【05】深淵からの声


 四人は染谷家の右側を抜けて裏庭に出た。

 膝丈程度の雑草で覆われており、周囲を他の家に囲まれているため風通しが悪く湿っており薄暗い。微かに表の鉄砲坂を走る車の音が耳をつく程度で、静まり返っている。

 裏口は扉板が外されており、左横の小さな窓の下に横向きで立て掛けてあった。どうやら蝶番の螺子ねじが外れてしまったらしい。

 右側には短い縁側があり、木製の雨戸が並んでいた。

 裏口の奥は、まっすぐ木板の廊下が延びており、その突き当たりは玄関へと通じているらしい。薄暗がりの向こうに、玄関の引き戸の擦り硝子から射し込んだ光がぼんやりと見えた。

 廊下の右の手前には枠だけになった障子戸、奥にはふすま。左の手前には扉、奥には擦り硝子のはまった引き戸、更にその奥に引き戸があった。

 久保は裏口の前に立ち、やや緊張気味の顔で生唾を飲み込む。やはり、言い出してみたものの、実際に心霊スポットへと足を踏み入れるのは怖いらしい。

 それを察知した武隈が彼を小馬鹿にするような声音で言った。

「……何だ、お前、怖いのか?」

 すると、久保は振り返り、武隈をにらみつける。次に伊勢島に視線を移し、最後に鈴の顔を見ると歯噛して再び裏口の方へと向き直った。

「べ、別に怖くはないさ」

 若干上擦った声でそう言って、裏口を潜り抜けた。

 伊勢島は武隈と顔を見合わせて苦笑すると彼の後へ続く。鈴も慌てて三人の後を追った。

 久保は三和土たたきから土足で上がると、左側の扉を開けた。そこはトイレだった。次に久保は、トイレの反対側の障子戸を開ける。

 すると、そこは六畳間となっていた。正面の壁には引き戸があり、左側に襖、右側には雨戸で閉ざされた掃き出し窓があった。

 障子戸の右には黒ずんだ箪笥があり左には割れた鏡台があった。正面の引き戸の右側には古新聞が納められた小さな棚があり、その上には倒れた花瓶と小芥子、年代物のラジオが載っている。

 まず久保は左の襖を開けた。すると、そこはどうやら居間のようだった。ほこりを被った座卓やテレビなどが置いてある。

 そして、彼が襖を閉めた直後だった。表の鉄砲坂を走る大型車両の走行音が近づいて来る。

 その音が過ぎ去ると同時にガタガタと室内のあらゆるものが小刻みに振動し始める。まるで、軽い地震のような有り様であった。

 伊勢島は眉間にしわを寄せながら天井を見あげてぼやく。

「……大丈夫かな、この家」

「だいぶ、古いもんね」

 鈴がそう言うと、武隈が「とっとと、終わらせようぜ」と言って、引き戸の方を開けた。

 そこは左手に細長い部屋だった。

 すぐ右手には雨戸に閉ざされた掃き出し窓があり、正面には和箪笥があった。そして、左側の奥の壁際に仏壇が見える。どうやら、この部屋が目的の場所らしい。

 仏壇に向かって左右の壁には襖があった。左側の襖の向こうは居間だろう。

 そして、右側の襖を武隈が何気なく開けると、そこは押入れだった。下段には扉つきの小さなキャビネットと段ボール。そのキャビネットの扉は半開きになっており、中には薬箱らしきケースが見えた。

 上段には突っ張り棒が取りつけられており、古くさい婦人用の衣服がたくさん並んでいる。

「何か普通だな」

 と言って、武隈は押入れの襖を閉めると、久保の方へと視線を向けた。

「おい、そろそろ、始めろって」

「う、うん……」

 強張った表情で久保は頷いて、久保が鞄の中からスピリットボックスを取り出した。電源を入れてアンテナを伸ばして操作すると、あのヘリコプターの飛行音のようなノイズが鳴り出した。

