【06】カサンドラ


 その日の昼休み。

 部室棟二階のオカルト研究会部室にて、桜井と茅野は昼食を取ろうとしていた。

「そう言えば、昨日の家の写真、九尾先生から返信はあったのかしら?」

「ああ、うん……さっき、来てた」

 桜井が弁当箱を包んでいたランチクロスの結び目をほどきながら、茅野の質問に答えた。何とも言えない微妙な表情である。

 茅野は角砂糖を三つ入れた珈琲をかき混ぜながら聞き返した。

「何か微妙なリアクションだけれど、どんな返事だったのかしら?」

「ちょっと、解釈に迷ってさあ」

 桜井はスマホを取り出し、メッセージアプリを開いて、その画面を茅野に見せた。そこには……。


 『この家では誰も殺されてないわ。死体とかもない』


「どう思う?」

 桜井の問いに茅野が断言する。

「つまり、あの家では、過去に誰かが殺されていて、その被害者の死体がまだあるって事ね」

「やはり、それか……」

 桜井は憐憫れんびんの表情を浮かべた。

 二人は、ふだんから頻繁に、さして意味のない画像を九尾に送るようにしている。大抵、そういったときの彼女の反応は『何これ?』とか、そんな感じであった。そもそも、この家で誰かが殺されたとか、そういう話は最初からしていない。

 あの家で何かがあった事を誤魔化したかったが、どうやら考えすぎて思考が一周回ってしまったようだ。

「九尾先生の言動を見ていると“天は二物を与えず”という言葉の正しさをいつも思い知らされてしまうわ」

 茅野がしみじみとした口調で言うと、桜井は頷いて同意する。

「霊能力だけなら最強なのに……」

「本当に…」

 二人は、はぁ……と、呆れた様子で溜め息を吐いた。そして、顔を見合わせると笑い合う。

 そうやって、九尾天全のポンコツぶりでたっぷり和んだあと、桜井が話を本題に戻した。

「それはいいとして、けっきょく、何なんだろうね。例のブログ主……カツサンドだっけ?」

「カサンドラよ。梨沙さん」

「そう。そのカサンドラさんは、やはり、あの家で誰かが死ぬ事を予言していた……?」

 桜井が弁当箱の蓋を開き、箸箱から箸を取り出して両手を合わせた。因みにこの日のメニューはお手製の海苔弁であった。白身魚のフライの他にも唐揚げとハムカツ、磯辺焼き、きんぴらごぼうが入っており、ボリュームは満点であった。

 一方、茅野はコンビニのチキンサンドをかじってから言葉を発した。

「恐らくそうでしょうね。そもそも、カサンドラというのは、ギリシャ神話で太陽神アポロンの寵愛を受けたトロイアの女王の名前でもあるわ。アポロンから力を授かり、未来を予言する事ができたと言われている」

「つまり、ブログ主は予知夢を見ていた?」

「かもしれないわね」

「でも、何で、ブログに自分が予知夢を見れる事や絵の場所で誰かが死ぬ事を書かなかったんだろう」

 桜井はいぶかしげな顔つきでハムカツに齧りつき、思案顔で咀嚼そしゃくする。

「まだ、何とも言えないけれど……」

 そこで、茅野はたっぷり甘くした珈琲を一口飲んでから言葉を続けた。

「カサンドラは、アポロンの愛が冷めて、自分の元から去る未来を予言してしまったために、アポロンの怒りを買って、彼女の予言は誰からも信じられなくなるという呪いを受けたわ。結果、トロイアの滅亡を止める事が出来なかった」

「ふうん。アポロンってクソだね」

「ギリシャ神話の神々はだいたいクソよ、梨沙さん」

「そなんだ」

「……まあ、それは兎も角、ブログ主のカサンドラも、自分の予知夢が誰にも信じてもらえないという自覚があったのではないかしら? もしかしたら、過去にそういう経験があったのかも」

「なるほど……」

 桜井がむずかしげな顔つきで、くまさんの水筒からほうじ茶をキャップにつぎ、ぐい、と飲んだ。

「でもさー。何で、あの家の絵を最後にブログの投稿をやめちゃったんだろ。そこも何気に気になるよね」

「飽きたか、ブログを更新できなくなったのか……」

 茅野が再び珈琲をすすった。

「……それとも、ツールをブログから変えたという可能性もあるわね」

「と、言うと?」

「情報の拡散と収集ならば、ああしたブログよりツイッターの方が向いているわ。あのブログで最後の投稿がなされた二〇一四年といえば、国内版のツイッターが情報発信のツールとして、かなり定着した後だったし、カサンドラがそうした選択を取ってもおかしくはない」

「あー、じゃあ、調べればツイッターで似たような事をしているアカウントがあるかもしれないって事?」

 この桜井の言葉に茅野は首を横に振った。

「一応、昨日から、ツイッターでいろいろと検索しているけれど、カサンドラと同一人物だと思われるアカウントはまだ見つかってないわ」

「うむむ……この人は、夢で見た場所で起こる悲劇を食い止めようとしていたのかな? それとも、何か他の目的が……」

 桜井が難しげな顔で、唐揚げを口の中に頬り込む。すると、茅野は右手の人差し指を立てて、言葉を発した。

「……そこは何とも言えないけれど、もしも、食い止めようとしていたのなら、結果はかんばしいものではなかったでしょうね」

「夢で見た場所がどこか解らないんじゃあね……」

「ええ。それに、あのブログには日時に関する記載もなかった。単にブログに書いていないだけかもしれないけれど、いつ事件や事故が起こるのか予知できていなければ、止めようがないわ」

「そもそも、アポロンの呪いがなくても、予言なんて誰も信じないよね」

 桜井の言葉に茅野は同意して頷く。

「現代ならば、そうでしょうね」

 そう言って、茅野はサンドウィッチを食べ切り、珈琲を口に含んだ。

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