【09】賢者の石の正体
城田吉香はまんじりともせずにベッドの上で横たわっていた。
空腹以外には不快感はなく、城田はすっかりこの監禁生活に慣れてしまっていた。
しかし、その日の朝、唐突にいつもと違う事が起こった。まだ十二時少し前だと言うのに、部屋の扉が開いて高柳光貴が姿を現したのだ。しかも、彼の格好はいつも同じような色合いのラフなカジュアルスーツだったが、今日は作業着に革エプロンを着けている。
高柳はベッドの上で寝転ぶ城田に向かって、感情の籠らない声で淡々と言った。
「起きてくれ。一緒に来て欲しい」
「何なの……」
城田は上半身を起こすと顔をしかめた。高柳は特に意に介した様子もなく言った。
「これから、実験を行う」
少し間を開けて、城田はここにやって来た当初の目的を思い出す。
「やっとなのね……」
城田はベッドの縁から足を出すと、のろのろと起きあがった。
「実験の前に、妻と娘に会って欲しい。そこで実験の具体的な内容を説明する」
「解ったわ」
城田は高柳と共に部屋を出た。
「妻の静子はね。身長や体格以外は、何もかも君とは正反対の素敵な女性だった……」
天井に青白い蛍光灯が等間隔でならぶ廊下を歩きながら、高柳光貴の語りは続いた。
「ただ、癌を患ってね。余命いくばくもないと医師に宣告された。そんなとき、ここの事を私は思い出した」
「ここって何なの?」
城田は先頭を歩く高柳の背中に語り掛ける。答えはすぐに返ってきた。
「私の曾祖叔父……曾祖父の弟が住んでいた家だ。彼は錬金術に傾倒していてね。その研究施設を改装して使わせてもらっている」
「錬金術って……」
その言葉は漫画やゲームの中で見た事があったが詳しい定義は知らなかった。しかし、何となくオカルトじみた胡散臭いものであるというのは感覚的に理解していた。
「彼は錬金術の奥義である賢者の石を完成させようとしていた」
「だから、その賢者の石って、何なのよ?」
「不老不死をもたらす魔術的触媒」
「は?」
話がだいぶ胡散臭くなってきた。城田の心に不安が過る。しかし、高柳はまるで映画の中の狂科学者のように語り続ける。
「あらゆる死を遠ざけ、永遠をもたらす。結果として、賢者の石は妻の病の進行を完全に停めた。今は静かに眠りについている。だから君に協力して欲しい」
「何を?」
「妻と娘を目覚めさせる。そのためには是非とも君の力が必要なのだ。現段階では、賢者の石はあらゆる死を遠ざける事ができる。しかし、
「妻と娘……」
今までの話を聞く限り、賢者の石で眠りについているのは彼の妻ではなかったのか。なぜ娘まで……。
城田の心に猛烈な不安が過る。
やはり、五千万では見合わないかもしれない。高柳が背中を向けている今なら逃げる事ができる。踵を返して駆け出せばいい。しかし、それでどうなるというのだろう。
この場所がどこかも解らない。
そもそも、低血糖で頭も回らないし身体を動かすのもだるい。逃げ切れる気がしない……。
そんな風に逡巡していると、廊下の突き当たりに辿り着く。
「着いた」
そう言って高柳は、そこにあった扉を開けた。そして、すぐ右横の壁の電気のスイッチへ手を伸ばす。
その部屋が明るくなった。
空調のせいか、部屋の中は冷蔵庫のように寒かった。
「何なのよ、これ……」
城田は唖然としながら、その異様な光景を見渡した。
まず目についたのは、室内中央にある石材で出来た浴槽のような箱だった。人がすっぽりと収まりそうな大きさで、中には朱色のどろどろした液体が入っていた。
その真上の天井には、手前から奥へと渡された二本のレールがあり、そこには二つずつ滑車がついていた。
それぞれの滑車からは鎖がぶらさがっており、先端にはフックが取り付けられている。それらは、部屋の左側の壁から突き出たクランクやレバーと連動しているようだった。
その手前の床には、金網で出来た箱が置かれていた。こちらも人がすっぽりと収まりそうな大きさであった。
そして、部屋の扉口の左隣に位置する壁と奥の壁は、一面が棚で覆われていた。
扉口の左隣の壁には、怪しい薬瓶や工具などがぎっしりと収められている。
一方の奥の壁には、何やら人の手足や頭部などの形をした木彫りの像のようなものがたくさん並べられていた。
残る部屋の右側の壁には、二つの棺のようなものが立て掛けられていた。大きさは一七〇センチほどの大きさと、それより三十センチくらい小さな大きさのものが二種類あった。どちらも中にはぎっしりと薔薇や百合の花が収められている。
「紹介しよう。妻と娘だ」
そう言って、高柳は右側の壁の二つの箱に向う。城田も彼に続いて、その前に立った。