「そ、それじゃあ、行くか……」

 他の三人が神妙な顔で頷いた。

 久保はスピリットボックスを仏壇の方に掲げると、例の言葉を口にした。

「アピールしてください……」

 何も起こらない。

「アピールしてください……」

 表を走り抜ける車が聞こえてくるだけだった。

「アピールしてください……」

 あのヘリコプターの飛行音のようなノイズが鳴り続けるだけだった。

 武隈が鼻を鳴らして肩をすくめた。

「もういいだろ? 帰ろうぜ」

「いや、もう少し……」

 久保が悔しそうな顔で言った。そして、再び呼び掛けの言葉を繰り返す。

「アピールしてください……アピールしてください……アピールしてください……アピールしてください!」

 すると、次の瞬間だった。


 ……ぉ……ん……しゅ……うわー……あでぇ……。


 何かが聴こえ始めた。


 ……あいね……うぉ……しゅ……うぉー……べぇあー……れっしゅ……。

 

 次の瞬間だった。

 まるで、その遠い異国の言語のような意味の解らない言葉は、はっきりとした意味を持って、四人の耳へと届いた。


 ……願いを一つだけ叶えよう。


 それは低い男の声だった。

 言葉の意味はさておき、墓場の盛り土の中から響き渡ってくるかのような、不吉で不気味な声音であった。

 四人は息を飲み込み、顔を見合わせた。すると、大型車両の近づいてくる音が聞こえ、ガタガタと家全体が小刻みに震える。

 それが収まった後だった。


 ひぃー、ひぃー、ひぃー、ひぃー……。


 それは乾いた引き笑いのようにも、啜り泣く声のようにも聞こえた。

「何だ……これ……?」

 武隈が困惑した表情で言った。伊勢島は血の気の失せた顔で首を横に振る。鈴がスピリットボックスを指差して恐る恐る口を開いた。

「……この声……それから聞こえたんじゃないよね」

 すると、そこで再び男の声がスピリットボックスから聞こえてきた。


 ……願いを一つだけ叶えよう 


「……な、何かヤバい。出よう」

 久保が青ざめた顔で言うと六畳間に通じた引き戸を開けた。急いで裏口へ向かう。

 他の三人も彼の後に続いた。




 その日の深夜だった。

 吉成鈴はベッドに横たわるも、なかなか寝つけなかった。まんじりともできぬまま、自室の天井を見あげていた。

 放課後のアレはいったい何だったのか。何かの聞き違いなどではなく、はっきりと男の声がスピリットボックスから聞こえた。そして、続けて聞こえてきたのも、鈴には人間の声のようにしか聞こえなかった。

 家を出た後、あれだけ幽霊の存在を否定していた武隈は青ざめた顔で俯いたまま、一言も喋らなかった。

 幽霊の存在を信じていた伊勢島も、そういった現象を体験できたというのに脅えた顔で黙り込んだままだった。

 久保は難しい顔でずっと何かを考え込んでいた。

 鈴は三人と連絡先を交換して別れた後、自宅に駆け込むとリビングでプリンを食べていた姉に、自分の体験した事を一気にまくし立てた。

 しかし、姉は鈴の体験を錯覚だと決めつけ、無断で廃屋に入った事をとがめるだけで、まともに話を聞いてくれなかった。

「……本当に、あれは何だったんだろ」 

 その言葉が漏れた数秒後だった。

 枕元に投げ出していたスマホがメッセージの着信音を鳴らした。

 手を伸ばし、スマホを手に取って画面を指でなぞり、メッセージを確認する。


『突然、ごめん。電話で話したいんだけどいいかな?』


 そのアカウント名は茅野薫。

 どこで自分のアドレスを知ったんだろうとか、誰かの悪戯では……などとは、まったく考えなかった。

 このとき、鈴の脳裏に思い浮かんだのは、あの言葉……。


 ……願いを叶えよう。


「まさか、本当に……?」

 茅野薫と結ばれる。

 その願いが本当に叶ったのかもしれない。

 鈴はすぐに自分の電話番号を記した返信を送った。

 そのあと、すぐに折り返しの電話が掛かってきて『ずっと、好きでした。付き合ってください』と、人生で初めての告白の言葉を耳にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る