【09】ループ


 そのまま、桜井、茅野、柏崎の一行は農道を進んだ。

 すると、再び霧が濃くなってゆき、何も見えなくなる。

「……どうする? 引き返す?」

 先頭の桜井が振り向いて声をあげた。すると、最後尾を歩いていた茅野がペンライトを灯し、進行方向を照らした。

「待って。霧の向こうに何かあるわ」

「本当だ」

 そう言って桜井が再び前方を見た。確かに、ペンライトの明かりの先に、うっすらと影が見える。

「慎重に進んでみましょう」

「らじゃー」

 この茅野と桜井のやり取りを黙って聞いていた柏崎としては、引き返したかった。しかし、二人が自分の希望を聞き入れるとは思えなかったので、何も言えなかった。

 再び視界の悪い中を進む三人。すぐに霧は薄くなり、そして……。

「あれ?」

 桜井は目を丸くする。

 霧の向こうにあったのは、田園地帯を割って延びる農道だった。奥には茅葺かやぶき屋根の農村が見える。その道の上に三人は立っていた。

 右側のたんぼに傾いた案山子があり、少し奥の路上には四体の人形が横たわっている。明らかにさっき桜井が倒した小面たちである。

「……もしかして、ループしているのかしら!?」

「何で、そんなに嬉しそうなの……」

 柏崎は茅野の言葉にげんなりとした様子で突っ込んだ。

 農道はついさっきまで自分たちが通り抜けてきた場所であった。

 三人は再び霧の中へと引き返した。すると、しばらくして同じ風景が三人の目の前に現れる。

「……やはり、七人がそろってないと村の外には出れなそうね」

 茅野は神妙な顔つきで言った。

「しゃーない。切り替えていこう」

 桜井がリリーフ失敗した投手に向かってそうする野球監督のように、ぱん、ぱん、と両手を叩き合わせる。

「はあ……」と、柏崎は溜め息を吐く。

 取り敢えず、いろいろと考えるべき事はあったが、だんだんこの二人の方が怖くなって来ており、いろいろと麻痺しかけていた。

 三人は再び家々が建ち並ぶ村の中心部へと戻る事にした。



 その頃だった。

 五体の小面たちに追われていた坂澤重明は、大きな柿の木のある三叉路に辿り着く。

「うわああっ!」

 赤い襦袢じゅばんをまとったのっぺらぼうの人形が倒れており、坂澤は驚いて立ち止まる。その近くには割れた小面のめんと金槌が落ちていた。

「な、何だ……こりゃあ……」

 そこで自分を追っていた小面たちが、いつの間にかいなくなっている事に気がついた。地面に転がっている人形も動く気配はない。

 危機は脱したようだと悟ったが、体力の限界を迎えていた。しばらく膝に両手を突き、荒い息を調えたあとで金槌を拾う。

 それから坂澤は三叉路に面した家の裏庭にあった納屋に隠れる事にした。

 その納屋の壁には農機具やシャベルが立て掛けられており、蓋がしてある壺や桶が置かれていた。室内のいたるところにこうじの香が染み込んでいて、床には藁が散らばっている。

 坂澤は奥の壁際にあった壺と樽の隙間にすっぽりと身体を埋めて腰をおろし、膝を抱えた。青ざめた顔で正面の入り口の戸をじっと見つめている。すぐ手の届くところに、表の三叉路で拾った金槌を置いて。

