに肩を抱え、立ち上がらせようとする。そして、背の高い少女が冷静な声音で質問を発した。

「いったい、何があったのかしら?」

 玉城は赤目邸で起こった事を二人に話して聞かせた。

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