【02】山コン


 それは二〇二〇年十月二十五日の早朝だった。

 県北へと延びた山沿いの国道をひた走るのは、銀のミラジーノである。

 そのハンドルを握る桜井梨沙は、助手席に座った茅野循に向かって、いつもの質問を発した。

「……で、今回はどんなスポットなの?」

「今回は県北の山間部にある伊三山よ」

「いみやま……」

伊予柑いよかんに、三つので伊三山とされているけれど、昔は忌まわしい山と書いて、忌山という字が当てられていたらしいわ」

「伊予柑食べたい……」

「相変わらず、飯テロに対する防御力は0ね。梨沙さん」

 茅野が呆れた様子で突っ込むと、桜井は照れ臭そうに笑う。

「……それはいいとして、忌まわしい山とは、ずいぶんとストレートなネーミングだねえ」

 茅野が頷いてからドリンクホルダーのアイス珈琲を手に取る。

「……その山では、十五年ほど前に遭難者が出ているのだけれど、行方不明となって未だに遺体も見つかっていないわ」

「行方不明? そんなに険しい山なの?」

 この桜井の質問に茅野はストローを咥えながら、首を横に振る。

「標高は九百八十二メートル。いくつか難所はあるにはあるけれど、山頂までは三時間も掛からないわ。とても行方不明者が出るような山ではない」

「ふうん」

 と、桜井がいつもの気のなさそうな返事で応じる。茅野の解説は更に続く。

「……ただ、この忌山は現在ではふもとへと通じている道がほとんど残っておらず、現存する登山道も南度山なんどさんの中腹から行けるルート一つしかないわ」

「行方不明の原因は何だろうね」

 桜井がわくわくした様子で言い、茅野は不敵な笑みを浮かべながら首を横に振る。

「解らない……ただ、忌山には興味深い伝承が残っている」

「どんな?」

 茅野は桜井に九段昌隆の著書にあった伊三山の“七”にまつわる伝承を語って聞かせた。

「……“七人で山に入ってはならない”か」

「そう。これがいったいどういう意味を持つのか……その十五年前に行方不明になった遭難者も七人だったそうよ」

「七……偶然にしては、ちょっとできすぎているね」

 桜井の言葉に茅野は首肯しゅこうした。

「全員、県内の大学に通う学生で、民俗学を専攻していたらしいわ」

「でもさー」

 と、そこで桜井が何かに気がついた様子で声をあげた。

「……なら、七人で行かないと、何も起こらないんじゃあ」

「そこなのよね……」

 茅野が苦笑する。再びアイス珈琲のカップを手に取り、ストローを口に咥えた。桜井はフロントガラスの向こうの信号を見据えながら車を減速させ、ウインカーを出した。右折レーンへと乗り入れる。それからミラジーノは山間部を割って県外へと延びる連絡道路へと進路を取った。

「……ただ、こればかりは、他人を巻き込むわけにはいかないわ」

 この茅野の言葉に桜井も同意を示して頷く。

「だねえ。素人さんにはきついだろうし、九尾センセと篠原さんを騙して連れて来たとして四人。あと三人も足りない」

 などと、冗談とも本気ともとれない表情で、とんでもない事をのたまう。

「今回はあまり怪異は期待できなそう……?」

 しょんぼりとした桜井だったが、茅野は自信ありげだった。

「まあ“七”の禁忌については破る事ができないけれど、他にも、この山には禁忌とされている事があるから大丈夫よ・・・・

「おお……」

 常識人が聞いたら何が大丈夫なのか首を傾げるところであろうが、桜井は嬉しそうに瞳を輝かせて、茅野の話に耳を傾ける。

「……まず、この山にはキラキラと光る刃物や鏡を持ち込んではいけないそうよ。昔の猟師やきこりたちは、この山に入るとき、金属製の物が反射しないように傷をつけたり、炭や泥で汚していたらしいわ」

