【07】鬼婆伝説


 十一月二十二日。

 早朝から、オカルト研究会の二人は錬金術師の館が所在する群馬県北部の廣谷を目指していた。

 まだ空が白みがかった時間から、北陸自動車道を経由して、関越自動車道を上る。そして、長い長い三国トンネルを抜けて県境を越え、月野夜近辺に着いた頃であった。

 ぼんやりと眠たげな眼差しで車窓を眺めていた助手席の茅野循が口を開いた。

「……実は昨日、錬金術師の家について色々と調べていたんだけれど」

 そこで茅野はふわりと欠伸をした。そんな彼女のサイドウィンドウに映り込んだ横顔をちらりと見てから、運転席の桜井が声をあげる。

「その様子ではずいぶんと苦戦したみたいだね」

「苦戦というか、何も出て・・・・来なかったわ・・・・・・

「何も出て来なかった?」

 桜井がフロントガラスの向こう側を見据えたまま訝しげな顔つきをした。茅野は頷くと、ドリンクホルダーからたっぷりと甘くした珈琲の紙カップを手に取ってから口を開いた。

「賢者の石に関する情報は見られなかったわね」

「ここに来てガセネタ疑惑!?」

 桜井が目を白黒させて驚く。すると、茅野は苦笑を浮かべつつ珈琲を飲んでから自らの発言を補足する。

「ただ、廣谷の山中にある高柳邸に関しては、面白い噂話がSNSに投稿されていたわ」

「どんな?」

いわく、大学生が二人で肝試しに行った際に、鉈を持った男と遭遇して追い掛け回されたらしいわ」

「その人が、不老不死になった高柳隆三?」

 桜井の疑問に茅野は小さく首を横に振った。

「まだ何とも言えない」

「ふうん」

 と、桜井がぼんやりとした相づちを打った。茅野の話は更に続く。

「その他には、足音や子供の笑い声が聞こえるという話もあったわ」

「何か普通のスポットだね……」

 桜井は残念そうな顔をするが、茅野は「まあ落ち着いて。話はこれからよ」と言って、珈琲を飲むと次の情報を

口にした。

「錬金術や賢者の石に関しての噂は見つからなかったけれど、高柳隆三についての情報はWeb上のいくつかの郷土史資料で確認できたわ。舶来品好きの変わり者であった事は間違いないみたい。画家としても活動していたらしく、いくつかの佳作を遺しているわ。家業の蚕種製造業は彼の兄にあたる寅佑とらすけという人物が継いだみたいね。この寅佑の息子が『株式会社ウィロウ』の前身である『高柳製糸』の創業者らしいわ」

「うぃ……ろう……」

 桜井が首を傾げると、いつも通り茅野の解説が始まる。

「高崎に本社を置く健康器具メーカーよ。元々は包帯やガーゼ、綿棒、脱脂綿のような医療品を作っていたみたいだけれど、昨今ではマッサージチェアや美顔ローラー、美顔シャワーヘッドなんかを売り出しているわ」

「あー、何かたまに広告見るよね」

 桜井が得心した様子で頷く。

「で、その『ウィロウ』の元代表取締役なんだけど、その六歳の娘が今から五年前の二〇一五年に行方不明となっているの」

「ロリコンの変態の仕業か!? なら手加減は無用だね」

 にわかに色めきたつ桜井を茅野はいさめる。

「まあ、落ち着いて。まだ誘拐と決まった訳ではないわ。もっとも、失踪時の状況や現在にいたっても、その失踪した娘が発見されていない事を考えると、何らかの事件に巻き込まれた可能性は高いとされているけれど」

