【14】乙女の怒り


「循、あれ……」

 裏口から出ると、桜井が真っ先に気がついて指を差す。

 裏庭の奥に見える杣道そまみちの入り口に、赤い襦袢じゅばんをまとった人形が倒れていた。面はしておらず、木の葉や枝が身体に掛かっている事から、ずいぶん前からそこにあるらしい。

「何かの事故で面が割れたのか……」

 茅野はそう独り言ちて注意深く周囲を観察すると、羊歯しだの茂みの中に、更に二体の人形が倒れているのを発見した。

「十五年前の遭難者が倒したのかしら? もしかして……」

「だったら、やるじゃん」

 桜井が感心した様子で言った。

 そのあと、二人は離れの残骸と蔵の間にあった、簡素な小屋から調べ始める。そこは、どうやら物置のようだった。工具や農具といったものの他には何も見当たらない。桜井と茅野は物置小屋を後にすると、蔵へと足を運ぼうとした。

 すると、小屋を出て右手の茂みからきねを振りあげた小面が飛び出して来た。

「おっと」

 完全に不意を打たれた形であったが、桜井は寸前で立ち止まり、振り下ろされた杵をかわす。その一撃が鼻先すれすれを通り抜け、湿った地面にめり込むや否や、手斧の刃が小面のめんを叩き割る。

「最近の日本は物騒だねえ」

「まったくね」

 二人は世間話でもするような調子で言葉を交わしつつ、蔵の前に辿り着く。入り口の扉は破壊されており、中も荒れていた。ひっくり返った葛籠つづらや反物などが床に散らばっている。

 その二階であった。

「また骨だね」

 桜井が無感動に言う。

 奥の壁に背をもたれる人骨があった。両足を投げ出すように伸ばし、こうべを垂れている。

 その頭頂部は砕け、穴が開いていた。明らかに何らかの鈍器で殴られたものと思われた。そして、人骨のそばにまさかりが落ちている。そこから少し離れた場所にリュックサックが無造作に転がっていた。

「裏庭のお面のやつを倒したのは、この人かな?」

 桜井が砕けた頭部を見下ろしながら言った。そこで茅野はリュックサックを漁りながら声をあげた。

「テープレコーダーよ! 梨沙さん」

 もちろん電源は入らない。しかし……。

「母屋で見つけたボイスレコーダーは内臓メモリタイプで中身を調べようがなかったけれど、これなら聞けるわ」

 茅野はテープレコーダーの中からカセットテープを取り出し、自らのリュックから持参したテープレコーダーを取り出す。テープをセットして巻き戻し、スイッチを入れる。

 すると、リールの回る音がして、すぐにぷつぷつというノイズが聞こえ始めた。茅野はテープレコーダーを桜井に渡すと、再びリュックを漁り始める。数秒後、若い男の声がした。

『……それじゃあ、吉儀さん。さっきの話をもう一度だけ、お願いします』

 音質はかなり悪く、ときおりノイズで音が飛んだ。そのインタビュアーの言葉のあとに、別な者の声が続いた。

『あー、うん……何だったか』

 年配の男の声だった。

 咳払いのあと、お茶か何かをすする音が聞こえる。

 そして、その吉儀と呼ばれた年配の男は語り始める。

『……山神座で行われていた“御神迎おみむかえ”と“御神帰おみかえし”については知っているんだったっけ?』

『ええ。春になると人形に小面を被せて山の神を迎え、秋に人形を燃やし、その灰を山に撒く事で再び山へとお帰りいただく……ちょうど、うちのゼミ生で喜嶋きしまという者がおりまして、そもそも彼にその話を聞いたのが、ここに来ようと思った切っ掛けでした』

『喜嶋……』

 少し間が開いて、吉儀が再び語り出す。

『……言い伝えによれば、あるとき、その儀式を行っている最中に、山の神より御言葉があったそうだ』

『どのような?』

婿をよこせと・・・・・・……』

 その言葉が出た途端、桜井と茅野は顔を見合わせる。吉儀の話は続く。

『……婿の候補に選ばれたのは、村の中でも働き盛りの人の若者だった』

「七人って……」

 桜井が茅野の方を見た。

 茅野はリュックの中にあったノートを改めていたが、視線をあげると桜井の方を見て「ええ」と頷いた。吉儀の語りは更に続く。

『しかし、七人の若者たちは、山の神の婿になる事を全員嫌がった。互いにそのお役目を押し付けあった』

『なぜです?』

 このインタビュアーの質問に吉儀はどこか気まずそうに答える。

『……それは、その……あれだ。山の神は、その、容姿がな……』

『あー……』

 得心した様子のインタビュアー。桜井は眉をハの字にする。

「山の神様……可哀想」

 そして、吉儀がごほごほと咳払いをした。茶を啜る音が聞こえて再び話が再開される。

『特に、あの忌山に棲む山の神は……じゃない……酷く……い……けもの……われている』

 音質が急に悪くなる。

『……そんな訳で……若者たちは村から逃げる事にした』

『どうやって?』

『……に知恵を借りて……き……サン……り……に使……』

 更に音声が悪くなる。その吉儀の言葉は、ほとんど聞き取れなかった。

 桜井は「あー、肝心なときに!」と言った。茅野はノートから目を離して、耳を澄ませる。

『……なるほ……ンス……ですか』

 と、若いインタビュアーの声がして、吉儀が何かを語る。しかし、これはノイズが酷くてまったく聞き取れない。

 そして、最後に吉儀は話を次のように結ぶ。

『……そんな訳で、怒った山の神は山神座を飲み込んでしもうた』

『だから、その飲み込んだというのは?』

 インタビュアーの言葉のあと一拍置いて、吉儀の声がした。

『だから、解らん。その村がどうなったのかもな……ただ、そういう言い伝えがある。それだけの事だ。そして、逃げ延びた七人は二度と山には入ろうとしなかったのだそうだ』

『そうですか……』

 十数秒の間を置いて再びインタビュアーの声がした。

『ありがとうございました』

 がちゃり……と、テープレコーダーを止める音がした。静寂が続く。

 桜井がいったんテープを止めると真顔で言った。

「……つまり、男に振られた女神様が盛大にぶちギレたのが原因?」

「そういう事になるわね」

 茅野は神妙な表情で言葉を返した。

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