【18】Ugly
あの二人の女子高生が屋敷の中に消えてから、かなりの時間が経過した。
朽木、早瀬、柏崎はずっと屋敷の門の向こうを見つめたまま動かなかった。
「……もしかして、あの二人」
早瀬が絶望を滲ませた声音で言った。
すると、朽木は頭を抱えて「うわー!」と叫んでから声をあげる。
「嫌よ! 絶対に嫌! 私はこんなところで死にたくない! 帰って、絶対に良い男見つけて、絶対に幸せになってやるんだから!」
「私だって、素敵な人と出会って、三十までに結婚して……幸せな家庭作って……うぅ……こんな所で……」
早瀬がしゃくりをあげ始める。
朽木が、うんうんと頷きながら早瀬の肩を抱く。
「……ねえ、操もそうでしょ!?」
唐突に話を振られた柏崎は、びくりと背筋を震わせた。
「……そりゃ、生きては帰りたいけど」
柏崎が冷めた調子で、そう言った直後だった。
縁側の向こうから、桜井と茅野が姿を現す。因みに桜井は何故か肩に古い猟銃を下げている。
「あれ!」
朽木が嬉しそうに声をあげた。
早瀬は目頭を擦りながら「良かった。生きてて……」と言って微笑んだ。柏崎もほっと安堵の溜め息を吐いた。
桜井は縁側を飛び降りて、門の外で待つ三人の方へと向かう。その後ろでは茅野が不敵な笑みを浮かべていた。
「おーい! 帰れるかもしんない」
桜井が状況に似つかわしくないほど呑気な声で右手を振った。
朽木と早瀬は半信半疑といった様子で顔を見合せた。
柏崎は彼女の言っている事が本当だろうと確信できたので、こわばっていた肩の力を抜いた。
「全員無事みたいね。取り敢えず、それなら二つで良いわ」
茅野はそう言うと、リュックの中から三つの木彫りの人形を出して、門前の地面に置いた。
「この木彫りの人形は何なの?」
朽木が尋ねると、茅野は得意げな顔で右手の人差し指を立てる。
「これは“サンスケ人形”よ」
「さんすけ……にんぎょう……?」
桜井が首を傾げると、茅野がいつも通り解説を始める。
「津軽のマタギたちは、十二人で山に入る事を嫌う。これは、彼らにとって十二が忌み数であるからね。理由については山の神の怒りを買うとか、山の神が自分の子供と間違えるからとか、様々に言われているけどはっきりした事は解っていないわ」
「とにかく、この忌山での七と同じって事だね?」
桜井の言葉に茅野は頷く。
「そうよ。でも、どうしても十二人で山中を動かなければならないときは、この人形を一つ持って、自分たちは十三人いると山の神様に見せかけ、災いを回避していたと言われているの」
そこで柏崎が、ぽんと手を叩いた。
「……つまり、この木彫りの人形で足りなくなった二人分の定員を補えば、帰る事ができる?」
「そういう事よ」
と、茅野は自信ありげに言ったが、早瀬の表情は依然として暗いままだった。
「……そんな、迷信みたいなので上手く行くの? 本当に」
「試してみる価値は充分にあるわ」
茅野の言葉のあとに朽木が苛立った様子で声をあげた。
「あー、もう! そもそも今が迷信みたいな状況でしょうが!」
「でも……」
と、目頭を擦る早瀬を無視して朽木は茅野に向かって言った。
「やりましょう!」
「ええ。じゃあ、まずは村の端を目指しましょう」
茅野が答える。
こうして、五人は長い石段を下り、再び村内へと戻って行った。
特筆すべき事もなく、村の南側の田園地帯に辿り着く一行。
桜井梨沙のお陰で小面はすでにかなりの数を減らしており、戦闘になる事は一度もなかった。
そして、農道に佇み、少し先にある霧を見据える五人。
「……うぅ。この中に入るの?」
早瀬は嫌そうに顔をしかめた。
「じゃあ、あんた、ここにずっといる?」
朽木が冷たい声音で言った。
「それは、困るわ。七人じゃないと帰れないもの」
茅野は呆れ顔で肩を
「行こうよ」
率先して霧の中へ向かう。茅野は三人に向かって「ほら、早く」と、先に行くよう両手で促す。
