【08】ヒントなし


 枯れた夏草に被われた農地の合間にいくつかの廃屋がぽつぼつと点在している。その集落の奥の山深い森の中には砂利敷きの駐車場があった。どうやら付近の山の登山口らしい。駐車場にはランドクルーザーが一台停まっていたが人気ひとけはなかった。そして、左側の山肌を覆う木々の合間を縫って登山道が伸びており、右側に神社の鳥居があった。

 その神社の裏手に錬金術師の家へと通じる道があるのだという。

 桜井と茅野はハイカーづらで、神社の裏手にあった坂道を登る。道幅は狭く傾斜はきつかったが、雑草は茂っておらず、誰かが定期的に行き来しているであろう形跡が窺えた。

「心霊スポットマニアかしら?」

 茅野はいぶかしげな顔した。すると、桜井がグルメ評論家のような調子で言った。

「素人さん御用達のスポットだと、そんなに期待できないかもねえ」

 そんな会話を交わすうちに坂は平坦となり、目の前に開けた空間が現れる。

 大和塀の残骸や倒壊した日本家屋が、枯れた雑草や夥しい蔦の中から顔を覗かせていた。その更に奥に蔦に覆われた洋館が見える。

「あれが、錬金術師の家……」

 その桜井の言葉に茅野は「そうね」と頷く。二人はかつての正面門を潜り、隙間から雑草がはみ出た石畳を渡って、庇が潰れ落ちて塞がった日本家屋の玄関前に辿り着く。すると、茅野が右手の方に顔を向けながら声をあげる。

「見て、梨沙さん」

「どれ」

「こっちの方から裏手の洋館に回れるかもしれないわ」

 その茅野の視線の先にある枯れ草のやぶには、わずかに人が通れるような隙間があった。桜井を先頭にその隙間を進む。

「……やっぱり、ここ、けっこうな頻度で誰かが訪れてるみたいね。踏み潰れたり、茎が折れたりしている雑草があるわ」

「やはり、マニア……それとも心霊スポット特有の頭のおかしい人かな。いつものやつ」

「まだ何とも言えない。ただ、ここに来る車中でも言ったけど、この“錬金術師の家”は地元以外ではあまり知られていない」

「つまり、頻繁ひんぱんにマニアが訪れるような場所ではないと」

「そうね」

 などと、そんな会話を交わすうちに二人は倒壊した日本家屋の裏手に辿り着く。すると、雑草の中に埋もれていた煉瓦の小路が現れる。その先には錬金術師の家がある。

「……いやあ、中々のふんいきだね」

「悪くないわね」

 桜井と茅野は玄関ポーチへと続くステップの前で立ち止まり、満足げな表情で洋館の廃墟を見上げた。

 全体を空から見下ろすと大文字のLを時計回りに九十度倒したような形をしていた。Lの字の長い棒にあたる部分の真ん中に玄関が口を開けている。

 明治時代のものらしい擬洋風で、元々は漆喰塗りの白壁であったがぼろぼろに剥がれて下地の木目が見えていた。ポーチの屋根の上にはバルコニーがあり、屋根瓦は所々が割れ落ちて垂木たれき野地板のぢいたが覗いている。

 そして、母屋を取り囲む荒れ果てた庭先を覆う枯れ草の合間からは、ロココ調の天使像がいくつか顔を出していた。

 茅野は首から提げた一眼カメラのシャッターを切り、桜井もネックストラップのスマホで、ぱしゃぱしゃと写真を撮った。気が済むと、再び桜井を先頭に玄関ポーチの庇を潜り抜ける。玄関扉は二枚扉で鍵は掛かっておらず、あっさりと開いた。

 すると、その隙間から小さな鼠が飛び出してきて、桜井と茅野の足元を潜り抜けて背後へと消えた。普通なら悲鳴を上げそうなタイミングであったが、特に驚く事もなく二人は錬金術師の館の玄関ホールへと足を踏み入れた。




