【09】猶予


 誰もいない家庭科室の教卓の周囲で五人は話し合う。

 まずは文野から事情を聞き、吉成鈴のスマホを確認する。そして、その履歴に並んだ番号が茅野薫のものではない事を、南が冷静に指摘する。彼は会話を録音するためにスマホを持ってきており、そのアドレス張に登録されていた茅野薫のものと照らし合わせる。

 これに目を見開いて驚いたのは鈴であった。文野も一度は薫サイドの言い分に納得しかけたが、すぐに疑念の言葉を吐く。

「……いや、電話番号やアカウントなんか、別に一人で幾つも持てるんでしょ? 良く知らないけど」

「おめえさ……」と、声をあげたのは喜多だった。薫を親指で差して言葉を続ける。

「確かに、こいつは告白されては断ってばっかりで女子を泣かせる事もあるが、自分から告白して、そんな風に女子を弄ぶようなクソな事は絶対にしねえよ」

 何の根拠もない感情論であったが、その真剣な表情と彼の強面によって謎の説得力があった。続いて南が喜多とは正反対の冷静さで意見を述べる。

「……誰かの成り済ましじゃないの? その気になれば、女子なんか選り取りみどりなのに一向に彼女を作ろうともしない薫が、わざわざ名前も知らない女子に対して、そんな事をするとは思えないけどなあ……」

 言葉に詰まる文野。しかし、そこで鈴が自らのスマホの履歴を眺めながら、ぽつりと呟くように言った。

「……でも、あれは確かに茅野くんの声だった」

 そこで薫は思い出す。

 先週の木曜日に姉の口から“吉成鈴”という名前を聞いた事を……。

 次に彼の脳裏を過ったのは夏休みの一件だった。

 あのとき、八尺様と呼ばれる怪異は薫の知己の人間の声を真似ていた。

「ねえ、吉成さん」

「何?」

「その僕から電話が掛かってきたとき、最初に『もしもし』じゃなくて『もし』って一回だけ言ってなかった?」

 視線を上にあげ、鈴はしばらく記憶を反芻はんすうし、口を開いた。

「あ、うん。そういえば、そうだったかも……何か変だなって思ったけど」

「じゃあ、僕から電話が掛かってくる前に、何かおかしな場所へ行ったり、おかしなものを見たりしなかった?」

 この質問に吉成は少しだけ言葉を詰まらせてからゆっくりと頷く。

 それを見た薫は確信する。

 姉の悪戯という可能性も頭に過った。しかし、いくらあの悪魔あねとて、無関係な他人を傷つけるような事はしないだろう。

 だから、きっとこれは、あのときと同じだ。茅野薫は、そんな確信を強く抱いた。




「……それで、どうしたのかしら?」

 そう言って、茅野循はたっぷりと甘くした珈琲をすすりながら弟の言葉を待った。

「……そのあと、すぐに先生に見つかって、教室に帰らされた」

 結局、文野は納得しなかった。そして、昼休みに再度、五人で集まった際に薫は折衷案せっちゅうあんを打ち出した。

「……三日のうちに濡れ衣であるという証拠を見つけてくるって約束した」

「もし、達成できなかったら?」

「彼女を傷つけた事を認めて、教室でみんなが見ている前で土下座する事になったよ」

「証拠が見つかったとしても、この一件が何らかの超常的な現象に原因があるとしたなら、向こうは納得するかしら? それに、文野さんとのやりとりは教室で大勢の人が見ていたのよね?」

 この姉の指摘に対して、薫は事前に考えていた事を口にした。

「取り敢えず、吉成さんと文野さんを納得させる事ができればどうでもいいよ」

「それで?」

「それで、対外的には僕のスマホが乗っ取られて、勝手に告白のメッセージを吉成さんに送られたっていう事にするつもり。犯人は僕に怨みを持った誰かって事にして」

 その弟の対応を耳にした茅野は感心した様子で頷く。

「流石は私の可愛い弟ね。百点満点よ。貴方本人の本物のアカウントが使われたという事にすれば、その事で彼女が偽物を本物だと信じざるを得なかったという言い訳は立つわ。潔白を証明したあとで、鈴さんたちも騙された被害者だったという事にしてしまえば、彼女たちの風評へのダメージは緩和できるわね」

「うん」

 薫は照れ臭そうに頷く。そこで、茅野はスマホを手に取る。

「ちょっと、二人の写真を撮りたいのだけれど……」

「何で?」

 薫はいぶかしげな顔をする。鈴も戸惑いを隠せない様子だった。

「……いいから、二人とも寄って」

 薫と鈴は逡巡しゅんじゅんしつつも、距離を詰める。

「ちょっと、失礼」

 茅野がシャッターボタンを押す。

 その画像を、この前撮影した鉄砲坂の家の画像と共に九尾天全に送る。

 訝しげに姉の行動を見守る弟と、その同級生に対して自信ありげに答える。

「まあ、三日もかからないと思うわ」

 そう言って、カップの中の珈琲をすべて飲み干した。そして、鈴に質問をする。

「ところで、妹さん」

「はい?」

 きょとんとした表情で鈴は応じる。

「お姉さんに聞いた話だと、急に髪型や服装を変え始めたと聞いたけれど、それも偽物の薫の影響かしら?」

 鈴は「そうです」と、首肯する。そして、赤み掛かったブラウンの髪を手ですきながら言った。

「……でも、その、昨日デートに行く前に鏡を見て気がついたんですけど」

「何かしら?」

「……こういう感じの女の子、どこかで見た事あったなって」

「見た事がある?」

 茅野の言葉に鈴は頷く。

「上手く言えないんですけど、覚えていなくって……気のせいかもしれないですけど」

 茅野は思案顔を浮かべたのちに、薫に向かって訊いた。

「薫は、心当たりはあるかしら?」

「いや……うーん、どうだろう。知り合いにはいないと思うけど」

 そう言って、薫は考え込む。すると、茅野が再び鈴に向かって言う。

「どっちにしろ、薫の好みは全然違うわね。小柄で、ポニーテールで鬼のように強い女の子が好きなのよ」

「鬼の……ように強い……?」

 意味が解らず、鈴は眉間にしわを寄せる。

 薫は顔を真っ赤にしながら「姉さん!」と言って、茅野の発言をとがめた。

 このあと、薫は鈴を家まで送り、茅野は桜井梨沙のバイト先である『洋食、喫茶うさぎの家』へと向かった。

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