 そう言って、茅野は県警のホームページなどで得た情報を述べる。

 聞き終えたあと、桜井は難しげな顔で唸る。

「……確かにコンビニの駐車場で、ほんの少し目を離した隙にいなくなって、五年もそのままだなんて、尋常ではないね」

「それと、もう一つ気になるのが、錬金術師の家があるという廣谷周辺での事なんだけど」

「その子が失踪したコンビニの駐車場と廣谷って近いの?」

 桜井のその質問に少しだけ思案顔を浮かべたあと、茅野は首を横に振る。

「近いといえば近いけど、さほど離れていないっていう程度ね」

 そう言って、珈琲を口にした後で話の筋を元に戻した。

「……で、その廣谷では、昔から子供を攫う鬼婆の伝説があったらしいわ」

「鬼婆……腕がなるね」

「その鬼婆は千年近く生きていて、子供の生き肝が好物だったらしいわ。もちろん、これだけなら単なる伝説なんだけれど……」

「違うと?」

 桜井の言葉に茅野は紙カップを唇につけながら頷く。そして、珈琲を一口飲んでから話を再開した。

「明治二十二年の新聞によれば、廣谷集落で子供の失踪が相次いで発生したらしいわ。新聞では、この廣谷の鬼婆の仕業ではないかとしていたけれど」

「鬼婆の仕業って、そんなファンタジーやメルヘンじゃないんだから。新聞がそんな事を書いちゃいかんでしょ」

 桜井が真顔で突っ込みを入れるが、茅野は右手の人差し指をメトロノームのように振る。

「明治時代の新聞なんて、そんなものよ。“河童が出た”とか“人魚が網に掛かった”とかそんな記事が結構あったりするわ」

「そなんだ。それはそうと、明治二十二年って何年くらい?」

「一八八九年ね。ロンドンで切り裂きジャックが大暴れした翌年といえば解りやすいかしら? ちょうど高柳隆三が存命していた頃よ」

「確か、その高柳さんも子供を亡くしていたんだよね?」

 桜井の言葉に茅野は頷く。

「隆三の娘は失踪した訳ではなくて病死だけれど“子供がいなくなった”という部分の符合は気になるわね。それから、高柳邸で聞こえるという子供の笑い声も……」

「だねえ」

 と、桜井が不敵な笑みを浮かべながら頷くと、月野夜の文字が記された道路標識が遠くに見え始めた。




 ああ、五月蝿い。

 高柳光貴は臆面もなく、そう思った。

 娘の沙莉愛は母である静子が死んだと聞いて以来、ずっと泣き通しだった。可哀想だし痛ましいとは感じたが、率直に五月蝿かった。

 ちょっとした事で母親の事を思い出し、昼夜問わず声を上げて泣き喚く。

 こっちだって悲しいのは一緒なのだ。にもかかわらず、大人であり夫である自分は我慢しなければならない。それなのに、こうも近くで、ぴーぴー泣かれては堪らない。

 だから高柳は沙莉愛だけに真実を教える事にした。

 本当は、お母さんは死んでいないのだと。今は病気で苦しまないように眠っているだけなのだと。

 すると、会わせて欲しいと懇願こんがんするので、ある休日の朝に関越自動車道を下り廣谷を目指した。

 その途中に立ち寄ったサービスエリアの食堂でナポリタンを一口頬張ると、また母親の事を思い出したらしい。ナポリタンは沙莉愛の好物であり、静子の得意な料理の一つであった。

 高柳は優しい声音で沙莉愛を宥めながら内心では怒りを覚えていた。

 お前の母親は生きていると言ったではないか。そんなに父親の言う事が信用できないのか……と。

 怒鳴り散らしそうになったが必死にこらえ、食事もそこそこに駐車場のランドクルーザーへと戻った。再び廣谷の高柳隆三邸を目指した。

 沙莉愛はようやく泣き止むと、疲れたのか寝息を立てて眠りに就いた。そこで高柳の怒りもようやく静まる。

 何にせよ、賢者の石さえ使えば娘はもう悲しみにくれて泣く事はなくなるのだ。そして、またいずれ、家族三人で仲良く暮らせるようになる。

 そんな輝かしい未来に向けて、高柳光貴は車を走らせ続けた。

 

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