【07】弟からの相談


 その週の土曜日の深夜だった。

 吉成鈴は茅野薫からの電話を待つ間、スマホの画像を整理していた。ベッドで仰向けになりながらスマホに指を這わせる。

 大抵は自分で仕上げた油絵の写真や他人の作品を納めたものが多かった。あとは、だいたい絵を画くのに資料として使った静物や風景の画像ばかりで、人物を写したものは、ほとんどなかった。

 あるのは、これも資料用に撮影した自分の手の写真や家族、数少ない女友だちのものばかりだ。

 そんな中に茅野薫の写真が一枚だけ存在した。

 それは、ずいぶん前にこっそりとサッカー部の練習試合を見に行ったときに撮影した薫の横顔だった。

 その試合でも、何人かの女子が薫の一挙手一投足に黄色い声をあげていた。

 そんな人気者が自分の今や自分の彼氏なのだ。

「本当に……人生、何が起こるか解んないな」

 吉成鈴は茅野薫の写真を見つめながら独り言ちる。

 この日、彼女は一つの決意を胸に抱いていた。

 それは、明日の日曜日、薫をデートに誘う事。

 そして、このスマホの中に最愛の人の写真をもっとたくさん増やす。

 もしも明日、OKが貰えたら、お父さんにねだって買ってもらった黒の地雷系のワンピースを着て行こう。

 それは薫が電話で好みだと言っていた服装だった。




 鉄砲坂の家の探索を終え、週が明けた月曜日であった。

 オカルト研究会の部室で二人は、思い思いの時間を過ごしていた。

 桜井は溶けかけのアイスのようにだらりと卓上に上半身を投げ出し、茅野は澄まし顔でタブレットを眺めていた。

「……にしても、あのお婆さんは、けっきょく何が言いたかったんだろうね。あの棚に何かあったのかな?」

 その桜井の言葉に茅野は視線をタブレットに向けたまま答える。

「解らないわ。今、あの棚に納められていた新聞の日付で色々検索しているけど、特に目を引くような事はないわね」

 例の棚に納められていた古新聞は全部で十五部ほどあった。日付は連続しておらず、いちばん昔のもので十六年前、そして、もっとも新しいもので三年前だった。

「やっぱり、九尾センセの力を頼るしかないのかなあ……」

 ちょっと、悔しそうに桜井が言った。茅野はタブレットをフリックした後で、目の前の卓上で湯気を立てていた珈琲カップを持ちあげて、その縁を口元へと運ぶ。

「……今は先生も忙しそうだし、もう少し切羽詰まったあとで先生に丸投げしましょう」

「そだね」

 などと、本気とも冗談ともつかない調子で二人は恐ろしい会話を交わし合う。

 そうこうするうちに下校時刻が近づき、桜井と茅野は帰り支度を始めた。すると、その最中であった。茅野のスマホがメッセージの着信を告げた。

 何の気なしに確認してみると、送信者は弟の薫からであった。

「あら、薫からね。珍しい」

「何だって? カオルくん」

 その桜井の問いに茅野は食い気味で答える。

「何か私に相談したい事があるそうよ!」

「滅茶苦茶、嬉しそうだね、循」

 桜井は呆れた様子で苦笑する。茅野はというと、スマホを胸に抱き寄せながら、きらきらとした目つきで言った。

「普段は素っ気ないけれど、やっぱり、困ったときは姉なのね。まったく、本当に、あのツンデレときたら……」

「まあ、うん……カオルくんも循の能力だけは・・・信頼してると思うし……」

 つまり、そんな姉に頼らなければならないほど厄介な事が起こったのだ。桜井の胸中に一抹の不安が過る。そして、部室の壁掛け時計に目線を移したあと、茅野に向かって言った。

「取り敢えず、今日はこれからバイトだから、どんな悩みか聞いておいてよ。あたしも、カオルくんの事なら協力は惜しまないよ」

 そう言って、勇ましく右拳で己の胸元を叩いた。

 このあと二人は学校を後にして、桜井はバイト先である姉夫婦の店へ、茅野は弟の待つ自宅への帰路に着いた。




 玄関の扉を開けて気がついたのは、三和土たたきに置かれていた見慣れない女物のローファーであった。そして、上り框から延びた廊下の突き当たりのリビングから人の気配がする。

 取り敢えず予断は禁物であると己に言い聞かせて靴を脱ぎ、茅野はリビングの扉を開けた。

 すると、応接のソファーには制服姿の弟と、そこから少し離れた場所にちょこんと腰をおろした見知らぬ少女の姿があった。

 弟と同じ学校の制服を着ており、赤み掛かったブラウンでセミロングの髪型と、どこかで見た事のある面差しに茅野はピンと来る。

「……貴女、もしかして、吉成愛美さんの妹かしら?」

 名乗りもしていないのに、自分の素性を当てられた事に驚いたようだ。 

 見知らぬ少女は大きく目を見開いて薫の顔を見てから、立ち上がり緊張した面持ちでペコリと頭を下げた。

「はい。私、吉成鈴ともうします! よろしくお願いいたします!」

 茅野は苦笑する。

「そんなに緊張しなくていいわ。座って?」

「は、はい!」

 吉成鈴は勢い良く返事をすると、再びソファーに脚を揃えて背筋を伸ばして座る。

 茅野は弟の方に視線を移して言った。

「……もしかして、相談事というのは、吉成さんの妹さんの事かしら?」

「うん。まあ、相談事というか、ちょっと姉さんに訊きたい事があって」

 などと、どこか煮え切らない態度の弟に、茅野は悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。

「もしかして、彼女と付き合う事になったとか、そういう話だったりするのかしら?」

 その瞬間、薫の表情が真っ赤に染まる。

「ち、違うよ! そうじゃなくって……」

「あら、真っ赤になって照れちゃって可愛いわね。貴方、もう梨沙さんの事はいいの?」

「さ、桜井さんは関係ないだろ! そうじゃなくて……」

 と、そこで鈴が辿々しい口調で言った。

「……その、少しおかしな事が起こっていて、それがどう説明したら良いのかちょっと解らないくらい変な事で……それで、茅野くんのお姉さんが、そういう事・・・・・に詳しいって聞いて……」

 その言葉を聞いた茅野の瞳が好奇心に満たされる。

「つまり、二人とも何か心霊に関係する厄介事に巻き込まれたのね?」

 薫と鈴は顔を見合わせた後、無言で頷いた。

「……もしかすると、あの鉄砲坂の家が関わっているのかしら?」

 その茅野の質問を受けて鈴は再び驚愕する。

「……ど、どうして……」

 そして、薫に向かって興奮した様子で言う。

「茅野くんのお姉さん、本当にホームズみたい!」

 しかし、当の本人はつまらなそうな顔で「貴女のお姉さんに聞いたのよ」と言った。

 そして、溜め息を一つ吐いて、肩をすくめると、不敵な笑みを浮かべた。

「ちょっと、着替えて来るから待ってなさい。話はそれからで構わないわよね?」

 薫と鈴は頷く。

 そんな二人の顔を満足げに見てから「お姉ちゃんに任せなさい」と、冗談めかした調子で言って、茅野循はいったんリビングを後にした。

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