箱の中の花はすべてが造花らしい。そして、その中に人の顔が覗いていた。
大きな箱には城田より少し年上に見える女性が、小さな箱には幼い少女が……。
「これが、奥さんと娘さん……?」
話の流れからそうではないかと悟っただけで、城田にはそれが本物の高柳の妻と娘だとは思えなかった。なぜなら肌の質感や色合いが、まるで木製のようで、いかにも弾力に欠けて見えたからだ。とても血が通ってるように見えず、まるで木彫りの彫像のように思えた。
「これが賢者の石の力だ」
高柳が革エプロンのポケットから小枝のような何かを取り出し、城田に手渡す。
「賢者の……石の?」
城田は自分の手の中にある小枝のような何かをまじまじと見つめた。それは人の指の形をしていた。感触は柔らかい木材に近かった。
「賢者の石は有機物を無機物へと変換させる」
有機物を無機物に変換する。その意味がうまく頭の中で繋がらなかった。
「だから、その賢者の石って、いったい……」
「だから、あれだよ」
そう言って、高柳は部屋の中央に置かれた朱色の液体の箱を指差した。
「あれが……」
「そう」と、高柳は頷いて話を続けた。
「古代エジプトの民は、死後もその魂が戻ると考えて、死者の肉体をできる限り生前のまま保存しようとした。それが
「い、いったい何の話を……」
とてつもない
高柳は更に語り続ける。
「そこで、十九世紀から二十世紀頃のイタリアでは、その技法より完璧なものにしようという研究が盛んに行われていた。その結果として生まれたのが、この石化技術だ。そこに使われる特殊な流体合金こそが、伝説の賢者の石なのだよ」
「石化技術……?」
「そうだ。賢者の石に漬かった有機物は、一定期間を過ぎると無機物となる。石のように硬くなり、永遠に腐敗する事なく、そのままの形を半永久的に保てるようになる」
「えっ、え……じゃあ……」
城田はもう一度、自分の手の中にあった小枝のようなものを見た。高柳がなぜか誇らしげに胸を張って笑う。
「
「ひっ」
城田は掠れた悲鳴をあげて指を放り出し、一歩だけ後退りする。
高柳はその指を拾い上げて話を続ける。
「ただ、この賢者の石はね、有機物を無機物にできても、無機物を有機物にする事はできないんだ。その方法がまだ確立されていない。曾祖叔父も、
「えっ、えっ」
城田は戸惑いながら壁に立て掛けられた二つの箱と高柳の顔を交互に見た。
「……じゃあ、あなたは奥さんを……何で、そんな事を……」
「妻はもう現代の医療では救う事ができない。しかし、これが十年後ならどうだ? 二十年後なら? 医療が発展すれば、妻を完治させる事ができるだろう」
「えっ、なら娘さんまで、何で……」
高柳は自らの妻の成れの果てに視線を送ってから、その質問に答えた。
「妻がこうなってしまった後に、娘が泣きじゃくってね。
「は? だから? だからって……」
完全についていけなくなっている城田に向かって、高柳はさも当然の事のように言った。
「だから、こうすれば、もう娘は母親恋しさに悲しまなくて済む」
「えっと……あなたは、何を言っているの?」
城田は後退りする。高柳がにじり寄る。
「だから、君にも、この石化技術を受けてもらう。そうして、君の身体を使って、無機物を有機物に戻す方法を実験させて欲しい。大丈夫。きっと成功させる。君も元に戻してあげるよ、必ず」
「いやでも、これって……」
「そんな事をしたら死んでしまうんじゃ……」
城田がその言葉を言い終わる前だった。高柳はぴしゃりと言い放つ。
「魂はある!」
「は?」
困惑する城田に向かって高柳はいたって真面目な表情で言った。
「君も聞いたんじゃないのか?」
「な、何が……?」
「ここにいると、たまに聞こえてくる。子供たちの息遣いが」
「あ……」
城田は部屋の外から聞こえてきた子供の笑い声と足音を思い出した。
「あれは、高柳隆三が賢者の石の完成のために近隣から誘拐してきた実験体の子供たちの魂だ。きっと、妻と娘の魂もすぐ近くをさ迷っているに違いない」
高柳は愛おしげに周囲の何もない虚空へと視線を這わせて微笑んだ。城田は恐怖のあまり、表情を凍りつかせる。
「あんた……イカれてる……」
「まあ、そういった訳なので、安心したまえ。魂が肉体に戻れば、何も問題はないはずだ。その方法もちゃんと研究させてもらう。君を実験台にね」
その瞬間だった。
微かな震動と共に遠くから地鳴りのような音が聞こえた。
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