【01】面倒な関係


 それは県庁所在地の駅前から少し外れた住宅街にあるマンションの一室だった。

 家具類はシンプルで機能的であったが、ところどころに見られる可愛らしい色合いの小物が、室内に女性らしい彩りを与えている。

 そのリビングの中央でダイニングソファーに腰を埋めるボブヘアの女の名前は柏崎操かしわざきみさおといった。

 彼女の目の前のローテーブルにはノートパソコンが置かれており、その周囲にはローアルコールのカクテル缶とパーティ開きされたのり塩のポテトチップスがあった。

 柏崎は県内の広告代理店に勤める二十七歳で、この日は同僚とリモート女子会を行っていた。

 波打った茶髪と鋭い目付きなのは朽木萌実くちきもえみで、赤い縁の眼鏡をかけているショートヘアが早瀬はやせつぼみである。

 話題は何気ない近況から、まるで牽制し合うかのようにお互いの恋愛事情に探りを入れ合い、いつしか仕事や会社の愚痴へと移り変わっていった。

『……てかさー、ちょっと、聞いてよ』

 と、その話を切り出したのは、早瀬であった。

『今日の昼、会社に行ったんだけど……』

 昨今はコロナ禍というご時世柄、彼女たちの所属する部署は自宅でのリモートワークを取り入れていたが、それでも週の半分は出社しなければならなかった。

『それで、浅木あさぎに会ったんだけど……』

 その浅木という名前が出たとたんに画面の向こうで朽木が『ああ……』と呟き、鼻を鳴らして笑った。

 浅木清孝あさぎきよたか

 同じ部署に所属している先輩社員で、現在は三十七歳の独身。仕事はできる方だが、いかんせんルックスとコミュニケーション能力に問題ありとされ、大半の女子からは嫌われていた。

 柏崎はカクテル缶を口に含むと「浅木さんがどうかしたの?」と話を促した。早瀬も発泡酒を 飲んでから話を再開する。

『何かさ、別人になってたんだけど』

『別人? 何それ。どんな風に?』

 そう言ってから、朽木がカシューナッツを摘まんで、赤ワインで流し込む。早瀬が答える。

『何か、ちょっと痩せてて、髪も短めのツーブロックにして、眼鏡もしてなかったから、最初誰か解らなかった』

『マジで……?』

 朽木は半笑いで眉をひそめると、半信半疑といった様子で言葉を続けた。

『もしかして、カノジョでもできたとか……?』

 すると、早瀬が爆笑する。

『ないない……あり得ない。ごほっ、ごほっ……ねえ、ちょっと、むせたじゃん、やめてよ』

 そう言って咳払いをしたあと、カメラに向かって恨みがましい視線を向けた。

『ごめんって。でも、あのキモデブが、そんな風になるって女以外になくない?』

 朽木の言葉に早瀬が首を横に振った。

『違う、違う。いくら痩せたって言っても、豚が子豚になった程度だし、あんなん好きになる女なんて、相当趣味がおかしいし』

「まあ、確かに、そうかもね」と柏崎が静かに同意する。

 朽木が『じゃあ、何で?』と訊きながら、ワインボトルを空になったグラスの上で傾けた。彼女の疑問に早瀬が答える。

『前に総務課の山田さんに聞いたんだけどさ、浅木、かなり必死に婚活してるみたい』

『それ本当に?』

 朽木が小馬鹿にした様子で笑う。

「その話、私も知ってる」

 柏崎が聞いたところによると、何でも親にせっつかれて積極的に婚活パーティへと顔を出したり、会費の高い結婚相談所に登録するなどしているらしいが成果は芳しくなかったのだとか。

「……まあ、彼なりに努力してるんじゃないの?」

 柏崎は興味なさそうに言うが、朽木はまだ彼の話題を続けたいらしかった。 

『今どき、結婚相談所って。マッチングアプリとか使えよ……』

『だから、コミュ障のアイツにマッチングアプリは敷居高いって』

 その早瀬の言葉に朽木が新しいワインのコルクを開けながら言った。

『でも、結婚相談所なんて、負け組の吹き溜まりでしょ? あんなところ、マジで相手のいない行き遅れが最後に泣きつく地獄のような場所じゃん』

『言えてるー』と早瀬。その言葉のあと、何かを思い付いた様子で手を叩いた。

『もしかして、ワンチャン狙ってたりして。私たちの事』

 そこで朽木が爆笑する。

『ないない。無駄な努力! ノーチャンスだから!』

『……このままコロナで人類が全滅して、あいつと二人だけになっても、絶対になしだわー』

 早瀬と朽木は手を叩いて爆笑した。柏崎は流石に二人のあまりにもあけすけな悪口に気分が悪くなり、苦言を呈する事にした。

 しかし、その直前で朽木が『あっ、そう言えば』と何かを思い出した様子で声をあげる。

『何よ……?』

 早瀬が期待していない様子で話を促す。朽木がほくそ笑みながら言葉を発した。

『そう言えばさ、来週の日曜日なんだけど暇? 登山に行かない?』

「登山……?」

 柏崎は眉間にしわを寄せた。彼女はインドア派という訳ではなかったが、わざわざ外に出て体力を使う事が億劫おっくうに思えた。

『登山っていっても、そんなに本格的なやつじゃなくて、かなりまったりな感じで。トレッキング? 山歩きみたいな感じ。最近、アウトドアにはまっててさ』

「うーん……」

 それでも、乗り気はしなかった。しかし、早瀬は賛同を示す。

『え、いいじゃん。しばらく家の中に閉じ籠りっぱなしだったし、いいんじゃない?』

『でしょ? じゃあ決まりね。日曜の朝、駅に集合で。柏崎さんもいいでしょ?』

 一瞬だけ間が空いたが、柏崎は渋々といった様子で頷いてしまう。誘われると断れない。悪い癖だと内心で自省しながら愛想笑いを浮かべてしまう。

 しかし、この二人からの誘いを断ったら断ったで、あとあと面倒な事になるのは目に見えていた。

 陰口。嫌味。仲間外れ。無視。

 社会人になっても学生時代と何も変わらない。人付き合いの億劫おっくうさに、柏崎は溜め息を吐きそうになったが、それを酒と共に飲みくだす。

 そして、たまには自然の中で身体を動かすのも悪くないかと、気持ちを切り替えた。

 こうして、柏崎操は次週の日曜日である十月二十五日に職場の仲間たちと共に県北にある山間部へと向かう事となった。

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