【11】囁く悪霊の館
その日の深夜。
吉成鈴は自室のベッドに寝転がり、まんじりともせずにいた。
この日は彼女にとって、まるで夢のようだった。
友人の文野が制止するのも聞かずに、茅野薫に突っ掛かっていった事には肝を冷やしたが、そのあと初めて薫と一緒に下校し、あまつさえ彼の家に上がる事ができた。更にそのあと家まで送ってもらう。何だかんだで薫との距離を一気に縮める事ができた。
しかし、逆に新たな疑念も湧き上がる。
あの先月の二十三日以来、毎日電話で会話していた薫はいったい誰なのだろうか。
どう考えてもあれは茅野薫の声だった。しかし今日、実際に薫と話してみて、彼が嘘を吐いて誤魔化しているようには思えなかった。
ならば、あれは誰なのだ。毎晩、耳元で囁かれた甘い言葉は誰の声だったのだ。
鈴はぞっとして顔をしかめた。
そもそも、あのスピリットボックスから聞こえてきた男の声がよく解らない。自分の願望を形だけでも叶えようとしたモノは、いったい何なのだろうか。いずれにせよ、常軌を逸している。
茅野薫の姉は、三日もかけずに薫が無実である証拠を見つけると言っていたが、そんな事が本当に可能なのだろうか。
ふと不安になり何気なく枕元のスマホを手に取った。時刻は二時十七分。この日は薫からの電話はなかった。まるで、こちらが疑念を持った事を悟ったかのようだ。それが余計に不気味だった。
そこで鈴は、何気なく茅野薫の姉がスマホで撮った薫とのツーショット写真の事を思い出す。
何のために撮影したのかは、彼女には解らなかったが、単純に憧れの人とのツーショット写真は欲しかった。
「頼めば貰えるかなあ……」
などと、呟いた瞬間だった。彼女はずっと心の中に引っ掛かっていた事を思い出した。
翌日の昼休みだった。
桜井と茅野はオカ研部室で昼食を取っていた。因みに桜井は手製の鳥そぼろ弁当で、茅野はコンビニのチキンサンドである。
それらを食べ初めて間もなくだった。テーブルの上にあげていた桜井のスマホが着信を告げた。口いっぱいに頬ばった鳥そぼろをもぐもぐとやりながらスマホの画面を覗き込むと、どうやら九尾からの電話らしい。
「センセだ」
桜井はスマホを手に取り、電話に出るとスピーカーにして、再び卓上に置いた。
『今はお昼中?』
「……そだよ」
と、桜井は鳥そぼろご飯を飲み込み、九尾の質問に返答して言葉を続けた。
「どうかしたの? センセの方から厄介者のあたしたちに電話をしてくれるなんて」
『厄介者っていう自覚はあるんだ……』
呆れた様子の九尾の声が聞こえた。
「それで、何かしら?」
茅野に促され、九尾が語り始める。
『いや、その、関係ないかもしれないけど昨日聞いた一件で、ちょっと、思い出した事があって。前にお母さんから聞いたんだけど』
「九尾先生のお母さんというと、ドイツの方だったわよね?」
『うん。そのお母さんの地元の近くに“嘯く悪霊の家”と呼ばれる心霊スポットがあって……』
「そこの霊は強いの?」
その桜井の質問に九尾は『いや、大した力のある霊ではなかったそうよ』と答え、更に話を続けた。
『でも、その家に住む悪霊は、口が上手くて、人を惑わす術に長けていたらしいわ。侵入者に対して自らをメフィストフェレスなどと嘯いていたそうよ』
「めふぃすと……ふぇれす……?」
桜井が小首を傾げ、茅野が解説する。
「元はドイツの伝説に出てくる悪魔の事で、様々な物語にも登場しているわ。ゲーテのファウストに登場するものが有名で魂と引き換えに願いを叶えてくれるらしいわ」
「ふうん」と、桜井がいつもの話を聞いているのかいないのかよく解らないような返事をすると、九尾が話の続きを語り始めた。
『……それで、当然、その悪霊には願いを叶えるような力はないんだけど、言葉巧みに人間を操って、破滅に導くらしいわ』
「それが、例の一件と関係があるのかしら?」
