【07】奇妙な石碑
柏崎操は膝を抱えたまま視線を上にあげる。
すると
柏崎は己の膝に額を載せて、目を閉じた。もう何も考えたくない。急激に疲労感と倦怠感が込み上げてくる。
「うううっ……」
絶望が
「あ、いた!」
場にそぐわない明るい声が響いた。反射的に顔をあげ、声の聞こえた方へと視線を向ける。すると、あの二人の少女が表通りから路地を覗き込んでいた。柏崎は顔を引き
「あ、あなたたち……」
「あとの四人は?」
と、気軽な調子で言い、小柄な少女が路地に足を踏み入れる。
柏崎は「ひっ」と悲鳴をあげると、壁伝いに立ち上がった。その脅えた顔つきを見て、小柄な少女は苦笑する。
「だいじょぶ。だいじょーぶ」
そして、迷子になった子猫に対してそうするように、ゆっくりと迫って来た。
柏崎は更に表情を恐怖に歪ませ、壁を背にしたまま奥へと後退りする。
「こわくなーい、こわくなーい……」
「……大丈夫よ。ここから帰る方法を私たちは知っている」
その背の高い少女の言葉は、本当なのだろうか。確かに、この二人は訳知りの様子だった。しかし、それにしても、なぜ、そんな事を知っているのか。
柏崎の心に疑念が渦を巻き始める。
すると、その次の瞬間だった。少女たちのいる表通りとは反対方向から物音がした。
「ひっ!」
驚いて、柏崎は背筋を震わせながら、そちらの方を向いた。すると、ざんばら髪の小面が、反対側の路地の入り口からこちらへと向かってくるではないか。
柏崎は絶叫した。小面が首を振りながら右手を振りかぶった。そこに握られていたのは、五十センチ近い長さがありそうな金属製の叩き
柏崎は身体を硬直させ身を縮める。そして、叩き鑿が振り下ろされようとした正にその瞬間だった。右手を掴まれて表通りの方へと引っ張られる。
「こっち! 早く!」
あの小柄な少女だった。その身体に似合わない力強さで、柏崎は路地から表通りの路上へと連れ出される。
「大丈夫かしら? 邪魔になるといけないわ」
と、言われ、背の高い少女に腕を掴まれて、路地の入り口から反対の沿道に移動させられる。
そこで小柄な少女の方を再び見ると豪快な一本背負いで、路地から小面を引っこ抜くように投げ飛ばしていた。
「うりゃー!」
路上に背中を打ちつける小面は、すぐに起きあがろうと後頭部を浮かせるが……。
「はい」
小柄な少女は両足を揃えて跳びあがると、小面の顔面に着地する。
ばきん……という乾いた破壊音。柏崎はぎゅっと目を瞑った。
近くにいた背の高い少女が忌々しげに声をあげる。
「……不味いわね。あの一匹だけじゃなかったなんて」
「循、やっぱり、こいつ、仮面が弱点みたい」
その声を耳にした後、柏崎は恐る恐る目を開いた。
すると、そこで襲い掛かってきた者の正体が、のっぺらぼうの人形である事に気がついた。
「人形が……ど、どういう事なの?」
柏崎は
すると、背の高い少女が不敵な笑みを浮かべながら言う。
「……兎に角、私たちといれば安全よ」
柏崎には、この二人が何者なのかはさっぱり見当がつかなかった。それでも今の言葉が真実であるというのはよく解った。
少しの恐怖感は残っていたが、この二人と行動を共にする事にした。
小面は村内の到るところに
一度だけ狭い路地を通り抜けるとき、勝手口の板戸を突き破って現れた小面に急襲を受けるも、これを桜井が難なく退ける。
この二人はいったい何なのか。柏崎の脳裏から、その疑問が消える事はなかった。自己紹介によると、県内の学校に通う
どう考えても普通じゃないだろ……と、心の中で突っ込みつつも、柏崎は二人と行動を共にし続ける。
彼女たちの話では、この場所に来たときと同じように七人じゃないと帰れないらしい。残りの四人を探しながら、村の外をいったん目指しているのだという。
そうして、柏崎は二人の少女と共に、その場所へと辿り着いた。
そこは三叉路で、うろのある大きな柿の木が中央にあった。ちょうど金槌を手にした小面が、その前を横切ったあとだった。
建物の影から様子を
「あのうろの中に何かがあるわ」
その直後、小面は立ち止まり周囲を見回すと、茅野たちが身を潜めた場所に背を向けて、その場から立ち去ろうとした。
「梨沙さん!」
「らじゃー」
桜井が勢い良く返事をして飛び出す。小面が振り向く。金槌を振りあげるが、その次の瞬間に飛び膝蹴りが顎を跳ねあげた。
大きく仰け反る小面を、そのまま押し倒す桜井。即座に立ちあがると、小面の
「よし……」
桜井は一仕事終えた職人の顔つきで、額に滲んだ汗を右手の甲でぬぐう。すると、茅野が路地から出て三叉路の中央へと近づいていった。柏崎も後に続く。
そして、柿の木のうろを覗き込んだ茅野は神妙な声をあげる。
「……これは」
そこにあったのは一枚の石碑であった。
プールで使うビート板程度の大きさで、表面には奇妙なヒトガタが浮き彫りにされていた。
それは着物をまとい、
しかし、何よりも奇妙で目をひいたのは、その顔が描かれていない事だった。
それは他の部位の描かれ方と比べるに、デフォルメされ、省略されている訳ではない事が窺いしれた。
「循、これは、いったい……」
桜井が茅野の顔を見た。すると、彼女は鋭い眼差しを石碑に向けたまま答える。
「……ぱっと、思い付いたのは
「さるはち……ぼんのう?」
桜井が首を傾げ、茅野は解説を始める。
「柳田國男先生によれば、農村部には古来より、春になると山の神が里へと降りてきて田の神となり、恵みをもたらし、秋になると里を離れて山へと戻り、再び山の神になるという信仰があったというわ。その神様の使いとされたのが、山から里にやって来た動物だったと言われているの」
ここまで一気に語った茅野に対して、話をまったく聞いてなさそうに桜井が「ふうん」と相づちを打つ。
柏崎は不安にかられたが、茅野は気にした様子もなく言葉を続けた。
「そうした動物の中で、猿を描いたものが申八梵王と呼ばれているわ。これと似た石碑が埼玉の慈光寺にあるのだけれど……」
そこで茅野は言葉を詰まらせる。桜井が
「これ、猿じゃないよね……」
「ええ」
茅野は同意して頷く。柏崎も同感だった。
そのヒトガタは顔が描かれていない事を差し引いても、猿には見えなかった。
細長い枯れ木のような手足。そして、顔のない頭部は異様に大きい。
これが、山から下りてきた動物を描いたものだとしたら、いったい何だというのか。
柏崎にはまったく見当もつかなかった。
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