【13】第二の手記


 春先の田んぼに張られた水面は、鏡のように周囲の山々と青空を映し出ていた。用水路では冷たい流水が音を立て、その脇には野草が芽吹いていた。

 そんな長閑のどかな田園風景に横たわる農道の一角にしつらえられた祭壇には、奇妙なヒトガタが腰をおろしていた。

 赤い襦袢をまとった木の人形。かなり精巧な出来で関節も可動する造りになっていたが、顔だけはなぜかのっぺらぼうだった。

 祭壇に向かって、神主が御幣ごへいを掲げながら祝詞をあげており、傍らに男巫おとこみこが三宝を両手に持って立っている。三宝には小面の面が載せられていた。

 その儀式を少し遠巻きにして、大勢の人々が見守っている。

 彼らはかつての山神座の村民たちで、これは雪が融けると毎年行われる祭事であった。

 今回も粛々しゅくしゅくと、滞りなく儀式は進行してゆき、あとは祝詞が終わったら小面のめんを人形にかけて終了というところまできていた。

 しかし、唐突に神主が黙り、両目を見開いた。

 男巫が怪訝けげんな顔で尋ねる。

「どうか、されたのですか?」

 神主は男巫の顔を見てから、農道に集まった村民の顔を見渡して言った。

「山の神から、御言葉をいただいた」

「は?」

 男巫が驚いた様子で声をあげた。観衆たちがざわめき始める。

 これがすべての悲劇の発端であった。




「……あの人形はどうやら、山の神にまつわる儀式に使われていたものらしいわ」

 茅野はノートに目線を落としたまま語る。

「春先になると、あの人形に小面を被せて山の神を里に迎え入れ、田の神とする。そして、秋になると人形を小面ごと燃やし、その灰を山に撒くらしいわ。そうする事で、再び田の神は山の神に戻るって事らしいけれど。人形や小面は冬のうちに、毎年一体ずつ忌山の木を使って作られるそうよ」

「じゃあ、あのお面のやつは本当は燃やされたはずの人形だったって事なの? その儀式で使われた」

「そうみたいね」

 茅野がぱたりとノートを閉じた。桜井は両腕を組み合わせて眉間にしわを寄せる。

「なら、あのお面のやつは山の神様って事?」

「……もしくは、それに近しいモノでしょうね」

 そこで茅野はノートを自らのリュックの中にしまいながら言った。

「……兎も角、鏡や光る物を山に持ち込んではいけないという禁忌の理由についても何となく想像がついたわ」

「おっ、まじで?」

 桜井の言葉に茅野は頷く。

「……恐らく山の神の姿が映ってしまうからよ」

「あー……」

「ここの村人たちはめちゃくちゃ容姿に自信のない山の神様に気を使っていたという事ね。きっと人形の顔がのっぺらぼうなのも山の神への忖度よ」

 と、茅野が呆れた様子で苦笑すると、桜井はかぶりを振って、大きな溜め息を吐いた。

「……まったく、これだから女は面倒だね」

「貴女も女よ、梨沙さん」

「そだった」

 それから、二人は屋敷の残りの部屋を探索する事にした。

 縁側とは反対方向にあった襖を開ける。

 すると、その広い部屋の畳は、倒れた衣桁屏風いこうびょうぶと着物で半分が覆い隠されていた。向かって右には絨毯の敷かれた部屋へと通じる襖があり、左側には床の間と仏壇があった。奥には桐箪笥とぼろぼろの障子戸が窺える。着物の上にはスニーカーのものらしき靴跡がはっきりと浮き出ていた。

 二人は室内を横切り、更に奥へ向かう。障子戸を開けると、右側に裏口の三和土たたきがあり、左側には別な部屋へと通じる板戸があった。

 裏口の戸は外されて倒れており、その向こう側には石畳の上に屋根がついた吹曝ふきさらしの廊下が延びている。

 廊下の両脇は背の高い羊歯しだの茂みに覆われており、その茂みの右奥に蔵が見えた。

 廊下の先は離れの間に続いていたらしいが既に倒壊しており、墓標のようにそそり立つ木材が茂みの中から顔を覗かせているのみだった。

 その離れのあった場所と蔵の間に簡素な小屋がある。小屋の後ろには裏庭を取り囲む檜の木立を割って、杣道そまみちが延びていた。

 まず桜井と茅野は裏口の左隣にあった板戸を開ける事にした。すると、どうやらそこは書斎のようだった。

 奥に長い畳の間の右側の壁には書架があり、紐でページを束ねた古書がいくつか納められている。床にも何冊か落ちて散らばっていたが、どれも緑がかった黒い汚れにまみれていた。左側には窓があり、藪の向こう側に鬱蒼とした木立が窺えた。

 部屋の奥にも窓があり、その窓際に文机が置いてある。文机の上にはすずりや筆、何枚かの原稿用紙が散らばっていた。

 「……多分、これ、血ね」

 茅野が床に落ちていた古書を一冊拾いあげて、ぱらぱらと頁をめくった。中身は蚯蚓みみずのような草書体の文字がのたうっている。

「何か解った?」

 桜井が横からのぞき込み、眉間にしわを寄せる。茅野はパタリと古書を閉じて首を横に振った。

「……これは、和歌集みたいね」

 更に書架にあった別な本を取り出して、頁を開いた。

「こっちは詩集みたい。特に面白いものではないわ。他にも風土記とか、そんな感じのものばかりね」

「ふうん……」

 と、桜井は興味なさげに返事をする。

 次に二人は奥の文机の前に立つ。散らばっていた原稿用紙は全部で五枚。

 墨なのか血なのかは判然としないが、いずれも大きく汚れており、そこに記された文字のほとんどが読めなくなっていた。茅野は五枚のうちもっとも汚れの少ないものを手に取った。

 大して期待していない風であったが、汚れていない部分に目を通すうち、茅野の瞳が輝きを帯び始める。

「これは……この村に異変が起こってから書かれたものらしいわね」

「何て書いてあるの?」

 桜井は原稿用紙を覗き込みながら眉間にしわを寄せた。茅野がその一文を読みあげる。

「西の山よりあれおりきたり。村よりでられずなる。村人どもを次々と山へ連れ去ぬ。なほ婿を捧げざりし祟りか……」

「何語?」

 桜井の表情にますます混迷の色が差した。茅野が解説する。

「現代の口語体に訳すとこうよ。“西の山よりあれが下りてきた。村より出れなくなる。村人たちを次々と山へ連れ去る。やはり婿を捧げなかった祟りか?”」

「山よりあれ……は、あのお面のやつで良いとして、ムコを捧げなかった祟り? どゆ事?」

 桜井が難しげな表情で腕を組む。

「……でも、これで解ったわね。目的は兎も角、村人の行方は山……つまり西の山中へと連れていかれた」

「そうなった原因は“婿を捧げなかった祟り”って事? 山の神に? ムコって、お婿さんの婿?」

「まだ何とも言えない」

 茅野はそう言って、他の原稿用紙を改めるも、やはり汚れが酷くて読める部分は少なかった。

「どうやら、明治五年の四月頃、この異変があってから何人かの村人が、ここに立て籠って抵抗を試みていたみたいね。こんな手記を書ける余裕があった程度は持ち堪えたみたいだけれど……」

「けっきょく、おじゃん?」

 桜井の言葉に茅野は頷き言葉を続けた。

「次は台所の方……よりも、先に蔵を調べてみましょう」

「そだね」

 桜井と茅野は書斎を後にした。

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