【05】裏庭


 それは、都心を離れて茂房と暮らすようになって少し経った後だった。この頃の帆波は庭の手入れに着手しようとしていた。

 単純に放置されて荒れ果てていた庭先を綺麗にしたいという思いもあったが、かつて前妻の領域だった場所を自分色に塗り変えたいという支配欲もあった。

 しかし、前妻が使っていたと思われるガーデニング用具が見当たらない。恐らく裏庭の物置小屋に収納されていると思われるが、鍵が掛かっており戸が開かない。

 そこで夕御飯のとき、茂房に鍵のありかを訊いてみた。すると、彼も解らないのだという。

 茂房は裏庭に足を踏み入れた事はほとんどなく、物置小屋の存在すら今の今まで忘れていたのだという。神棚の下にある押入れの中に、前妻の物が少し残っているかもしれない……との事だった。

 鍵を見つけ出すのは億劫であったが、新しく道具を揃えるのも気が引けた。そこで帆波は次の日の昼間に、くだんの押入れの中を漁る事にした。中には埃まみれの段ボール箱や衣装ケースがみっしりと詰め込まれており、それを見た途端、うんざりとした。

 しかし、帆波は手前から根気よく段ボールや衣装ケースを引っ張り出して中身を検めていった。そのうちの一つだった。帆波は古いアルバムを見つけてしまう。そこで初めて茂房の前妻の顔を知る事となった。

 栖美は帆波と似た顔をしていた。そっくり、というほどではなかったが、雰囲気は似通っていた。

 茂房は明らかに、前妻の面影を自分の中に見ている。その事に気がついた帆波はアルバムを急いで箱に戻して蓋を閉じる。

 それから物置小屋の鍵は、すぐに見つかった。




 数日後の昼間、帆波の元に隣県で暮らす学生時代の友人がやって来た。富永明日香とみながあすかという。

 変わりもので、学生時代は霊感があるなどと自称していたが、帆波はまったく信じていなかった。

 六畳間の隣の居間でお茶を飲みながら、帆波は旦那に前妻がいた事や母が失踪した事、そして自分が前妻に良く似ている事を富永に聞かせた。

 すると、彼女は引きった笑みを浮かべながら言った。

「……それは、けっこう、きっついわね……」

 そう言って、誤魔化すように菓子箱の中のサラダホープを一つ摘まんでかじる。

「まあでも、旦那、稼ぎはいいからねー」

 帆波は富永が予想以上に引いているようだったので、あえてオーバーに冗談めかした調子で笑う。

 すると、富永もつられたように笑い「その、旦那さんがお供え物してる神棚、見てみたいんだけど」とか言い出した。

「いいけど」

 何か霊感とやらに訴えるものがあったのかもしれない。

 帆波は了承し、二人で隣の六畳間に移動する。富永は神棚に向かって手を合わせた。

 それが済むと、帆波は「もういいでしょ?」と言って、早々と居間へ戻ろうとする。しかし、鴨居を潜ろうとしたところで、富永の様子がおかしい事に気がつく。彼女の方を見ると、居間とは反対側にある裏庭に面した掃き出し窓をじっと見つめたまま動かない。

「明日香?」

 彼女の名前を呼んでも反応はない。まるでマネキンのように硬直していた。

「どうしたのよ?」

 業を煮やした帆波が、富永の肩に手をかけると、彼女は掃き出し窓の方を見つめたまま言った。

「……ねえ。確かあんたの旦那の前妻って、まだ生きているんだよね?」

 その質問の意味が解らず、帆波は首を傾げた。

「え? そうだけど……」

「じゃあ、あっちは……」

 その言葉が良く聞き取れなかった帆波は眉間にしわを寄せながら問い返す。

「は、何が?」

 すると、富永が帆波の方を向いて言った。

「この家から出ていった方がいいかも」

 このときの彼女の顔には、はっきりとした怖気おぞけが表れていた。

 それを目にした帆波は確信した。どうやら彼女には、常識では計り知れない何かが視えるというのは本当の事らしい。

 そのあとすぐに、富永は言葉少なく、そそくさと橋本家を後にした。

 この後日、富永から朱色の晴明桔梗と悪霊退散という文字が記された御札が送られてくる。そして、同封されていた便箋には『これを裏庭に向けて貼って』とだけあった。

 帆波は彼女の言われた通りにした。




「やっぱり、いいねえー」

 などと、良い笑顔で酒気混じりの言葉を吐き出したのは最強霊能者の九尾天全であった。

 その手に持ったお猪口につがれたのは“八海山特別本醸造” 日本有数の米どころであり、酒どころでもあるこの県は彼女に取って天国のような場所なのである。あいつら・・・・さえ、大人しくしていれば……。

 さておき、彼女は少し前に、駅前のホテルからマンスリーマンションへと仮の住まいを移していた。

 阿武隈邸から見つかったおびただしい呪物の鑑定と封印、及び大津神社の両面宿儺りょうめんすくなの封印作業が思ったより長引いていた。更に社殿から発見された謎の右手首の件もある。この調子ではしばらく帰れそうにないので、仮の住まいを用意する必要がでてきてしまったのだ。

 そんな訳で、案の定、生活に必要最低限のものしかなかった手狭な部屋は、既にだらしない生活感によって塗り潰されてしまっている。

「まあ、そろそろあの二人も進路の事とかあるだろうし、心霊スポット探索にかまけてる暇なんかなくなるでしょ」

 九尾は楽観的にそう独り言ち、お猪口につがれた銘酒を一気に飲み干した。そして、何気なく硝子のローテーブルの隅に置かれたままだったスマホを手に取ると、メッセージアプリの通知に気がつく。

 送信主は『桜井梨沙』

 その名前を見た途端、猛烈に嫌な予感に襲われて眉間にしわを寄せる九尾。しかし、無視する訳にもいかずに、メッセージを確認した。

 すると本文はなく、どこかの平凡な住宅の写真が二枚、添付されていた。一見すると、いつも送られてくる意味のない画像に思えた。しかし、九尾のこの世ならざるモノを見透す力を持った双眸そうぼうは、その気配を見逃さなかった。

「……また、あの二人は」

 諦観ていかんの籠った溜め息を大きく吐き出して肩を落とした。

 この家では・・・・・かつて殺人が・・・・・・あった・・・。その被害者の怨念が今も留まり続けている。

 幸いあまり力は強くないので、すぐに何らかの対処が必要な訳ではない。だが、あの世のモノたちは予測不可能な存在である。このまま放置しておけば、何が起こるか解らない。

「取り敢えず、下手な刺激を与えないように、あの二人には大人しくしてもらわないと……」

 しかし、素直に言ったところで聞く耳を持つ訳がない。そして、誤魔化すにせよ、向こうには神憑り的な洞察力を誇る茅野循がいる。うかつな返信はできない。

「いったい、どうすれば……」

 九尾は真剣に考え抜くうちに、寝落ちしてしまう。

 けっきょく、桜井への返信は翌日の昼前となった。

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