【04】2+5


「ふうん、山の神様って、えっちじゃん」

 これは、昔のマタギが行ったとされる“サゲフリ”という儀式について、茅野から聞いたあとに桜井が口にした感想である。

 それは、柏崎ら五人が例の鳥居を潜り抜けた頃合いだった。

 桜井と茅野はその先に延びる道を進んでいた。もちろん、二人は彼らとは違い、何一つ迷わずに鳥居のある左側へと進んだ事は言うまでもない。

 ともあれ、桜井と茅野はとりとめもない雑談を繰り返しながら進む。

 すると、杉林を割って延びる平坦な道の先だった。突然、太陽光が射し込み、木立に覆い隠されていた秋晴れの空があらわになった。

 視界が開けて、三メートル程度の下り斜面と、その向こうに横たわる沢へと行き当たる。

「ここね……」

 と、背後の茅野が言ったので、桜井は振り向いて彼女の顔を見あげた。

「ここが、何かあるの?」

「ここは、山座と呼ばれる沢よ」

「やまかみ……ざ?」

 桜井が小首を傾げ、茅野が解説する。

「十五年前に、行方不明になった七人は、この山上座を目指していたらしいわ」

「ここを……?」

 桜井が辺りを見渡して怪訝けげんそうに眉をひそめた。

「こんなところで遭難……?」

 河原は広く大きな白い石が敷きつめられていた。中心に細く浅い流れが申し訳程度にあるばかりで、特に危険はなさそうだった。

 向こう側も同じように三メートル程度の斜面があり、そこには河原へと下る段差が刻まれていた。沢の対岸の先には、鬱蒼と生い茂る杉林が帯をなしている。

 とうぜん、ここに来るまでの道も平坦で、まかりまちがっても遭難するような場所はなかった。

「……そもそも、その七人は何でこんな場所に?」

 桜井の疑問に茅野が答える。

「何でも、明治初期の地図を見ると、この辺りには山座という名前の集落があったらしいわ」

「こんなところに……?」

 桜井が再び沢の方を向いた。茅野は更に話を続ける。

「一応、土砂崩れにあって壊滅したっていう事にはなっているらしいけれど……」

「その七人は、集落の調査に訪れていたっていう訳だ?」

「というより、彼らは、この辺りに伝わる民話や山岳信仰について調べていたらしいわ」

「ふうん……」

 桜井がぼんやりとした返事をする。そこで茅野が提案を打ち出した。

「まあ、休憩してから、この沢を少し調べてみましょう。何かあるかも・・・・・・しれないし・・・・・何か起こるかも・・・・・・・しれないわ・・・・・

「だね!」

 と、桜井は元気良く言うと、キャリーバッグから解き放たれた小型犬のような勢いで斜面を下っていった。

 茅野もその後に続いて沢を降りた。




 柏崎たちが例の鳥居を潜り抜けて、三十分程度が経過した。

 最初はテンション高めで様々な話題を振っていた朽木が静かになり始めた。それを境に沈黙が続くようになる。

 そろそろ疲れてきた……というより、五人全員が周囲を取り巻く異様な雰囲気を感じ取ったのだろう。

 林立する木々の合間を埋める亡霊の住処のような薄暗がり。そして、とつぜん響き渡る怪鳥けちょうの鳴き声は不気味で、曖昧模糊あいまいもことした不安を掻き立てるばかりであった。

「何か、静かだね」

「そりゃそうだろ」

 この早瀬と尾畑のやり取りから、更に無言で十分ほど経った後だった。

 不意に視界が開けて、鬱々うつうつとした行軍を続ける五人に目映まばゆい太陽の光が降り注ぐ。

 彼らの眼前に白い石で埋め尽くされた河原が姿を現した。

 そして、その中央の沢の近くにあった倒木の上に、二人の女が、こちらに背を向けて座っていた。

 黒い長髪と栗色のポニーテール。どちらも格好を見るに、ごく普通のハイカーのようだった。

「……俺たちも、ちょっと休もうぜ?」

 尾畑が斜面を下り始める。

「もう、足がパンパン」

 早瀬が続いた。

「私も疲れちゃった」

 朽木は彼女に同意を示すと、その後を追った。

 柏崎も後を追おうとした。しかし、坂澤は怪訝な表情で首を傾げたまま動こうしない。

「どうしたんですか?」

 柏崎が足を止めて坂澤に尋ねる。すると、彼はそのままの表情で答える。

「おかしい。こんな沢、地図に載っていなかったような気がする。やっぱり、違う道だったかも……」 

「いや、あの人たちもいるって事は、こっちで合ってるんじゃないですか? 何を今更」

 そう言って、柏崎も斜面を降り始める。坂澤は釈然としない様子ながらも彼女の後に続いた。

 先頭の尾畑が流木に腰を掛けた二人組に近づいて行く。

「こんにちはー!」

 と、声をあげた。

 二人組が振り向いた――




「それにしても、心霊抜きに、こうした大自然の中で過ごすひとときも悪いものではないわね」

 茅野は沢の近くにあった倒木に腰をおろすと、水筒の中に入れてあった甘い珈琲を蓋のカップに注いだ。

 その隣では桜井が野球ボールほどはありそうな、おにぎりにかぶりついている。因みに中身は牛肉と牛蒡ごぼうを甘辛く煮つけたものだった。

「……確かに、心霊抜きでもけっこう楽しいかも」

 などと、桜井が口の中のものを飲み込んだ後に、らしくない事を口にした瞬間だった。

「こんにちはー!」

 と、背後から声が聞こえた。二人は腰をおろしたまま振り返る。

 すると、こちらへ五人の登山客が近づいてくるではないか。茅野は大きく目を見開く。

「……不味い・・・五人いる・・・・


 “七人で山に入ってはならない。もし山で別の者と出会い七人になってしまったら、必ず七人で山を降りなければならない” 


 茅野の脳裏に九段の著書で目にした記述が甦る。

「沢の流れの音で気がつかなかったわ……」

「どうする? 循」

 桜井の言葉に答える事なく、茅野は腰を浮かせると近づいて来る五人に向かって叫んだ。

「こっちは危険よ! 引き返して!」

 五人は立ち止まり、怪訝けげんそうに顔を見合わせた。

 そこで桜井と茅野は、視界が霞み始めている事に気がつく。

 霧だ。

 みるみるうちに、周囲のすべてが白く塗り潰されて行った―― 

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