【05】遺作


 昼頃になった。

 高柳光貴がハンドルを握るランドクルーザーは、群馬県沼田市郊外の山間を割って延びる道を走っていた。カーブや路面の凹凸を通過するたびに助手席で眠る城田吉香は、かくり……かくり……と首を揺らしたが、いっこうに目を覚ます気配はない。

 まるで、死体のようだ。

 そんな彼女の様子を横目で見て、高柳は不安になる。少しだけ薬を多く盛り過ぎたのかもしれない。もし、彼女の生命にもしもの事があれば、すべてが台無しだ。生きていてもらわなければ困る。そうでなければ、実験台にはならない。

 因みに城田の膝には高柳のもってきた厚手のブランケットが掛けられていたが、その下になった彼女の両手首は手錠によって拘束されていた。足首も同様である。完全に拉致監禁。紛れもない犯罪である。

 しかし、これらの行為はすべて末期癌で闘病生活を送っていた妻のためだった。




 法律上ではすでに妻ではなかったが、高柳光貴は未だに高柳静子の事を愛していた。そして、彼女との間に生まれた一粒種ひとつぶだねの沙莉愛の事も……。

 彼女たちのためならば、どんな事でもするつもりだった。妻を癒し、娘の悲しみを消し去る。そのためには賢者の石が必要であった。

 高柳が賢者の石について知ったのは、亡き父親が今際の際に口にした言葉が切っ掛けであった。

 高柳光貴の父親である高柳太造たかやなぎたいぞうは、若き日は代々続く企業の取締役として辣腕を振るった傑物であったが、晩年は病魔に犯されて見る影もなく衰えてしまっていた。

 そんな彼の元へと仕事の合間を縫って見舞いに訪れたときの事だった。

 二人きりの病室でベッドに横たわり、やせた身体のあちこちからチューブを生やし、虚ろな眼差しで父親は言った。

「光貴……曾祖叔父そうそしゅくふの事は知っているか?」

「ああ……」

 なぜ、今そんな話を……と、疑問に思ったが、記憶を反芻して答えを返す。

「知っています」

 高柳隆三。

 西洋かぶれの変わり者だったとして知られ、画家でもあった。そして、舶来の魔術だとか錬金術だとか、そんな怪しげなものに傾倒していたのだという。

「……曾祖叔父の住んでいた家が、今も県北の山間に遺されている。その地下室にある、おぞましきものを、誰にも知られずに処分して欲しい」

「おぞましきもの?」

 高柳は眉をひそめた。すると、父親はひび割れてカサカサに荒れた唇をもごもごと動かした。

「……賢者の石だ」

「ケンジャノイシ?」

 この頃の高柳は、オカルトに関する知識がまったくなく、若い頃から勉強漬けだった事もあり、ゲームのたぐいもプレイした事がなかったので、その言葉を耳にするのは初めての事であった。

 しかし、父親は“賢者の石”という言葉の意味を口にする事はなかった。それからすぐに、目玉が飛び出しそうなくらい双眸そうぼうを見開いて、激しく咳き込み始めたからだ。

「地下室は……白く濁った眼球の裏……」

「父さん! いったい、どういう事なんですか!?」

 呼び掛けたが、返事はない。高柳はすぐにナースコールを押した。

 しかし、この数時間後に高柳光貴の父親、高柳太造はその生涯の幕をおろす事となった。




 父親の葬儀が終わり、しばらく経った後だった。

 高柳光貴は曾祖叔父である高柳隆三が、かつて暮らしていたという家へと独りで向かった。


 “おぞましきもの”


 その言葉が頭の中にずっとこびりついており離れなかった。誰かに相談する事も考えたが、何か自分が考えている以上にとんでもない事のような気がして気が引けてしまった。何よりも父親は“独りで処分して欲しい”と言い遺している。故人の意思に反する。

 問題の隆三の家は、山奥のほとんど廃村同然の廣谷という限界集落の更に先にあった。その鬱蒼うっそうとした落葉樹の木立に囲まれた土地に、ひっそりと埋もれるように存在していた。

 ぼろぼろになって傾いだ大和塀の向こうには、平屋の日本家屋があった。そして、その裏手側には、夥しい量の山葡萄の蔦に被われた洋館が見える。

 日本家屋は屋根が崩落しており、ぺしゃんこになっていたが洋館は未だに健在であった。その地下室に、くだんの“賢者の石”があるのだという。

 中世の錬金術師がその完成を目指したといわれる伝説の魔術的触媒。黄金を産み出し、永遠の命をもたらすもの。

 高柳はすでに、その言葉の意味を調べて知っていた。しかし、このときの彼は、そうしたオカルトには懐疑的で、すべて眉唾物の嘘だと思っていた。

 永遠の命……黄金を生み出す……馬鹿馬鹿しい。

 しかし、一方で、賢者の石の何がそこまでおぞましいのかに興味が湧いた。こんな人里離れた場所にひっそりと埋もれたままにする事すら良しとせずに、処分を人に頼むなど尋常ではないだろう。

 とりあえず、その賢者の石がどういったものなのか見極めるつもりだった。

 そうして、辿り着いた地下室で、高柳光貴が目にしたのは、想像以上の光景であった。しかし、どこか彼の心の琴線に触れるものがあり、けっきょく処分を見送る事となった。

 そして、曾祖叔父の高柳隆三が娘のために、それ・・を行ったと知ったとき、高柳光貴にとって、その光景はおぞましいものではなくなった。

 因みに父親が遺した言葉は隆三の最後の作品の題名であった。

 この言葉こそが隠された洋館の地下室へと通じる鍵であるのだが、それをなぜ絵のタイトルにしたのかは解らない。

 ただ隆三は稚気に溢れ、悪戯心を持った人物だったのだという。もしかしたら、彼もあの地下室のおぞましきものを誰かに見つけて欲しかったのかもしれない。この絵のタイトルは、隆三の出題した謎解きだったのだろう。

 因みに高柳は、この謎を解き明かすのに一月ひとつき近くの時間を要した。

 ともあれ、高柳光貴はこのとき彼の研究を引き継いで賢者の石を完成させる事を心に決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る