「なんで……?」

「さあ……九段さんの著書では“そういった物を山の神が怒るから”と言い伝えられているとされているけれど、具体的な理由は解っていないそうよ」

 と、茅野が肩を竦めた。それから神妙な表情になり、言葉を続ける。

「まあ刃物や鏡といったら魔除けの定番よ。それをわざわざ汚すだなんて、何か特別な理由があるのでしょうね。きっと……」

「じゃあ、その禁忌を破ればいいんだね?」

「そういう事になるわね」

 と言って、茅野が頷く。


 ……こうして、二人は何事もなく、その日の午前九時前に南度山の登山口にある駐車場へと到着する。そこから、南度山の中腹にある忌山の登山口を目指したのだった。




 柏崎操はその日の朝、県庁所在地の駅前で待ち合わせ、ワンボックスカーで県北を目指した。

 しかし、出発早々に柏崎のテンションはどん底まで落ちていた。なぜならこの日の登山には、朽木と早瀬の他にも二人の参加者がいたからだ。

 坂澤重明さかざわしげあき尾畑昂輝おばたこうき。女性社員に人気のある二人だった。

 坂澤は元ラグビー部でがっちりとした体型をしており、コロナ禍になってからアウトドアに興味を持ち始めたらしい。有名なブランド物のウェアを身にまとっている。

 一方の尾畑はスレンダーな優男といった風貌でアウトドアの経験はないとの事だったが、社内のフットサルチームに参加しており、体力には自信があるようだった。

 そんな男たちに対して、二列目座席で朽木と早瀬が上機嫌な声をあげている。一方の柏崎は三列目で独り仏頂面のまま黙り込んでいた。

 その様子を目ざとく察したのは、ハンドルを握る坂澤だった。 

「……いやー、ごめん。柏崎さん。後ろで独りにさせて」

「いえ」

 なんでも、本来ならもう一人、水本孝夫みずもとたかおという同僚が参加する予定だったのだとか。前日になって、急に体調を崩したらしい。

 要するに、今回の登山は“山コン”だったのだ。

 山コンとは独身男女が登山を通じて交流する婚活イベントで、十年くらい前に少しだけ流行ったような記憶が柏崎にはあった。

 昨今でも三密を回避できるとして、アウトドアがブームとなっており、それにともなって山コンも見直されつつあった。

 柏崎は愛想笑いを浮かべながら「大丈夫です。お気遣いなく……」と坂澤に向かって言った。

 すると、助手席に座った尾畑が気安い笑みを浮かべて言葉を続ける。

「まあまあ、あんな間の悪いやつの事なんか忘れて、俺たちだけで楽しもうよ」

 そんな彼に向かって早瀬が鼻に掛かった声で尋ねる。

「で、今日行くところって、どんな山なんですか?」

「ああ。南度山・・・ってところだよ」

 尾畑が運転席へと視線を向けると、坂澤が頷いた。

「そうそう。標高も低いし、道も平坦な場所が多いから、頂上までは昼前に着くよ」

「えー、本当に大丈夫なんですか? 私たち、全員、登山とか初めてで……」

 朽木の甘えた声に坂澤は豪快な笑みを浮かべた。

「大丈夫、大丈夫。俺の婆さんの実家がこの辺りで、子供の頃に何度も登った事があるって話してた。ネットでも初心者向けの山っていう評価だったから」

 そして、尾畑がシートの間から後方を振り返って言った。

「山頂に山小屋があるらしいから、そこでバーベキューしてビールで乾杯しようよ」

 すると、朽木と早瀬が歓声をあげた。

 どうやら、朽木は坂澤狙いで、早瀬は尾畑らしい。そして、それぞれの相手もまんざらではない様子に思えた。

 柏崎は独りぼっちであったが、むしろそっちの方が気楽だった。自然を満喫して、適度に飲み食いをして帰って来よう。そう心を切り替える。


 ……こうして五人は九時二十分過ぎに南度山の登山口前にある駐車場へと到着したのだった。

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