【03】人生の敗北者
二〇一四年頃からオフタイムに、赤坂、麻布、六本木といったエリアで、富裕層の男たちの財布で遊ぶ日々を送っていた。
元々は派遣事務、キャバクラ、ガールズバーなどの業種を転々としていた彼女であった。しかし、次第に男の財布を当てにするようになって、働くのが馬鹿馬鹿しくなって、仕事をいっさいしなくなった。
城田がそういった男たちと付き合うのは、金銭を得るという
そもそも彼女が港区女子となったのは、二〇一四年から日本語版サービスが開始されたSNSに己の“キラキラした毎日”を投稿し始めた事が切っ掛けである。
高級ブランドの衣服や装飾品を身に付け、お洒落な店で見映えのする料理や銘酒に舌鼓を打つ。隣にいるのは女性に対して金を掛ける事を惜しまないハイスペックな男。
そんな上質な
昔から容姿には自信があり、本人が何もしなくとも、周りにいつの間にか集まっていた男が大抵は動いてくれた。学生時代は常にスクールカーストの頂点で、その頃のキラキラした毎日が今もずっと続いており、これから先も続くものだと疑っていなかった。
しかし、そんな潮目が変わり始めたのが、二〇一九年頃、彼女が三十歳を迎えたときであった。この前後から急に男からの誘いが少なくなった。加齢と自堕落な生活習慣によって城田の唯一の価値であった容姿が劣化し始めたのだ。
しかし、プライドの高い彼女は間もなく始まったコロナ禍を理由に“今はご時世的に出歩く訳にはいかないのだから、誘われないのはとうぜんであり、
そして、緊急事態宣言が明けたあとも、倫理観や道徳心を盾にして“今は誘われても出歩くのは社会的規範に欠ける”として、慎ましやかに自粛生活を送る日常をSNSで発信するようになった。
しかし、彼女は内心では自覚していたし、焦っていた。
もし、コロナ禍が終息して以前の日常が戻ってきたとして、そのときいっさいの誘いがなくなっていたら。
プライドの問題だけではない。
もともと金銭感覚が一般的なものとは大きく掛け離れている彼女の口座には、すでにコロナ禍前からの貯蓄はなくなっていた。
田舎で小さなパン屋を経営している親とは、ずいぶん前に縁を切っており、実家に頼る事はできない。何人かの男に連絡を取って援助を求めたが、すべて無視されている。
もちろん、職歴に長期間の空白があり、他人の財布を当てにするだけで、自身はなんのスキルも持ち合わせていない三十歳無職を雇う職場があるはずもない。彼女自身も今さら真っ当に働く気などさらさらなかった。
そこで城田は、男からもらったブランド物の衣類や装飾品をフリーマーケットサイトで売りさばき、糊口をしのいでいたのだが、衣装部屋にあったそれらのお宝が尽き始め、いよいよとなり始めた頃だった。
それは二〇二〇年の十一月二日。文化の日の前夜。
かつて縁のあった
この誘いに城田は乗る事にした。
「きゃはははは、このワイン美味しー」
城田は赤ら顔でゲラゲラと笑った。
白い壁に
そうした調度類には似つかわしくないアクリル板が円形のテーブルを真ん中で隔てていた。
店内は薄暗く静かで、唯一城田のみが下品で五月蝿かった。
そんな彼女に慈しむような眼差しを向けながら、白髪をオールバックにした肩幅の広い男が、ナイフで切り分けたフォアグラのテリーヌにトリュフ塩をつけて口の中に運んだ。
この男が高柳光貴である。
彼は昭和の時代から高崎に本社をおく美容機器メーカーを運営する一族の出自であった。妻と子供がいたらしいが、今は一緒に暮らしてはいないらしい。
二年近く前に、愛人にならないかと誘いを受けたが、月二十万という小遣いが自分自身の価値とは不相応であるという理由で断った。それっきりだった。
しかし、こうして再び連絡を取ってきたという事はよほど自分に惚れているのだろうと、城田は気分を良くしていた。このまま、彼の妻の座におさまれば、将来の不安も老いからくる劣等感もすべてが吹き飛ぶ。
けっきょく自分は成功者の側にいるのだと、しばらく感じた事のなかった優越感が、この日の城田の酒量をふだんよりも増やしてしまっていた事は言うまでもない。
ともあれ、彼女はワイングラスを一気に
「これ、今飲んだワイン、いくらぁ?」
その日本語かどうかも怪しいほど呂律が回って聞き取り辛い質問に対して、高柳は朗らかな口調で答える。
「七万だね」
「あら、味は美味しいけれど安物なのね」と、少し不服そうに言うと、高柳は再びテリーヌを口の中に入れて、同じワインで口の中を綺麗に流してから口を開いた。
「違うよ。七万円はグラス一杯の値段さ」
その言葉を聞いた瞬間、城田の瞳がキラキラと輝く。
「うっわー、すごーい……」
高柳は得意げに笑うと、再びテリーヌを口元へと運ぶ。そこで眉間をしかめ、ぼそりと言葉を発した。
「ずいぶん老いてるな……」
彼の言葉を聞き取れなかった城田は「は?」と言葉を返した。すると、高柳は誤魔化すようにヘラヘラと笑う。
「あ、このテリーヌに使われてるのが、歳を取ったフォアグラだったものだからね」
「そうなの?」
城田がきょとんとした顔で聞き返すと、高柳は再びヘラヘラと笑って話題の転換を図った。
「それより、吉香ちゃんに頼みたい事があってね……」
「何かしら?」
愛人契約だろうか。それよりも本妻の座が欲しい。でもマンション車つきで月百万ならギリギリ愛人でもいい……などと、城田が思惑を巡らせていると、ウェイターがやってきて空いた皿を片付け、代わりにスープを置いていった。
具が入っておらず、浅学な城田には何のスープなのかがさっぱり解らなかった。しかし、そのスープは澄んだ黄金色に輝いており、まるで自分の輝かしい未来のようだとアルコール漬けになった脳内で夢想した。
そんな彼女に向かって高柳は話の続きを口にする。
「実は、我が社で開発した新しい美容機器のモニターを募集していてね。是非とも君に協力して欲しくて」
「何で、私に?」
「いや、やはり、その……君にはずっと、美しいままでいて欲しいから、その……」
急にしどろもどろになる高柳の態度はいかにも不審であったが、単に年甲斐もなく照れているだけなのだろうと、アルコールで判断力が著しく低下していた城田は特に気にも止めなかった。
そんな事より最新の美容機器による施術がただで受けられるだなんて、加齢による見た目の衰えを気にしていた城田には、渡りに船だった。
彼女はこの申し出を受ける事にした。
「……別に良いけど」
「本当にかい?!」と喜色ばむ高柳に、城田は質問を投げかける。
「で、どんな美容機器なの?」
「うーん……」
と、高柳は思案顔をしばらく浮かべたあとでヘラヘラと笑う。
「それは、まだ言えないかな。コンプライアンス的にね」
「あっそ」と、城田がつまらなそうにすると、高柳はスープを音もなく
「言える事と言ったら“賢者の石”という商品名だけたね」
「賢者の石……」
城田はその言葉を繰り返したあと、わずかに冷めたスープをスプーンですくうと、ずるずる下品な音を立てながら
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