【02】やばい先輩


 次の日の放課後だった。

 藤見女子高校の生徒玄関にて。

「……え、マジで? あんた独りで、あの・・オカ研の部室に行ったの?」

 と、目をむいて驚いたのは、下駄箱から自らのローファーを取り出した藤野綾希ふじのあやきであった。その言葉に、彼女の左隣で脱いだ内履きを下駄箱に入れながら二堂凪が頷くと、藤野の右隣にいた上野貞子が悲鳴に近い声をあげる。

「嘘でしょ?」

「えっえっ……何で?」

 二堂がきょろきょろと、そこにいた二人の顔を見返す。すると、藤野が信じられないものを目の当たりにしたときのような調子で声をあげる。

「オカ研って、桜井先輩と茅野先輩でしょ? やばいって、あの二人」

「だから、何が? 別にぜんぜん優しい感じだったよ? めちゃくちゃ美少女だったし。二人とも」

「ナギちゃんって、本当に天然だよね……」と、呆れた様子で深々と溜め息を吐いたのは上野である。

「私言ったじゃん、あの二人、何度も警察沙汰になった事があるって」

「え、それって、マジだったの!?」

 二堂には信じられなかったが嘘ではない。

 藤野が片足立ちで右足のローファーの踵に人差し指を入れながら言う。

「……あと桜井先輩、ああ見えてガチで強いらしいよ」

「強いって?」

「……何か中学の頃に柔道やっていたらしくて、東藤綾っているじゃん?」

「ああ、うん。あのオリンピック代表の?」

「そう。あの女子柔道日本代表の東藤綾。あの子と戦って勝った事があるらしいよ」

「え、桜井先輩が……?」

 昨日、部室を訪問したときの桜井梨沙のどこかぼんやりとした様子を思い出し、二堂は首を傾げる。すると、腰を下ろしてスニーカーの紐を結んでいた上野が、視線を斜め上にあげながら口を開いた。

「桜井先輩って噂だと、喧嘩とか大好きで、趣味でヤンキーとかボコボコにしまくってるって話だよ」

「まさか、それは流石に嘘でしょ」

 あんな小さくて可愛らしい桜井先輩が喧嘩なんかするはずがないと、二堂は笑い飛ばすが、おおむね真実である。

 そして、藤野が少しだけ怯えた表情で声をひそめながら言った。

「茅野先輩に関してはすっごく頭がよくって、あの生活指導の相田先生も弱みを握られてて、逆らえないんだって」

「嘘!? あの相田先生が……」

 あの美味しい珈琲を煎れてくれた美人の茅野先輩がそんなはずはないと二堂は思ったが、おおむね真実である。

 ともあれ、そこでスニーカーを履き終えた上野が、立ち上がりながら神妙な顔つきで言う。

「ごめんなさい。私が変な話をしたばっかりに。ナギちゃんがあの二人に目をつけられちゃったら……」

 そのときの上野の顔は血の気が失せており、罪悪感に染まって見えた。

 二堂はまるで事の重大さを理解していないといった様子で朗らかに笑う。

「何を大袈裟に……」

 そのときだった。

「お、ちょうど良いや」

 という、脳天気そうな声が生徒玄関の奥から聞こえた。二堂、藤野、上野はその声の聞こえた方向へと目線を向けた。すると、ちょうど話題となっていた桜井梨沙と茅野循が、校舎側から二堂たちの方へと近づいてくる。

「あ、先輩! 昨日はどうも」

 と、二堂は笑顔を浮かべて頭を軽く下げるが、彼女の背後にいた藤野と上野は真っ青になって顔を見合わせたあと、気まずそうに笑っていた。そんな二人を気にする様子もなく茅野が話を切り出す。

「昨日の話なんだけど、一応、情報元である上野さんにも直接話を聞いておきたくて。貴女が上野さんかしら?」

 と、茅野に目線を向けられた藤野は「いえいえ。上野はこっちです」と本物の上野を指し示す。

「あら。貴女が上野さんだったのね。これは失礼したわ」

「あ、大丈夫です。別に気にならないので。それより、話ってナギちゃんに話した“錬金術師の家”の事ですか?」

「錬金術師の家……そういうスポット名なんだね」

 と、得心した様子で桜井が言うと上野は頷く。

「私は群馬の山奥にあった廣谷ひろたにっていう場所で生まれたんですけど、地元ではそういう風に呼ばれていました。かつて高柳家の当主だった隆三が西洋かぶれで錬金術の研究に傾倒していた事は郷土の資料にも記載があるそうですよ」

「彼は賢者の石を精製しようとしていたそうだけれど、それは、まったくの独学だったのかしら?」

 この茅野の問いに上野は首を横に振る。

「高柳家は代々、蚕卵紙製造業をやっていて、その伝で横浜の貿易商と懇意だったそうです」

「なるほど。確か十九世紀中頃くらいに、ヨーロッパでは蚕の伝染病である“微粒子病”と“軟化病”が大流行して、養蚕業が壊滅的な打撃を受けた。その危機を日本などのアジア圏の蚕卵を輸入して凌いだのだったわね」

 と、茅野が淀みなく語ると、上野は感心した様子で頷いた。

「良く知ってますね」

 茅野はどこか得意気に話を続ける。

「おそらく、その際に横浜の貿易商が手にした舶来品の中に賢者の石の精製法を記した何かがあって、高柳隆三は興味を持った……そういう事ね?」

「そうです。もともと高柳隆三は、当時は不治の病だった結核に罹患した娘を甦らせるために、賢者の石の研究に手を染めたと言われています」

「悪い人じゃなさそうだね。腹パンは必要なさそう」

 その何気なく放たれた桜井の言葉に上野は首を傾げた。

「ハラパン? ハラパンって、いったい何の事ですか……?」

「あー、気にしなくていいわ」と茅野が誤魔化す。そして、会話をまとめに入った。

「なかなか、興味深い話を聞けたわ」

 と、そこで、校舎の方から恐れられる相田愛衣が姿を現す。

「こら、そんなところで集まって何をしているんだ。とっとと帰れ」

 怒声を上げるが、桜井と茅野に気がつくと、急に声のトーンを下げる。

「何だ。お前らか」

「センセ、こんにちは」

 桜井が凍り付く後輩たちを尻目に気軽な調子で挨拶をすると、相田が質問を発した。

また・・、部活動か?」

「はい」と茅野が返事をする。すると、相田は「ほどほどにな」と言い残して、あっさりと立ち去っていった。

 相田としては弱味を握られている事よりも、ある程度二人の活動に理解を示しているだけだったのだが、後輩たちの目には『あの相田先生を退かせた』という風に映ってしまった。

 結果として、桜井と茅野の伝説が更新される事となった。

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