【08】幻の武術

 

 桜井、茅野、柏崎の三人は奇妙な石碑のあった三叉路を東側に進むと、やがて農村の外れにある田園地帯に辿り着いた。茅野の提案で、このまま村の端がどうなっているか確認する事にした。

 一行は、はざ木の並木を通り抜け、肥溜め小屋の前を横切る。そして、道の左側に、傾く案山子かかしの影が見えてきた頃だった。

 農道の前方や左右の田んぼの向こうから、小面が四体ほど、わらわらと集まって来るではないか。

 まずは、前方から来た小面が手斧を振り上げて飛び掛かってきたが、桜井は特に苦労もなく投げ飛ばし、面を踏み割って撃退する。そうするうちに残りの三体が到着して睨み合う形となった。

 桜井の背後では茅野と柏崎が事態を見守っていたが、二人の表情は対照的だった。

「に、逃げた方が……」

 柏崎は数的な不利を心配する。何より三体の小面はくわすき、突きさじといった長さのある農具を手にしていた。どう考えても桜井の方に分の悪さがあるように見えた。

 しかし、茅野は……。

「大丈夫よ」

 まったく、不安げな様子は見られない。

 そして、なかなか飛び掛かって来ない小面に業を煮やしたかのように、桜井が先に動き出す。

「この前、ゆーちゅーぶで見たあれを試してみるか……」

 そう言って、足元の手斧を右手で拾いあげる。

 すると桜井は、折り曲げた左腕を突き出し、小面たちと半身の姿勢で向き合う。手斧を頭の後ろで振り上げて、両足をがに股で開き重心を落とした。

 その構えを見た茅野に衝撃が走る。

「そ、その構えは“バーディツ”」

「バ、バーディツ……?」 

 柏崎がいぶかしげな顔をすると、もの凄い早口で茅野は捲し立て始める。

「バーディツとは十九世紀後半に、イギリスのW・E・バートン=ライトが開発したとする護身を目的とするボクシング、柔術、棒術格闘、サバットの要素を組み合わせた総合格闘術の事よ。一説によれば、あのシャーロック・ホームズが宿敵モリアーティ教授をライヘンバッハの滝壺に叩き落とした謎の武術“バリツ”のモデルともされているわ」

 この解説が終わる頃には既に、桜井と小面三体の戦いは終わっていた。

 桜井は地面を蹴って一気に間合いを詰めた。迎え討つ小面たちは次々に鍬を振りおろし、鋤で薙ぎ払い、突き匙で刺してきた。

 しかし、桜井は踊るような優雅なステップで、これらの攻撃を次々とかわしながら、小面たちの農具の柄に手斧の刃を引っ掛けるようにして巻き上げ、叩き落とし、跳ね上げていった。

 そして、鍬と鋤と突き匙が小面たちの手を離れると共に、その顔面に手斧を叩き込む。

 瞬く間に動かない人形と化す小面たち。

「まさか、貴女がバリツ・・・まで使えるとは思わなかったわ、梨沙さん」

 茅野は、ぱらぱらと拍手をする。

 桜井は照れ臭そうに笑いながら「でも、八割は我流だけどね」と言った。その言葉を耳にした柏崎が、ぼそりと突っ込む。

「じゃあ、ほとんど別物なのでは……」

「いや、バーディツは、幻の武術だから」

 と、桜井が言い訳にならない事を言ったあとに、きりっとした顔で周囲を見渡し、話題の転換を図る。

「それはそうと、ここって、やっぱり山神座とかいう村なのかな?」

「山神座……?」という怪訝けげんそうな柏崎の声を無視して茅野が思案顔で答える。

「まだ、何とも言えないけれど、恐らくはそうと考えて間違いないと思うわ」

「だから、山神座って……」

 と、柏崎が再度質問を投げかけようとすると、茅野はその言葉を右手で制して反対に質問を返した。

「そう言えば聞きそびれていたけれど、貴女たちはなぜ忌山に?」

「イミヤマ……?」

 柏崎が更に困惑した様子で首を傾げた。

「……私たちは南度山に登山に来たんだけど」

 すると、今度は茅野が眉をひそめる。

「南度山に……?」

「ええ。たぶん、途中にあった別れ道で間違って、こっちに来ちゃったんだと思うけど」

 と、柏崎は自嘲気味に笑う。

 桜井が何とも言えない表情で、茅野と顔を見合わせてから言う。

「あんなに解り易い看板があったのに?」

「看板……?」

「うん。“南度山の登山道はこちら”みたいなの」

 柏崎は記憶を辿ってみるも、看板など見た覚えはない。そもそも、そんなものがあったとしたら、道を間違う訳がない。

 では、単に見落としたのだろうか。

 しかし、解り易いという看板を五人そろって見落とすというのも、いまいち釈然としなかった。

「……貴女たちが来るより先に、誰かが悪戯で看板を地面から抜いたのかもしれないわね」

 茅野が呆れた様子で肩をすくめた。

 その何者かの他愛もない悪意によって、自分がとんでもない窮地きゅうちに立たされている事に、柏崎は強いいきどおりを覚えたのだった。




 ちょうど、その頃だった。

 朽木萌実と行動を共にしていた早瀬つぼみは、その破れた勝手口の障子戸を開けた。すると、真っ先に土間の地面でうつぶせとなっていた尾畑の姿が目に映る。

「お、尾畑さん……?」

 早瀬が大きく目を見開くと、彼女の背後から土間を覗き込んでいた朽木が絶叫した。それに弾かれたように、早瀬は慌てて尾畑に駆け寄る。

 朽木も後に続いたが、不自然に陥没した血塗れの尾畑の顔面を見つめて更に絶叫した。

「萌実、お願いだから静かにしてよ……」

 早瀬は苛立たしげに言うと、冷静に尾畑の右手を掴みあげて脈を取る。

 そこで尾畑が事切れているのを確信し、右手を握ったまま、ぼろぼろと泣き始めた。

「尾畑さん……」

 どうして、こんな事になってしまったのだろうか。

 以前から憧れていた尾畑と親しくなれるチャンスだと思っていたのに。

「尾畑さぁん……尾畑さぁん……」

「つぼみ、泣かないでよ……泣かないでってば……」

 朽木は泣き喚き続ける早瀬の背中をさすりながら、自らも涙を流し始める。

 すると、次の瞬間だった。

 尾畑の右拳の指に何かが挟まっている事に気がついた。

「何……これ……」

 早瀬がその小さな欠片を抜き取る。

 それは、何かのファスナーの引手であった。そこには“Ennioエンニオ”という刻印がされていた。

 

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