【10】謎解き無双


 時間は少しだけさかのぼる。

「ちょっと、これはノーヒント過ぎるわね」

 この言葉のあと、茅野が考え始めて、たったの一分後の事であった。

「なるほど……」

 と、言って部屋の中を見渡すと、リュックの中から方位磁石を取り出した。そして、方角を確認したあと、茅野は例の言葉を口にした。

「だいたい、解ったわ」

「お」

 桜井梨沙は知っていた。

 この言葉を茅野循が発するのは、本当に彼女がだいたいの事を解ったときであるという事を。

「ノーヒントかと思ったけれど、そうでもなかったわ」

「というと?」

「まず、この壁と天井にある四つの穴。これには恐らく四角い板状のものが螺か何かで留められていた。四方の壁と天井の五箇所に」

「まあ、そうだろうね」

 と、桜井も同意する。茅野の話は更に続く。

「……この板状のものが何なのか、まったくヒントがなかったのだけれど、実はこの“五”という数字がすでに大ヒントなのよ」

「どゆこと?」

 桜井が首を傾げ、茅野は話を続ける。

「五という数字。そして、部屋の四つの角が、それぞれ東西南北の方向を向いている事を加味すると、おのずと、どんな意味があったのかが見えてくるわ」

「どんな?」

 さっぱり解らないといった様子で桜井が首を傾げていると、茅野は得意気な微笑みを浮かべながら右手の人差し指を立て言う。

「アリストテレスの四元素よ」

「ありすとてれすの……よんげんそ……?」

 桜井が眉間にしわを寄せ、茅野が解説する。

「梨沙さんも聞いた事があるのではないかしら?」

「何を?」

「地、水、火、風……よくRPGなどで耳にする四属性。あれの元ネタみたいなものね」

「あー!」と桜井は声をあげて両手を打ち合わせた。

「……古代の人々は、この地、水、火、風の四つの元素で世界は構成されていると信じていたの。そして、アリストテレスは、地と水の間に北の方角、水と風の方角の間に西、風と火の間に南、火と地の間に東が、それぞれ対応していると考えたわ」

 そうして茅野は室内から入り口に向かって左の角を指して言う。

「あの角が北よ。それを考慮してさっきの法則を当てはめると、入り口のある壁が地、そこから逆時計回りに水、窓のある壁が風、そして残りが火となるわ。恐らく壁のプレートには、それを示す文言が書かれていたのではないかしら?」

「それはいいとして、じゃあ天井のやつは?」

「天井のはエーテルよ」

「えーてる……?」

「エーテルは、アリストテレスが提唱した第五の元素で、天界を構成していたとされるわ」

 桜井は得心した様子で頷いた。

「あー、だから、天井なんだね」

「そうね。この四元素とエーテルで五つ。この五という数は錬金術において重要な数字なのだけれど、それさえ知っていれば、ここまでの答えを導き出すのは誰でも出来るわ。でも、そのプレートに、何の意味があるのかまでは解らなかった。そこで、思い出したの」

「何を?」

「この館の主だった高柳隆三。彼が画家だった事は、ここに来るときに話したけれど……」

「うん」

「彼の作品のモチーフは静物や風景画ばかりなのだけれど、遺作だけは少しおもむきが異なるの」

「どんな風に?」

「縦長のキャンバスに彼自身の顔の右半分が描かれていて、その眼窩がんかの中に、小さな女の子が椅子に掛けて座っているというものよ。この女の子は、結核で亡くなった隆三の娘だと言われているわ」

「だいぶ、シュールだね」

 その桜井の言葉に茅野は頷く。

「現実的なものばかり描いていた隆三だけれど、この絵だけはシュールレアリズムね。それで、この絵のタイトルが『白く濁った眼球の裏』 白く濁った眼球といえば、目のレンズである水晶体が白く濁る白内障。白内障は英語で“Cataract” この語源となっているのは ギリシャ語の滝という意味の言葉よ。これは昔、白内障の原因は脳から流れ出た白い汚れた水が目の中に溜まるためだと思われていたからなのだけれど」

「水……」

 桜井は北西の壁を見た。そして茅野もそちらへ視線を向けながら言った。

「あの裏側に何かがあるわ」




 桜井と茅野は南西の方角の窓から外に出た。そして北西の壁の裏側に回った。その外壁を這う蔦の向こうに苔むしたレリーフがあった。花びらのような六枚の翼の中心に月桂冠を被った幼子の顔が置かれている。

「モチーフとなっているのは、智天使ケルビムね。神秘学の中では四元素の守護者とされる場合があるわ」

「四元素……循の推理通りっぽいね」

 そう言って、桜井はそのレリーフに手を伸ばした。

「お、この顔のとこ動くよ」

「やって見て頂戴」

 茅野のその言葉と共に、桜井がケルビムの顔を右側に回した。

 がこん……という、石のような何かが窪みにはまったときのような音がして、壁がガタガタと震動し始めた。どうやら、さっきの部屋の中で何かが動いているようだった。桜井と茅野は顔を見合わせると、急いで窓へと向かった。部屋の中を覗いてみると、その変化は一目瞭然であった。

 桜井は目を見開いて驚く。

「床が下がってる!」

 床が部屋を出たときより一メートルくらい下がっていた、なおも床は下降し続けている。

「部屋全体がエレベーターになっているみたいね」

「これはスペクタクルの予感!」

 二人は急いで窓枠を乗り越える。床はゆっくりと下降し続ける。

 茅野が遠ざかる天井を見上げながら言った。

「ずいぶんな大仕掛けだけれど、かなり古いものかもしれないわね。日本で初の乗用エレベーター自体は明治二十三年の凌雲閣りょううんかくのものが最古だと言われているけれど、荷物用の水圧式エレベーターなら明治八年からあったというわ」

「ふうん……」

 と、桜井がいつものようにぼんやりとした返事をした。

「それにしても、こんな仕掛けがあるなんて“賢者の石”は本当にあるのかもしれないわね」

「いいねえ……永遠の命があったら無限に鍛練がつめるよ」

「全世界の心霊スポットマップを作りましょう」

「夢が広がるね」

 そんな恐ろしい会話を交わすうちに、北西の壁の方向に横穴が現れ始める。そして、その向こう側に憤怒の表情で立ち尽くす白髪の男の姿があった。作業着に革エプロンをつけており、肩幅が広かった。

「ぬおわっ、人だ」

 と、桜井が声をあげる。その男は右手に刃渡り三十センチ程度の鉈を持っていた。それを見た茅野は特に驚いた様子も見せずに溜め息を吐いて肩を竦めた。そして、桜井の「いつものやつ?」という質問に「いつものやつね」と言葉を返した。

 やがて、がこん……という音と共に足元が揺れて、床の下降が止まった。

「この地下室を知ってしまったからには生かして帰すわけにはいかない」

 男は鉈を振り上げながら桜井と茅野に向かって駆け出す。

「お前らも実験台にしてやる!」

 しかし、彼はその言葉を最後まで口にする事はできなかった。

 どん、という音がして、腹部を凄まじい衝撃が突き刺さった。それだけで、意識が途切れそうになったが、更なる衝撃が顎を突き上げて彼の脳を頭蓋骨内でシェイクする。

 男はあっさりと鉈を床に落とすと膝を突き、腹を両手で抑えた格好のまま突っ伏して動かなくなった。

 

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