【17】平和的解決


 二つの刃を携えた小面が迫る。

 桜井が拳を構える。

 小面が間合いを一気に詰めた。刀と鉈がそれぞれ別々の軌道で弧を描き桜井に降り注ぐ。それはまるで、竜巻の中を舞う鋭い硝子片のごとしであった。

 巧みなステップとスウェーやダッキングなどを合わせ、桜井はその攻撃を次々にかわす。しかし、手斧を失ってしまった今、小面とのリーチ差は絶望的に開いてしまった。どう足掻いても反撃に移る隙がない。

 そして、超常の力で動き続ける小面に対して、桜井は人間である。いずれ必ず限界が来る。

 もしも今、鬼にならないかと誘われたならば、頷いてしまいそうだ。桜井は嵐のような攻撃をかわしながら自嘲気味に笑う。

 しかし、彼女は今の状況を悲観してはいなかった。何故なら自分が独りではないと知っているからだ。

「梨沙さん!」

 茅野循の声が聞こえた。

 桜井は右から首元へやってきた刀の一撃を屈んでかわし、振り下ろされた鉈を左に転がりかわす。すぐに立ちあがって、大きく距離を取り茅野を探す。

 すると、少し離れた木の影に彼女の姿を確認する。その両手に抱えられていたのは、銃剣付きの村田銃であった。

 桜井はにやりとほくそ笑む。彼女の方へと駆ける。小面が追撃をしようと動き出す。

 茅野は両手で村田銃を放った。四キロ以上あるそれは、緩い放物線を描き近くの草むらに落ちた。

 桜井が手を伸ばす。

 その背中に迫った小面が刀で突きを放った。寸前で桜井は草むらに飛び込んで村田銃を拾いあげて立ち上がる。素早く右回りに反転しながら背後を薙ぎ払う。

 小面は立ち止まり、この一撃を右手の刀一本でいなそうとするもよろける。

 続け様に桜井が突きを放つと、小面はこの戦いで初めて後退し間合いを取った。

 睨み合う二者。

 茅野は神妙な顔で息を飲んだ。

 村田銃の全長は一メートル三〇センチぐらい。そこに銃剣を加えれば、武器だけの長さでは小面よりも勝る。

「次で決まるわね……」

 その茅野の言葉のあとに桜井が仕掛けた。

 地面を蹴り一気に間合いを詰め、大上段からの力任せの一撃を見舞おうとした。

 小面は鉈と刀を交差させ、この攻撃を二刀で受ける。けたたましい金属音が鳴り、鍔迫り合いの形となった。

 そこで、桜井は勝利を確信したかのような笑みを浮かべる。

「楽しかった。ばいばい」

 その言葉と共に桜井は全体重を掛けて押し返す。その反動を使って後ろへ飛んだ。それと同時に面を打ち込む。


 “引き面”


 それは剣道有段者である桜井の実姉、武井智子が試合で見せた事のある技の見様見真似であった。強烈な一撃だったが、桜井梨沙とはいえ剣の道は素人。さほど練度が高い訳ではなかった。

 しかし・・・それで充分だった・・・・・・・・届きさえすれば良い・・・・・・・・・

 桜井梨沙の狙いはただ一点のみ。

 小面の額の右上。

 銃撃を受けて欠けた部分を銃剣の先端が切り裂く。すでにひび割れた仮面にとって、その浅い一撃でも充分に致命的だった。

 小面のめんが割れ、足元に落ちる。その瞬間、のっぺらぼうの人形は操りの糸を切られたかのように崩れ落ちた。

 桜井は銃剣を地面に突き立てて、高々と右拳を頭上に掲げた。

「やった! 成し遂げた!」

「梨沙さん!」

 茅野は桜井に駆け寄る。

 桜井は疲れた笑みを浮かべる。

「……何とか勝てたよ」

 そう言って、この激戦に勝利をもたらしてくれた相棒とハイタッチを交わし合った。




 近くの倒木に腰をおろして、休憩する二人。桜井が野球ボールほどの五目炊き込みご飯おにぎりでエネルギー補給を終えると、小屋の中を調査する。

 それほど広くない土間の向こうに囲炉裏の座敷があった。土間には割れたかめが散乱しており、奥の壁には神棚があった。その手前に人骨が転がっている。 

 格好からすると、どうやら、マタギのようで左手に薄汚れた手拭いを巻いていた。

「……六人目。本当に、あの小面が銃持ちのマタギを全滅させたんだね」

 桜井が感慨深げに言った。

 マタギの骨の周囲には、村田銃と彫刻刀、笠、そして、五つの木彫りの人形が転がっている。それは小さな木片を削って作られたものだった。

 その木彫りの人形を茅野は拾いあげる。

「これ、何なのかしら……」

「いよいよ、独りになって、この小屋に追い詰められて、にっちもさっちもいかなくなって、仏様でも彫り始めたとか……」

 桜井の適当な見解に、茅野は「仏像には見えないけれど……」と鹿爪らしく答え、観察を続ける。そのまましばらくして、何かを思い出した様子で、はっと目を見開いた。

「梨沙さん」

「何?」

「この木彫りの人形を使えば、ここから脱出できるかもしれない」

「おっ。それを、山の神様に思いっ切り投げつけるの? こういう風に、こう?」

 桜井が豪快なピッチングフォームを披露する。しかし、茅野は苦笑しながら首を振る。

「大丈夫よ。これが上手くいけば、いちいち山の神様と対決する必要はないわ」

「平和的な解決ができるなら、それに越した事はないよ。だって、やっぱり、失恋した女の子はそっとしておいてあげたいし」

 桜井が慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら言った。

 茅野は五体の木彫りの人形をリュックに納めると言った。

「早く、あの三人の元に戻りましょう。たぶん、大丈夫だとは思うけれど、心配だわ」

「そだね」

 二人は山小屋を後にした。

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