「畜生……畜生……」

 外にいるよりは気温が高く感じられた。しかし、坂澤はまるで極寒の中にいるかのように、がちがちと歯を鳴らして震えていた。

 うっかり尾畑を殴り殺してしまった事への後悔。

 そして、自分を追いかけ回し、今も周囲を彷徨いているであろう小面たちへの恐怖に彼の理性は侵食され、崩壊する寸前であった。

「糞……俺は……悪くない……悪くない……」

 念仏のように自己肯定の言葉を繰り返し続ける。

 そもそも、なぜ、自分はこんなところに来てしまったのか。


 ――山にはおかしなモノが住んでる。


 小さな頃、迷信深い祖母の口から耳にした言葉が脳裏に甦る。

 すると、突然、納屋の扉が軋んだ音を立て、開き始めた。

 坂澤は金槌を拾い、バネに弾かれたように腰を浮かせる。するとその瞬間、短い悲鳴が響き渡った。

「な、何だ。坂澤さんか……」

 朽木萌実であった。彼女の後ろには、早瀬つぼみがほっとした様子で溜め息を吐いていた。どうやら、彼女たちも隠れて休める場所を探していたらしい。

「柏崎さんは……?」

 朽木が尋ねると、坂澤は首を横に振り沈痛な面持ちて言った。

「柏崎さんは解らない。尾畑は、もう……あの能面野郎にやられて……」

 早瀬が悲しげな顔で頷く。

「私たちも、尾畑さん、見ました……」

 朽木が早瀬の言葉に首肯しゅこうし、坂澤は「そうか」とだけ言った。それから、力なく微笑んだあとで、言葉を続ける。

「……兎も角、柏崎さんを探そう。それと、あの二人の女の子も何か知ってるかもしれない……力を合わせて、この状況を打破するんだ」

 彼の勇ましい声音に朽木は頷いたが、早瀬はどういう訳か大きく目を見開いたまま、唇を戦慄わななかせ始めた。

「ん? どうしたの?」

 坂澤が尋ねると、早瀬は血の気の失せた様子で、一歩、二歩……と、後退りする。

「つぼみ?」

 朽木が呼び掛けるも、早瀬は何か信じられないものを見た様子で首を横に動かしながら、更に後退りをする。その視線は坂澤の顔に向けられていた。

「何だよ? 本当にどうした?」

 少し苛立った様子で坂澤が問う。すると、早瀬は彼の胸元を指差して「それ、どういう事ですか?」と言った。

「それって……」

 坂澤が自らの胸元を見た。すると、そこで、自分のウェアのファスナーの引手がいつの間にかなくなっていた事に気がついた。

 再び早瀬の方に視線を向ける。

 すると、彼女は恐る恐るといった様子で、右手を突き出した。その指先に摘ままれていたのは、尾畑の右手の指先に挟まっていたファスナーの引手であった。

 そして、そこに刻印されていた“Ennio”と同じ文字列が坂澤のウェアの右肩にも刺繍ししゅうされていた。

「さ、坂澤さん……」

「だから、何!?」

尾畑さんを・・・・・殺したの?・・・・・

 早瀬の核心を突く問い掛けが、その口から放たれた。




 その路上には、動かなくなった人形と叩きのみが転がっていた。桜井と茅野が逃げ出した柏崎を再び発見した場所である。

 茅野はふと立ち止まり、その人形を見下ろしながら何やら思案し始めた。それに気がついた桜井が足を止めて振り返る。

「どったの? 循」

 茅野が顔をあげて桜井の方へ視線を向けた。

「……もしかすると、あの小面たちは、ある一定のエリアを機械的に警備しているだけなのかもしれないわね」

「というと……?」

「……これまで、梨沙さんが一度、小面たちと戦闘した場所で、再び小面と遭遇した事はなかったわ。それから、梨沙さんが小面と交戦中に新たな小面が援護に現れた事もなかった」

「なるほど。つまり一度お面のやつを倒したところには二度とお面のやつは現れない?」

 その桜井の言葉に茅野は頷く。

「まだ推測でしかないけれど」

 柏崎は二人のやり取りを見守りながら、その冷静さに感心しつつも、やはりどん引きして頬を引きらせる。

 そんな彼女にはお構い無しに、茅野は村の北側に見える山肌へと視線を向けて言う。

「取り敢えず、いったん、あそこにある建物を目指しましょう」

 その中腹辺りに生い茂った針葉樹の梢の合間から、瓦屋根がのぞいていた。

「あそこにいって狼煙のろしをあげてみましょう。このまま、残りの四人を闇雲に探すよりはいいわ。そして、今後はできる限り、狼煙を見た四人があの高台に近づき易いように、出会った小面はすべて倒してゆく方向で。頼めるかしら? 梨沙さん」

「おっ。よし」

 桜井は茅野の提案に満面の笑みで応じた。

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