【File52】忌山

【00】7


 忌み数とは不吉とされ、忌避される数字の事をいう。

 これにあたる数字は文化圏ごとに異なり、ある地域や国では忌み数とされる数字が、他の地では幸運の数とされたり、その逆に幸運の数が忌み数とされたりする。こうした、同じ数字でも場所によって異なる意味を持つ事例は多く存在する。

 例えば聖書の中の様々な場面でシンボルとして表れる12という数字であるが、我が国のマタギたちの間では、“12”は忌み数とされており、十二人で山に入る事が禁忌となっている。

 理由については“山の神の怒りを買う”とされていたり“山の神が自分の産み落とした十二人の子供と勘違いするから”とされていたり、様々で判然としない。

 そして、欧米ではラッキーナンバーとされる“7”もまた彼らの間では不吉だとされ、七人で入山する事も良しとされない。

 これは、海や山で事故死した者たちの怨霊である“七人ミサキ”に由来すると言われ“山中で七人組でいると七人ミサキと間違われてしまう”とも“七人ミサキになってしまう”とも言われている。

 我が県の北部の県境に位置する“伊三山いみやま”にも、そうした伝承が残っている。

 七人で山に入ってはならないという禁忌の他にも、もし山で別の者と出会い七人になってしまったら、必ず七人で山を降りなければならないと云われている。

 もしも、この禁忌を破ってしまった者は永遠に山から下りる事ができなくなってしまうのだという。


 (九段昌隆著、我が県の山岳伝承)




 霧の中に沈み込んだ山小屋の中で、囲炉裏いろりの薪が大きな音を立てて爆ぜた。

 その直後、忙しなく動いていた男の右手の小刀が滑る。木片を握っていた彼の左手の親指と人差し指の間を深く傷つけてしまった。

 男は木片と小刀を取り落とし、顔をしかめて舌打ちをした。皮が裂けて真っ白な脂肪が覗いた傷口から見る見る間に赤い鮮血が溢れる。

 男は傷を口元に運ぶと、右手だけで急いで顎紐を外した。そして、頭に被った雨蓋アマブタと呼ばれる笠を跳ね落とす。そして、その下に巻いていた手拭いを外すと急いで左手に巻きつけた。すでにかなりの流血があり、胡座あぐらをかいていた彼のももに大きな染みができていた。傷口に巻いたばかりの豆絞り模様もまたたく間に赤く濡れそぼっていった。

「畜生!」

 男は一言吐き捨て、畳の上に転がった木片と小刀を拾った。再び木片を彫り始める。

 彼は信心深いマタギだった。

 この日の彼は六人で入山し、充分な獲物を仕留める事ができたのだが、問題はその帰り道だった。

 崖下の沢で怪我をして動けなくなった遭難者を見かけてしまった。

 信心深い彼は「見捨てよう」と提案した。この遭難者を助けてしまえば、自分たちと合わせて七人になってしまう。そうなってしまえば、山から下りる事ができなくなる。

 しかし、五人の仲間は誰一人として彼の忠告を真に受けようとしなかった。迷信だと鼻で笑い、お前は人でなしだと非難を浴びせてきた。五人は崖を下り、その遭難者を助けようとした。しかし……。

「糞! だから言ったんだ……」

 五人はすでに悲惨な末路を遂げて、遭難者も死んでしまった。そして、彼も山を下りる事ができないでいる。

 五人の優しさは最悪の形で裏目に出てしまったのだ。

「糞! 糞! 糞! 糞……」

 もっと、強く引き留めるべきだった。せめて、自分だけでも急いでその場を離れるべきだった。男は悔恨かいこんの念を込めながら、木片を彫り続ける。ときおり、木屑が炎の中に飛び込んで、煙をあげて燃え尽きる。

 この木片こそが最後の希望。現状を打破する唯一の鍵であった。

 早く彫らなくては。あれ・・がやって来る前に……。

 その木片は五〇〇ミリペットボトル程度の大きさの乾いた杉の太枝だった。武骨な円筒形だったが、男の手により小芥子こけしのような形に整えられてゆく。

 その頭部にあたる部位に切れ込みを入れて、目や鼻や口を描く。首元から左右に八の字の切れ込みを入れる。すると、たいへんに粗雑ではあったが、みのを羽織った人形のようにも見えてきた。次に男は足の形を整えようとし始める。

 もう少しだ……もう少し……この人形さえ彫り終われば……。

 そして、再び囲炉裏の薪がぜて、大きな音を鳴らした直後であった。

 男と囲炉裏を挟んで正面の奥にあった入り口の戸が、どん……と、激しく揺れた。

 何かが外から戸板を強く叩いたのだ。

 再び、どん、と大きな音が鳴って激しく戸板が震えた。

 すると、戸板の真ん中が割けて、重々しい鉈の頭が突き出る。男はいったん飛び上がると膝立ちになって、鋭い眼差しで戸板を睨みつけた。

 鉈の先端が引っ込む。その直後、再度戸板が大きく震えた。

 どん。

 メキメキと軋んだ音がして、鉈が戸板の裂け目を大きく広げようとする。その裂け目から、白い霧が渦を巻いて小屋の中へと侵入してくる。

 男はそのままの格好で、小刀と木片を床に置いた。そして、代わりに近くに置いてあった猟銃を手に取る。

 再び大きな破壊音が鳴り響き、よりいっそう戸板の裂け目が広がる。流れ込んでくる霧の向こうから、何かが小屋の中を覗き込んでいた。

 あれ・・だ。

 五人の仲間と遭難者を殺した、あれ・・がやって来てしまった。

 男はその戸板の隙間に向かって銃口を向けると、コッキングレバーを引いた。

 大きくなった戸板の穴から、にゅっと、青白く細長い何かが伸びる。それは、枯れた白樺のような干からびた右腕だった。その腕がかんぬきを外した。からん、からんと、閂が床に落ちて甲高い音を立てた。戸が勢い良く開かれる。戸口の向こうから、白い霧が一気に雪崩れ込んでくる。

「畜生」

 彼は引き金を弾いた。

 銃声が轟く。

 次の刹那、絶叫と共に肉と骨のひしゃげる音が鳴り響いた。

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