【19】後日譚


 翌日の事だった。

 閉店間際の『洋食、喫茶うさぎの家』のカウンター席にて。

「……う、美味い……何で!?」

 と、言って目を丸くするのは、県警の篠原結羽であった。彼女は桜井梨沙の作ったナポリタンを頬張り、予想を超える美味しさだったために驚いているようだ。

 そんな彼女の左隣で九尾天全が賛同の意を示す。

「ですよね。本当に美味しいんですよ」

 因みに九尾も篠原と同じナポリタンセットを注文していた。そして、その隣では茅野循がたっぷりと甘くした珈琲を飲みつつ、まるで自分の事のように得意げな顔で言う。

「梨沙さんの作るものは全部美味しいわよ」

「いやあ、それほどでも……」

 コック服に身を包んだ桜井梨沙が、カウンターの中から照れ臭そうに声をあげる。

 それから、食事が一通り終わり、二人分のミニカップケーキと珈琲が運ばれてきたところで、篠原が話を切り出した。

「……それで、例の件なんだけど」

 もちろん、あの忌山で発生した怪異についてだった。

 昨日は事情聴取で時間を取り、桜井と茅野が帰宅したのは何だかんだと日付を跨いだ後になってしまった。

 にも関わらず、かたやアルバイトをこなし、かたや涼しい顔で珈琲を飲んでいる。聞けば昼間はちゃんと学校にも行ったらしい。

 そんな二人の非常識さと若さに内心で苦笑しつつ篠原は話を進めた。

「……実は十五年前のときも、怪異の疑いがありという事で、私たちのところに話が回ってきたのよ」

 桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合せる。因みに九尾はカップケーキを左腕で囲いながら、何かに警戒した様子できょろきょろと視線を惑わせていた。

 さておき、篠原の話は続く。

「担当したのは、私の前任者だったんだけど、とうぜん、例の山神座にまつわる伝承は把握していたみたいだから、七人で忌山に向かったのよ」

「じゃあ、例のあの村に?」

 と、茅野が尋ねると篠原は珈琲に口をつけたのち、神妙な顔で首を横に振った。

「記録によると、何も起こらなかったそうよ」

「何も起こらなかった……?」

 桜井が眉間にしわを寄せる。

「ええ。時間帯や日付、天候など何か他の条件が関係するかもしれないと考えて、いろいろと試したそうだけど、けっきょく前任者たちはあなたたちのように、霧の中の山神座に辿り着く事は出来なかった。だから、記録では十五年前の遭難は怪異とは無関係という事になっている」

「循、どういう事……?」

 桜井の言葉に茅野は思案顔を浮かべる。因みに九尾は誰かから背中を突っつかれたかのような反応で、背筋を震わせていた。

 そんな彼女の挙動を横目に、茅野は声をあげた。

「招かれていたのかもしれないわね」

「招かれていた?」

 桜井が首を傾げる。

 茅野は首肯したのち、言葉を続けた。

「……あの村でマタギたちの白骨は六体しか見ていない。もっと良く探せば最後の一人がどこかで見つかった可能性もあるけれど、でも十五年前の遭難者の白骨も六体」

「本当だ」と桜井が記憶を辿りながら言った。茅野の話は更に続く。

「……しかも、例のノートに二人分の名前の書いてあった場所で、一人分の白骨しか見つかっていない。それから、あんな解りやすい看板があったにも関わらず、私たち以外の五人は南度山ではなく、忌山の方へと迷い込んでしまった」

「ああ……」

 桜井の相づちのあと、茅野は結論を述べる。

「だから、きっと私たち以外の五人誰か……もっと言えば、死亡したと思われる男性二人のうちのどちらかが山の神様に招かれていたのではないかしら?」

「山の神様は男好きでえっちだしね」

 その桜井の言葉のあとに、九尾が唐突に叫んだ。

「よっしゃあ! 今日は全部食べたぞ!」

 そんな彼女を見て篠原が眉をひそめる。

「先生どうしたんですか? 今日は何時にも増して様子が変ですよ?」

 続いて桜井が肩をすくめる。

「そう? いつものセンセだけど」

 その言葉に茅野が同意して頷く。

「そうね。だいたいこんな感じよ」

 九尾の頬がみるみる間に紅潮していった。

「こっ、これは、違うの……」

 九尾は三人が事件の話をする中、ケーキをめぐるピラコとの壮絶なバトルを繰り広げていた。しかし、桜井と茅野の手前、本当の事を明かせないと思い込んでいるので、けっきょく意味不明な言い訳をするしかなかった。

 それを耳にした三人が更に困惑した事は言うまでもない。




 それから数ヶ月後の事だった。

「……これ、マジで何なの……」

 憤慨ふんがいした様子の朽木萌美は目の前のノートパソコンに向かって言った。そして、赤ワインをグラスにどぼどぼと乱暴に注ぐ。

 その画面には早瀬つぼみが映し出されていたが、この日は柏崎操の姿はなかった。

 そこは朽木の住居のリビングであった。そこそこ値が張り、可愛らしい調度類で占められてはいるが、Webカメラで映らない場所には脱ぎ散らかされた着衣が散らばっていた。

「……実はけっこう前から付き合ってたらしいよ」

 早瀬もどんよりとした調子で高アルコール度数のレモンチューハイを飲みくだす。

「本当に信じられない……」

 朽木はノートパソコンの近くに置いてあった一枚のハガキを摘んで、その紙面を親の仇のように睨みつける。

 それは・・・柏崎操と浅木清孝の・・・・・・・・・結婚報告はがき・・・・・・・だった・・・

 純白のドレスとタキシードに身を包み、肩を寄せ合いながら幸せそうに微笑む二人の写真と共に次のような文面が添えられている。


 『この度、私たちは結婚いたしました。これからは互いを尊重しあいながら共により良き未来へと歩んでいきたいと思います。これからも未熟で至らぬ我々夫婦にご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします』


「……本当は、あのとき、山コンだって最初から解っていれば行かなかったんだって」

「ああ……確かに、駅で集まったとき、何か文句言ってたね。操」

 朽木は苦々しい記憶を甦らせながら早瀬の言葉に耳を傾ける。

「で、結婚に踏み切った切っ掛けも、あの山コンだったみたい。私たち、遭難したっていう事になったじゃん」

「うん」

 あの日の出来事については警察から口止めされ、単に道に迷って遭難したという事になっていた。朽木や早瀬としては、どうせ誰かに本当の事を言っても到底信じてくれる気がしなかったので、そういう事にして忘れようとしていた。

 因みに坂澤と尾畑の遺体は依然として見つかっていない。

「……それで、浅木がすっごく心配して、ご時世もご時世だし、いつ何があるか解らないから、今のうちに籍だけでも入れようって事になったらしくて……」

「ああ……」

 力なく相づちを打ち、朽木は写真の浅木を見た。

 どうも彼が急に見た目に気を使い始めたのは、柏崎のためらしい。もはや、すっかりと彼の外見は様変わりし、朽木たちがキモデブなどと蔑んでいた頃の面影はなかった。むしろ、ちょっと好みのタイプですらある。

「……切っ掛けは、偶然参加した婚活パーティで顔を合わせた事みたい。操、大人しそうな顔で、やる事はやってたんだね……」

「もう、やめて……」

 朽木は早瀬の口からもたらされる二人の情報をシャットアウトして頭をかきむしる。

「畜生。私だって、絶対に幸せになってやるんだから……」

 そう言って、グラスの中に残った真っ赤なワインを一気に飲み干した。







(了)

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