【06】普通のスポット


 オカ研部室に吉成愛美が訪れた翌日の放課後だった。

「……でもさ、最近は殺伐としたスポットが多かったから、こういう普通のスポットは和むよね」

「解らないわよ? 中で誰か死んでるかも」

「あー、ありがちだね」

 などと、呑気な会話を交わしながら鉄砲坂を進むのは、桜井梨沙と茅野循であった。

 錆びついたかのような色合いの建物の前を通り過ぎると、やがて二人は辿り着く。周囲の家より一際古びたその家の前に。

 桜井は『染谷』と書かれた玄関上の表札を見あげて言った。

「……何かこういう郊外の大型ショッピングセンターに負けないように頑張ってる地元商店街の老舗専門店的なスポットは大切にしたいもんだね」

「その何だか解らないけど、割りとしっくりくる例えはさておき、玄関の鍵はクレセント錠みたいね。裏手へ周りましょう」

「らじゃー」

 桜井と茅野は玄関に向かって右側にある細い隙間を通って裏庭に辿り着く。

 そして、裏口の前に立つと茅野はスクールバッグからデジタル一眼カメラを取り出して撮影の準備を整える。

 桜井は裏口の中をのぞきながら、ネックストラップのスマホを手に、ぱしゃぱしゃと写真を撮り始める。

「しかし、裏口が開けっ広げというところに、人情味を感じるよ。こんな侵入者にウェルカムなスポットも久々だよね」

「そうね。でも、油断はなしで行きましょう。ふとした日常にも死は転がっているわ」

「うん。ジョウザイセンジョウだっけ?」

「あら。良い言葉を知っているのね」

「戦いの心構えとしては、当然だからね」

 などと到底、日本の片田舎に暮らす女子高校生とは思えない会話をした後に二人は裏口を潜り抜ける。

「……仏間がヤバいんだっけ?」

 裏口からまっすぐ伸びた廊下を奥へ進み掛けた桜井の後ろで茅野が立ち止まり、六畳間に通じる障子戸に手をかける。

「家の正面から向かって右側に台所があったわ。つまり、家の右側は水回りだから、仏間は恐らくこっちよ」

 そう言って、障子戸を開けた。

「おっと……そっちか」

 桜井は引き返し、茅野の後に続いて六畳間に入る。

 そして、二人は部屋の中を軽く物色した後で、障子戸の左手のふすまを開けると居間に通じている事を確認し、仏間に続く引き戸を開けた。

「ここか……」

 桜井のスマホのシャッター音と共に青白いフラッシュの光が瞬く。

 すると、そこで家の表を大型の車両が横切り、家全体が震え始める。

「……ワンチャン、ポルターガイストある?」

「いいえ、この家が襤褸ぼろいだけね」

 茅野は桜井の言葉に落ち着き払った様子で答える。そして、遠退く大型車両の走行音が聞こえなくなった直後だった。


 ひぃー、ひぃー、ひぃー、ひぃー……。


「おっ。何か聞こえた」

 桜井が好奇心に瞳を輝かせながら耳をそば立てる。それは、まるで甲高い引き笑いのようにも、啜り泣く声のようにも聞こえた。

 茅野は神妙な表情で、ゆっくりとした足取りで六畳間へと通じた戸口の前から仏壇の方へと向かう。桜井も警戒しながら黙って彼女の後に続いた。

 そして、茅野は居間へと通じる襖の向かいにある押入れの方へと向き直る。そこで、徐々に辺りは静まり返る。

「この中から聞こえるわね」

「どれ」

 桜井が押入れ襖に手を掛け、茅野はデジタル一眼カメラを構える。

 そんな彼女の顔を見て、一つ無言で頷くと桜井は躊躇ちゅうちょなく押入れを開けた。

 しかし……。

「何もないね」

 桜井はつまらなそうに言った。

 下段には段ボールと扉つきのキャビネット。そして、上段のつっぱり棒から下がった衣服を掻き分けて確認するも、特にこれといっておかしな物は見当たらない。

「今のは心霊?」

 その問いに、茅野は「どうかしら?」と答えて桜井と入れ替わり、押入れの前に立つ。そして、彼女はしゃがみ込むと、キャビネットの扉を右手で持って開閉を繰り返し始めた。

 すると、ひぃー、ひぃー、ひぃー……と、甲高い声のような音が鳴った。

「さっきの笑い声だ!」

 桜井が目を丸くしながら言った。茅野は立ちあがると、彼女の方に向き直り、右手の人差し指を立てながら言った。

「恐らく、家の前を横切った大型車両の振動のせいで、共振が起こって、この扉が開閉を繰り返した。その音が人の声に聞こえただけね」

「あー、じゃあ、噂の中学の野球部員が呪われて全員コロナになったっていうのは……」

「偶然でしょうね」

「なあんだ」

「……というか、その野球部員が緊急事態宣言以前と変わらずに四人でいつも一緒に行動していたのなら、誰か一人が感染してしまえば、他の三人も罹患りかんする可能性は高くなる。偶然というより必然ね。ただし、呪いや心霊はまったく関係ないけれど」

「幽霊の正体みたりなんちゃらかんちゃらってやつだね。まあ、たまには、こんなオチもありかー」

「そうね」

 と、桜井と茅野はクスクスと笑い合った。それから、二人は仏間を軽く物色したあとで、居間へと向かった。

 向かって正面の右隅にテレビ、左隅に茶箪笥があり、部屋の中央には大きな座卓があった。特に変わったものは何もない。

 左手に六畳間への襖、正面には裏口から延びた廊下への襖、そして右手は破れた障子戸が並んでいた。その障子戸の向こうには玄関横から延びた廊下が見える。

 六畳間と仏間へ通じる襖の上には埃を被った額縁が何枚か飾られていた。中身は風景写真で、すべて旅先で撮影されたものと思われた。

「旅行、好きだったのかな?」

「意外とアクティブなお婆さんだったみたいね」

 桜井と茅野は風景写真を一通り見たあと、茶箪笥の中を改める事にした。

 すると、不意に、ぱきん、という音が鳴る。それは、六畳間の方から聞こえた。二人は物色の手を休めて顔を見合わせる。

「家鳴りかしら?」

「ワンチャン、ラップ音ある?」

 そう言って、桜井が六畳間に続く襖を用心深く開ける。すると、正面の掃き出し窓の前に、薄汚れたジャージ姿の老婆がいた。

 その面差おもざしは見るからに気難しそうで、怒気が含まれているようにも見えた。何より異様だったのは、彼女の足は畳から二十センチ以上も離れて浮かんでいる。明らかにこの世のモノではない。

 しかし、桜井は「おっ」という、何かウィンドショッピングで掘り出し物でも見つけたときのような声をあげて、スマホで老婆を撮影した。

 その後ろの茅野もデジタル一眼カメラのレンズを老婆の霊に向けて動画を黙々と撮り続けている。

 老婆の霊は表情を変えぬまま、すっ、と右手を上げて何かを指差した。

 その指先の方へと視線を移す。

 そこにあったのは仏間へ続く戸口の脇にあった小さな棚だった。

「これが、何?」

 桜井が再び老婆の方を見ると、その姿はいつの間にか跡形もなく消え失せていた。

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