『その悪霊は、まず侵入者に語りかけるそうよ。“願いを叶えよう”と……』
桜井と茅野は、はっとして顔を見合わせる。
『何か、今回の話と似てるなーって……』
「でも、それって、ドイツの話なんでしょ?」
桜井の指摘に九尾が答える。
『ええ。でも、これは公にはされていないんだけど、今からだいたい三年前くらいに、その嘯く悪霊の家をアメリカのケーブルテレビ局の撮影クルーが訪れたんだけど、その中の八人が惨殺されるという事件が起こっているわ。犯人は撮影クルーに同行していたイギリスの超心理学者で、彼は事件後に現場から逃走した後に、近くの沢で遺体となって発見されたの。どうやら
「じゃあ、事件解決で一件落着?」
『でもないのよ。その一件以降、嘯く家から、その悪霊が消え失せたの。たぶん、誰かに憑依を繰り返しながら、どこかを渡り歩いているんだろうけど……』
「まさか、その悪霊が日本に来て、あの家に?」
『解らない。ただ、その撮影クルーも、事件の直前にスピリットボックスで霊との交信を試みる実験をしていたそうよ』と、九尾が桜井の言葉に答えた次の瞬間だった。
「だいたい、解ったわ」
茅野の口からその言葉が漏れた。そして、自らのスマホを手に取ると、更に言葉を続けた。
「その嘯く悪霊の家の一件が関係あるかは解らないけれど、偽薫の正体は間違いないと思う」
その茅野の言葉を耳にした桜井が深々と頷く。
「お、腹パンか」
「……取り敢えず、今日の放課後、犯人に会いにいきましょう」
そう言って茅野はスマホの画面に指を這わせて、メッセージを打ち始めた。
その日の放課後だった。
吉成鈴は帰りのホームルームが終わると職員室へと向かい美術室の鍵を借りた。忘れ物をしたと言ったら、顧問の教師は鍵をあっさりと貸してくれた。
文野良根は受験勉強をするために早々に帰宅した。他の部員も恐らくはそうだろう。この日は部活はなく、自主制作に励む下級生もいない。鈴はたった一人で特別教室棟の三階にある美術室へと向かう。
目的は茅野薫の濡れ衣を晴らすためだ。そのためには、どうしても確認しなければならない事があった。
薫は『性格は最悪だがシャーロック・ホームズのような姉に任せておけばなんとかなる』などと言っていたが、もう他人の手を煩わせるのはごめんだった。
こうなった原因は自分にある。偽者に騙され、勝手に舞い上がっていた自分自身が悪い。だから、この一件の幕引きも自分がするべきだ。
そんな決意のもと、吉成鈴は誰もいない美術室に足を踏み入れる。そして、奥の美術準備室へと向かった。
その奥まった位置にある棚には、美術部員が制作した作品がいくつか収納されていた。
鈴はその中からA4のイラストボードの束を手に取り一枚ずつ捲って行く。そして、彼女はついに辿り着いた。
それはミリペンとアクリルガッシュで描かれた下手くそな美少女のイラストだった。
赤みがかったブラウンのボブヘアーに黒いひらひらした服装……。
それは、電話で薫に言われて、彼の好みの格好になり、鏡の前に立ったときに感じた既視感の正体であった。
その微妙にデッサンの歪んだイラストはどこか醜悪で、まるで人外の怪物のように感じられた。
鈴は最近、この絵を目にしていた。それは彼女のスマホに納められていた去年の文化祭の写真でだった。その中の一枚に、この絵が見切れて映っていた。
「やっぱり……」
鈴がそう呟いて、顔をしかめた瞬間だった。
がちゃり……と、音がして美術準備室の引き戸が開く音がした。
驚いて振り向くと、そこには……。
「やあ、吉成さん。帰ろうとしたら、び、美術室の方へ向かうところを見かけたから、その、追っかけてきちゃった」
そう言って、粘度の高い笑みを浮かべたのは、肩掛け鞄を提げた久保多喜雄であった。
彼がくだんの美少女イラストの作者だった。
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