 青白い粗い画質のモニターには、見下ろすようなアングルで玄関ホールに足を踏み入れた二人組の侵入者の姿が映り込んでいた。もの珍しげにカメラとスマホで写真を撮りまくっている。因みにマイクはないので音声はない。

 その映像を目にした高柳光貴は舌打ちをして椅子の背もたれに肩甲骨を押し付けながら背筋を伸ばし、欠伸あくびを一つした。

 この館は茅野循が調べた通り知名度は低く、地元の若者の間で名前が知られる程度の場所であった。そのため、そこまで頻繁に侵入者がある訳ではなかったが、ごく稀に肝試しに訪れる若者がおり、高柳はそういった連中が現れる度に苦々しい思いをしていた。

 しかし、高柳はこの手の侵入者に対して、特に何かの対応を行う事はなかった。

 賢者の石が隠されている秘密の地下室に足を踏み入れるには、曾祖叔父の遺した暗号を解かなくてはならない。念のために、彼が遺したヒントはすべて処分してある。

 唯一のヒントは、県の美術館が所持している曾祖叔父の遺作だが、あれが秘密の地下室へと通じる鍵である事など誰も気がついていないだろう。

 そして、大抵の侵入者は館の地上階をぐるりと回って満足して帰ってゆく。

 監視カメラを取り付けたのは、秘密の地下室から出るときに侵入者と鉢合わせしないためだ。過去に運悪く肝試しに訪れた二人組の大学生と遭遇した事があり、それが切っ掛けとなった。

「また、肝試しか? まあいい」

 放っておけば、満足して帰るだろう。

 それはさておき、今は侵入者の相手をしている暇はなかった。

 今朝の計測で、城田吉香の体重が当時の静子と同じ体重となった。賢者の石の実験を始めるときである。

 静子を……そして、娘の沙莉愛を元に戻すために・・・・・・・

 高柳は、その簡素で狭いモニタールームのデスク前に置かれた椅子から腰を浮かせた。

 そうして、城田吉香が監禁されている部屋へと向かった。




 それは、洋館の左翼から前面に張り出した棟の先端にある部屋だった。

 バスケットコートの半分くらいの広さはありそうな正方形で、床と四方の壁、天井に至るまで煉瓦のようなタイルで被われており、窓は唯一の扉口の反対側――館の正面方向に一つしかない。窓枠や扉板はすでになくなっており、開け放たれてはいるが、まるで息苦しい地下牢獄のようで、明らかに他の部屋とは雰囲気が違っていた。

 その扉口を潜り抜けたあと、しばらく二人で部屋を探索する。

「見て。梨沙さん」

 扉口の方を見ながら茅野が言った。

「何?」

 窓際にいた桜井は茅野の隣へと移動し、彼女の視線の先を追う。

 それは扉口の上部であった。そこに螺穴ねじあなのような穴が四つ開いていた。その穴同士を線で結ぶと、六インチ程度の横に長い長方形となる。

 それを見た桜井は窓の方を指差す。

「それと同じような穴なら、窓の上にもあったよ」

「窓の上にも……」

 茅野は思案顔で窓際まで向かう。確かに桜井の言うとおりの場所にも同じような穴が四つ開いていた。

 そして、更に室内を探索すると、他の二枚の壁と、天井の中央にもそれぞれ同じ四つの穴が開いている事が判明した。

「いったい何なんだろうね……」

 桜井が難しい顔で両腕を組み合わせ、天井の穴を見上げた。茅野はペンライトを取り出し、床をざっと見て回る。

「床には同じような穴はないみたいね。あと地下室への隠し扉のような継ぎ目も見当たらない。四方の壁と床の接面には僅かな隙間があるけれど……」

 実は、四つの壁と天井には、地下室へと通じるヒントとなる文言が記された真鍮のプレートが留められていた。

 この五つの言葉と高柳隆三の遺作のタイトルがヒントであると知らなければ、秘密の地下室へ到る事はできない。しかし、五つの言葉の記されたプレートは、すべて高柳光貴によって処分されている。

「ちょっと、これはノーヒント過ぎるわね」

 桜井が見守る中、茅野は窓際で考え込み始めた。

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