三人はおっかなびっくりといった様子で桜井に続いた。その背中を見守りつつ茅野も動き出す。
そして、霧の中を歩き続けると、真っ赤な光が五人を包み込んだ。それは、木立の合間から射し込む夕陽であった。
周囲を見渡すと、それはあの南度山の分岐路の鳥居の前だった。
朽木、早瀬、 柏崎の三人は周囲を見渡し、そこが記憶にあった光景である事を認識すると、飛び上がって喜んだ。
「やれやれだったね。取り敢えず下山したら篠原さんに連絡しとく?」
その桜井の問いに茅野は同意して頷く。
「その方が良いでしょうね。二名も犠牲者が出ているし」
そして、分岐点の中央の草むらに視線を向けた。
――時間は少し
ガラガラという音。
坂澤重明は頭部の痛みと奇妙な浮遊感と振動を感じて覚醒する。
そこで自分が、大八車に乗せられて山道を運ばれている事に気がついた。起き上がろうとするが、縄でがんじがらめに縛られており身動きが取れなかった。
それでも身体を捩り、どうにか状況を確認する。
どうやら大八車を引いているのは、あの小面らしい。
「おい! 糞! 糞! 降ろせ! 俺をどうするつもりだ! 糞っ!」
暴れ回るが拘束は固く、身動きがまったく取れない。
そこで坂澤は沿道の木陰からこちらを覗き見るたくさんの人影に気がつく。
それは古びた作務衣や割烹着、着物などを身にまとった老若男女であった。誰も彼もが青白い顔で微動だにしない。通り過ぎてゆく坂澤の事を目の動きだけで追うのみであった。
「おい! 助けてくれ! なあ、おい! おいいいいいぃ!」
半狂乱で叫ぶ坂澤だったが、誰も何も答えない。そして、そのまま開けた場所に辿り着くと大八車は停まった。小面が鉈で坂澤を拘束していた縄を切断し始める。
坂澤は咄嗟に大八車を降りようと、上半身を起こしたが、後頭部の痛みに顔をしかめてしまう。そうこうするうちに、数体の小面によって大八車から無理やり降ろされる。
そこで、彼は自分のいる場所が古びた神社の境内である事に気がついた。
苔むした灯籠と、色
そして、奥へ延びた石畳を挟むように置かれた台座の上には狛犬ではなく、しゃがんだ猿のような何かの像が乗っていた。
その向こうに神社の社殿が見える。
ところどころ傾き、屋根や柱は苔に侵食され、それはまるで緑色のマーブル模様のようだった。
「……何だ、ここは?」
坂澤は小面に両腕を抱えられたまま周囲を見渡す。すると、神社の御扉がガタガタと揺れて開いた。
その向こうから現れたのは、奇妙な二足歩行の何かであった。
梅や桜などが描かれた綺麗な赤い着物をまとっており、その顔は小面の
頭部が異様に大きく、面の端から輪郭がはみ出ていた。禿頭はメロンの筋のような血管に覆われ、袖から覗く指先は枯れ枝のように細く尖っていた。
「……あ、あれは……何なんだ……何なんだよ」
坂澤が恐怖で唇を
それがゆっくりとした足取りで、彼の元へとやって来る。
そして、その人のものとは到底思えない指先で、脅えた表情を浮かべる坂澤の頬をそっとなぞる。
すると、仮面越しにくぐもった女の声が聞こえた。
「……やっと、会えた」
坂澤は知らなかった。
そして、最初から全てが仕組まれていたという事にも彼は気がついていなかった。
南度山の分岐路の看板がなかった事はもちろん、そもそもの切っ掛けとなった祖母の言葉もそうだった。
南度山について聞いたのは、急に孫の顔が見たくなったという、実家に住まう祖母からのリモート通話が切っ掛けだった。そのときの彼女は本物ではなかったのだ。
「ずっと想っておりました……」
その何かが、小面の面をゆっくりと外し始める。
「嫌だ……嫌だ……あああああ……」
そして、世にも醜い素顔が露になったとき、坂澤の絶叫が轟いた。
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